11月17日
 ★★★そんなんでもいいわけ〜road to 教員免許取得★★★

 パソ通とインターネットネットが、役に立った話題をひとつ。
それは一昨年の6月ごろのことでした・・・。その頃まだ我が家にパソコンは無かったかも。いやあったかな? とにかくパソ通はまだやっていなくて、もちろんインターネットにもアクセスしていなかったんですね。ある時、教員志望の友人達が北海道の採用試験を受けにきたので久々に会いました教採帰りなのだから、話題はいかにして教員になるか?ということ。で、そのとき、初めて「教員資格認定試験」というものの存在を知りました。これは短大卒業以上の人、または大学在学中で単位がいくらいくら以上取得済みのの学生などが受けることができます。それに準ずる人も。 で、友達達は、小学校の免許も取っておけば採用試験の幅もあろうと、試験を受けるそうで、私もじゃ、うけてみっかな〜と言ったのが始まり。

 もう、申込締切日が迫っていて、翌日すぐに書類を取り寄せ、単位取得証明書などを出身校からとりよせ、もしかしたら締め切りに間に合わないかもというギリギリに、なんとか受験手続きを済ませました。
受けようと思ったのは、なぜか? ひとつは、まぁ、教育大を出たにも関わらず教員の免許がなかったりすること。も一つは、小学校教員の免許を大学に通ってとるには体育や長い教育実習などをやらねばならないけれど、この試験だと実技が音楽・図工・体育のうちから2つとのことで、体育の実技試験を受けずにすむということ。 上越にいたときに、たまたまどういうわけか、なんでか自分でも分からないまま、聾学校での教育実習をしていたので、この試験の3次試験(実際に児童の前で模擬授業をするというもの)は受けなくてもよかったこと。そして、全国数カ所が試験会場なんだけれど、その中に横浜国立大会場があったこと。これは、大きいです。横浜だったら、親戚も友達もいるので泊めてもらえるし、何度かいっているので交通事情も分かるかなぁと思って。 根本的に、教員になりたい! という強い意志があるわけじゃなかったけれど、受けてみようかあぁと思ったのでした。

 この試験の問題集が出ていると友達が教えてくれたので、買ってきて、読んだりしましたが、ほとんど勉強せず。真夏の横浜(暑かった・・・)で1次試験を受けます。これはマークシート式です。もう算数なんかは全然わからなくて、適当にマークしてみました。これはどう見ても落ちている、と思ったのが意外にも運が良く受かっていた。一緒に受けた友達は運悪く落ちてしまった・・・。ありがちな話ですが、本当にあると、その子にもちょっと申し訳ない気もするんですね(比較評価じゃないから本当はそう思わなくても良いんだけれど)。 で、2次試験がきっかり1ヶ月後。これが実技目白押しですよ。音楽は「もみじ」とか「春の小川」とかから1曲当日くじ引きであたったものをオルガン、ピアノなどで弾きながらドレミで歌う。だいたい、その楽譜さえもってないもの、どうしよう・・。図工は過去の問題からいくと何かを持っている手の絵、水彩で着色というもの。これは絵の具一式があるから何回か、玉子を手のひらに乗せている絵とか、缶を持っている手の絵とか、鉛筆を持っている手の絵を練習しました。図工なら何とかなるでしょう(そう思ったのは実は甘かった)。 そして、小論文を主要教科から一つ選択して書く問題。とりあえず、無難だと思って国語を選択してみたのですが、これは何を使って勉強すればいいのか? 内容も分からない。結局ほとんど勉強しなかったですね。2日目には面接。

 で、横浜へ行きました。1ヶ月ぶりです。まず、午前中は、国語の小論。うひょひょ〜、問題の意味が分からない。分からなさすぎる。とにかくなんか書いてみたけれど、時間が足りなくて3問目とかはほとんど書けないまま提出。やっぱりだめだこりゃ・・・と実感しました。まぐれで1次をとおってしまったことを後悔したり。 午後は図工。「玉子を手のひらに乗せている手の絵」おお、練習したからバッチシよ! と思い、練習の通り描いて提出しました。提出する道すがら、一緒の教室で描いている30人くらいの受験生のみなさんの作品を眺めて、ショック。ちがうじゃん(横浜だけにジャンとか言ってみたり)。みんなは玉子を乗せた手を上方向から見て描いている。私はといえば、練習したときから真横からみた絵を描いていたんですね。 国語、図工のダブルパンチで2次試験合格はあり得ないという実感。しかしとりあえずまだ音楽が残っている。これも自分的にはかなり練習したから大丈夫だよね。と思っていたら、たまたま隣にいた受験者さんが「あのぉ、これって、音階そのままでもドから読んで歌うんですよね」と聞かれてしまいました。「は?」そのまま音階を読んじゃいけないのかい? そうしたら、反対の隣の人が「そうですね。"ド移動"って書いてありますから、どの音程で弾いてもハ長調の音階を歌うんですね」って言った。ガーンガーンガガガーン。だめじゃん! 私はその受験要領「ド移動」の意味がぜんぜん分からなくて、無視していたから、ヘ長調を弾けばそのままへ長調の音階(楽譜そのままのドレミ)で練習してきた。んじゃ、この「春の小川」なんか当たっちゃったら、練習してきたドレミじゃないじゃないか〜。そういう大変な事態に気がつかされてしまったのが、もう受験室に呼ばれる5分くらい前だもの。 まさに「春の小川」を引き当ててしまって、音階がメチャメチャ。焦っているので弾くほうだってガチャガチャ。敢えなく1日目の試験終了。落選確実。
2日目、面接。これも「受験動機は?」と聞かれて「なんとなく」なんて答えられないわけですから、いろいろ考えていったにも関わらず、緊張しまくって何を話したかよくわからない。こうして2次試験を終えました。もちろん、不合格。

 だがしかし、あろうことかこの試験、2次試験に不合格でも翌年また2次試験から受けられるという心のこもったもの。私は、1次試験の運を翌年も享受できシードを得てチャレンジすることになってしまいました。さて、2年目にあたり、今度こそ初歩的なミスをなくそうと、「ド移動」にも細心の注意を払って練習し、また「玉子を乗せた手のひらの絵」が課題となったら困るので、みなさん同様、上から見た絵を練習しました。しかし、問題はあの国語です。そんな参考書もないし、何を読んで勉強したらよいかさっぱりわからない状態。 ここでようやく、パソ通の話なんですが、まず、ニフティーの資格フォーラムをのぞき、教育フォーラムをのぞいて、過去の会議室の発言を探しました。在りましたねぇいくつか。でも私の疑問に答えてくれるものは無かったので、発言してみました。するといくつかレスポンスがありました。小論文は、とにかくどんな授業案をつくるか? 自分だったらどんな授業をやるか? を念頭に組み立てればいいのだそうです。とはいえ、ろくに授業なんかしたこともないしねぇ。でもヒントは得られました。それからまもなくインターネットで教員免許資格認定試験の部屋 というサイトを発見。このときは嬉しかったですねぇ。さっそく、このHPのWebマスターさんにメールで質問してしまいました。返ってきた答えは、「学習指導要領や文部省で出している指導の手引き等を参考にするのがよい」とのこと。やはり独創的な小論文よりも文部省の指導方針を理解して基本的なことを知っていなければいけないらしいのです。これが良いのかどうかは別として。さてさて、買いに行きました、それらを。でじっくり読んで、新しい学力観云々とか指導目標とかがんばって覚えましたねぇ。久しぶりに勉強したという感じ。 この時、Webマスターさんは、私のHPを見て下さって、教員は体力が必要だから実際に実習してみて教員でやっていけるかどうか見極めてみた方が良いですよというようなアドバイスもくれました。涙ものですねぇ。「なんとなく受ける」というのに、なんてもったいない言葉。バチがあたりそうだ・・・。
この数通のメールのおかげで、2年目の試験は合格。ほんとうに、このHPのおかげです。
で、合格通知が来たことをここのWebマスターさんにもお知らせしました。お世話になりました。
こうして得た合格通知なのに、私はなぜか、教育委員会に免許の申請をしていませんでした。ただのめんどうくさがりなんですけど。今年の夏、ようやく重い腰を上げて申請書類をつくって送ったのですが、申請料金が値上がりしていて、教育委員会から呼び出され、収入証紙数百円を持参するという、めんどくさがりに輪をかけた情けなさ。 ようやく、今月、小学校教諭免許状が届きました。さて、教員にならずして、この資格をどう生かそう・・・。

 「なんとなく」受けた受験動機は、とれる資格なら何でもいい、なんでも取ってみて損はなかろうということ。だってまた一つ出会いがあり、ネットの輪が広がったのですから。でもこれってタダの言い訳。 勘弁してね、どうしても教員になりたい人には本当に申し訳ないけど。
そして最後にもう一言。正規のルートだったら、私は体育のことやハードな教育実習など越えられないハードルがあったと思います。でも、こういうチャンスがあって本当によかった。 私のようなハードルじゃなくても、小学校教員になりたいけれど教育大に行けなかったとかそういう人の中に、または今は普通の企業に就職しているけれど資格をとって教員になってみたいという社会人経験者の中に今の学校にピリリとひねりが加えられる逸材がいるかもしれな。脇道一発試験があることをもっと広く知ってもらえればなぁと思います。
どんな世界でも正規のルートだけが王道じゃないから、自分なりのルートとスピードで、回り道到達って、好きですねぇ。手段は何でもいいんです。選択肢は多い方がいいでしょう。

 ここまで飽きずに読んでくれたあなたには大変感謝します。

 まぁ、こ理屈ですから…、乱文、支離滅裂な思考は勘弁してね。

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6月7日
 ★★★ネットの「ね」・・・★★★

 前回コリクツこねてから数ヶ月たちました。この間に何も考えなかったわけではなく、むしろパソコンやインターネットについて考えるチャンスをたくさん得たようです。
だいたい毎日日記を更新するようになって、日々感じたことは少しずつそこで捌けているので、このページの更新が遅くなっているのも事実でしょうが。
ネットサーフィン期、メール期を経て、ここ数ヶ月は、掲示板期、チャット期とインターネットの利用の仕方が変わってきました。
まぁ、その間にもホームページのコンテンツは増えるし、初めての方からのメールもとぎれることなくいただいています。まとめてありがとう。

今回は、チャットについて考えてみたいと思います。
最近思うのは、インターネット全般に言えることだけれど、私の場合は、最大の魅力が"情報"にあるのではなく、"人との関わり"にあるようだということ。メールよりも掲示板は直接的だし、さらにチャットはタイムラグがあまりなくてダイレクトな言葉(文字)が伝わるので、そういうことを感じるようになったのかも知れませんね。 しかし、よく言われているような、顔の見えない者同士、知らない者同士のゆがんだ会話が生まれるという指摘もなるほど納得してきました。
掲示板はそうでもないのだけれども、チャットというのは、実に実にその人の性格というか思考や言葉のクセが現れていて、見ていて興味深いです。だけれども、だからといってお互いの意志疎通は必ずしもうまくいかない、ということも感じます。 性格は伝わってきていても、その人の今の気持ち、今何を考えているのか? はなかなか伝わりにくいという、ふだんの生活の人との関わりとは逆の感覚をもちました。

ごく最近、テレビやラジオで活躍されている人がチャットに参加されて、私なんかはかなり憧れていたので、ご本人とお話ができる夢のような体験をしました。
チャットに多くの人が参加するようになり、常連さんも増えて(恥ずかしいことに、私が最常連かもしれませんが)時々明け方までご本人とチャットで交流したりするわけです。 けれども、だんだんと会話の内容はどうでもよくなり、同じ時間そこでなんとなく文字を交わしているような、チープな感覚にとらわれはじめています。それが、匿名の人達の集団の性質なのか、またはチャットに参加する人の個人に帰属するのかわかりませんが。まぁたぶんどちらもあるのでしょう。 そして私自身もそのチープなやりとりの中にどっぷり浸かっているのを意識しているけれど、抜け出せないのが情けなくもあり、人の情けでもあるのかな?(ちょっと洒落てみたつもり。)

そういうことに気がついたここ数日なんですが、その前は危機感を抱いていました。ご本人の偽物が登場したり、それぞれの思いで書いた言葉(事実ではないことなのに)が事実かのように広まったり・・・。とにかく、何が真で何が嘘なのかわからなくなっていました。
情報としての真と嘘だったら、まだ冷静に判断できる道は残っているのですが、それが"気持ち"の行き違いとなると、冷静になれず、かなり落ち込んだり、疑ったり、焦ったりするわけです。そして、少し時間が経ってから、誰と特定せずに発言したりすると、その言葉を深読みする癖がついてしまいました。
これは、だれも作為的に話を悪い感じに進めたり、誰かを不当に非難したりするといった悪意のある場合でなくても起こり得る話。
例えば、誰もいないチャットに、Aさんが「先日のこと、すみませんでした」と書いたとします。すると、みんな「何のことだっけ? Aさん何か悪いことを書いたかな?」と思います。で、それとは関係なく、みんなが登場を待っている人物が「少し考えて下さい」と書いたとします。みんなは「え? Aさんのこと? それとも私のこと?」と深読みしはじめます。 で、自分にもなんとなく非があると思っているBさん(私でもいい)が「すみませんでした。」と書きます。またしばらくしてそれを読んだCさんが「じゃ、自分もかなりまずいことをやっちゃったかな?」と思います。そうして、みんながみんな、出発点の事柄があやふやなまま、自分が最も悪いような気になっていくという悪循環が生まれます。まぁ、全員が反省する機会を得たと思えるし、内省的な疑心暗鬼なら、まだ良いのかも知れません。 が、もし、このようなことが他人に対して起きたら、その時は、参加した全ての人が、怒りと憂鬱な気分になってしまいますね。で、結局、インターネットなんか所詮そんなものだ。人とのつながりなんて持てないんだという結論になります。
でも今は、そんな危機感を脱し、チープな言葉でも重みのある言葉も全て、自分の言葉の表面を自覚しながらチャットを楽しもうと思っています。だって、心底ではチャットのみなさんはいい人と思っているお人好しさんなので、自分で言うもなんだけれど。

で、何が「ね」なのかということなんだけれども、「ですね」とか「そうだね」「だよね」でも同じで、この"言わなくても分かるでしょう"的な言葉に付きがちな「ね」が何のわだかまりもなく使えることができたら、たとえ、会ったことのない人とでも心のどこかで信頼感がうまれるんじゃないかなぁと、まぁ、そんなことが言いたかったわけ。
今のところ、私がチャットで「ね」を使える相手は、残念ながら実際にお会いしたことのある人たちだけですけれど。まぁ、それが当たり前なのかも。ただ匿名のままでは永遠に理解し合えないだろう、ゆがんだまたは薄っぺらな人間関係なんだろうと言ってしまうことにもちょっと疑問を感じたり・・・。 本当はみんななんとなくおしゃべりしたいだけかも。理解し合えなくてもいいのかも。いろいろ渦巻き結論は出ないまま・・・
ね。
なんつって、久々のこの何を言いたいのか自分でもちっとも分からないコリクツを、無理して理解して欲しいと思っちゃったりして。

 ここまで飽きずに読んでくれたあなたには大変感謝します。

 まぁ、こ理屈ですから…、乱文、支離滅裂な思考は勘弁してね。

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