11月13日
 ★★★生きているML★★★

 私が持っている2枚看板、もう一つのメインホームページで、メーリングリスト(=ML)を開設してから、1年と7ヶ月が経ちました。
最初は、4名ほどから始まったのですが、今や、100名を越す大所帯です。とはいえ、私が話題提供したりすることは少なくて、ロム(読むばかりで投稿しない)専門の人もいて、 実働(投稿して話に参加してくれている人達)は、15人〜多くて20人程度です。 このMLの参加者は、心臓病の人と、心臓病の子どもを育てる親で、もっとも多い話題は、親御さんが我が子の病状・手術の問題などに関してです。 1年半の間に、生命にかかわるいろいろな話がMLの中で発生し共感したり苦悩したりして、私も大変勉強になるなぁと思っています。 それと同時に、MLそれ自体も多くの人の思いを包み込んで、膨れたり、縮んだり、流動的な生き物のようだなぁと感じるようになりました。

 ちょっとした愚痴とか、今日のエピソードなどを書いて投稿しあっていたのですが、だんだん、参加者がバラエティに富み、その人その人の目下の課題とか、 心配事や、愚痴がとめどなく流れてくるようになりました。
最初は、ML管理者として、参加者の投稿内容に全てレスポンスをつけていたのですが、そのうちそれも無理だということに気がつきました。 投稿されてくる方は、正解を求めている場合と、そうではなく、答えが出ない状況をみんなで共有するだけでも気持ち1歩前進になる場合があるのだなと思います。 さらに、参加している他の方がそれぞれの立場でアドバイスや共感しているというメッセージを送ってくれる、そんな感じになってきたとき、 「なにも答えを出さなくても良いんだ、まして、私が分からないのに無理矢理答えをひねり出さなくても良いんだ」と理解できるようになりました。

 ある時は、話題によって患者本人の立場と、親御さんの間に溝ができたり、お互いの立場や気持ちを理解し合ったりして、MLも反抗期、思春期、のように揺れ動きました。
また、参加されていたご本人が亡くなったこともありましたし、それまで頑張って手術を乗り越えてきたお子さんを亡くされた方もいらっしゃいます。
そんなときに、現実を突きつけられ、言葉を失い、なんとも生々しく人の生命について考えさせられ、涙するのは、きっと、私だけではなく、多くの参加者も同じだったのでは ないかと想像しています。逆に、手術が成功裏に終わった報告、新しい命が誕生した話題、また最新の医療技術やトピックスとなどを読むと、嬉しく、みんなでお祝いの気持ちになることもあります。

 こうして、私自身はあまり投稿しなくなってきて、ハッキリ言うとロム専門になりかけているのですが、かなりワンマンに管理者風を吹かせて操作したとしても、このMLはもはや、 私の当初の思いつきMLではなくて、私にとっても参加している方の数名(あるいは数十名でしょうか?)にとっても、ある種の気持ちの"場所"あるいは、"空間"になっているように思います。

 これから、このMLはさらに多くの人を包み込んで、たぶん、続く限り、行きつ戻りつして、問題をグルグルとめぐらせていくでしょう。
なんの解決にもならない事をずっとくり返していくかも知れません。または、いつかどこかでキレて、爆発していましまうかもしれません。
そのように、未来が予測できず逡巡することが、人間的とも言えます。
 なんだか、ML自体が生命を持ち、さまざまな感情のうねりを私に語りかけて来るかのように感じることも多くなってきました。 そんなMLへの感じ方は、当初、予想もしなかったことです。この先をMLと一緒にさすらいながら、さりとて飲み込まれず、主観的に参加し、客観的に見ていきたいと 思う今日この頃です。

 そして、もう一つ、この"コリこね"で最初に考えたこと、『果たしてインターネットで何ができるか?』 の手応えの大きな1つが、MLの中にあるなと思い始めています。

 ここまで飽きずに読んでくれたあなたには大変感謝します。

 まぁ、こ理屈ですから…、乱文、支離滅裂な思考は勘弁してね。

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