3月21日
 ★★★桟敷席と椅子席の話★★★

 先月、札幌にお芝居を見に行きました。解散するという劇団の公演だったのですが、その劇団のお芝居を見るのは初めてでした。
内容はさておき(もちろん面白かったですよ)、札幌ファクトリーホールだったのですが、椅子席ではなく、桟敷席でした。
私は、全然驚かなかったのですが、後日、そこの主宰さんが「若い人はあまり慣れてないかも知れないですね」ということを言っていて、「へぇ〜」と思いました。私は地元の2つの劇団などのお芝居しか見ないのですが、狭い(本当に狭い)ところで桟敷席でやることがしばしばあったりして、 そちらの方がかえって「お芝居見てる〜」っていう感じがして好きです。

 まぁ、でも、ぎゅうぎゅうづめっていうことが多いから、姿勢が崩せなくて大変なんですけれど。
話もどって、その主宰さんが「僕たちが芝居を始めたころは、みんなぎゅうぎゅう詰めの中、前の人の頭の間からお芝居を見ていました」と言っていて、「劇団をやめるにあって、そのころの雰囲気もちょっと味わっていただいて・・・」と続けていました。
わかるねぇ〜。と、なんとなく納得して、しかしその主宰さんは、お芝居をやめる理由を「演劇に魅力感じなくなった」からとしていて。 これはちょっと残念でしたね。その最終公演ではどう見てもその主宰さんは「輝いている」ように見えたんだけれどなぁ〜。
 ま、思うところがあったのでしょうね。

 今月に入ってからは、新しい江別のホールでの別の劇団のお芝居を見ました。こちらも内容が濃くて、アマチュアながらみんな上手になっていて、感心しました。こちらは、椅子席でした。

 話がそれてきましたが、椅子席に座って分かったのですが、桟敷席の最大の魅力は「疲れる」ところにあるんじゃないかなぁと思いました。
舞台の上の役者さんが、体を使って表現し、心地よい疲労を感じているのを、見ている私たちも、吸い込まれて、一緒に疲労を感じるという気がして。
一体感、実体感があるみたいで、ヴァーチャル世代(自分も含め)は本物を見て体感するといいかなぁと思いました。

 ここまで飽きずに読んでくれたあなたには大変感謝します。

 まぁ、こ理屈ですから…、乱文、支離滅裂な思考は勘弁してね。

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2月2日
 ★★★夜も眠れない?★★★

 明けましておめでとうございます。とっくに。2月になりました。この1月下旬から2月上旬というのは、もっとも寒い季節だと思います。
 先月、東京や横浜は雪でひどい目に遭ってしまったようですね。大変・・・。そのような地域の方にはちょっと分からないかもしれませんが、 北海道では(きっと全道的に)、この季節寝る前に「水を落とす」作業をするでしょう?

 「水を落とす」というのは、室内の水道管が夜の冷え込みで凍結してしまわないように、水道管から水を抜くことです。たいていの家には、 水を落とすバルブがあって、そこをしめれば良いわけです。簡単なことです。

 我が家は台所の水道は、落とさなくても良いのですが、トイレの水は落とさなくてはなりません。そして、最後に寝る人が責任を持って水を 落とすのが(うちの)きまりです。で、最後に寝るのは、たいてい私です。

 トイレに行って、そのまま温かい湯たんぽの入っているベッド(やっぱり湯たんぽが一番よ)に入って、うとうととしたその瞬間。
 「ま、まずい。トイレの水、落とすの忘れた!」
 今日は凍結注意が出ていたかな? と思い出してみます。凍結注意は夜のテレビ番組のCMの間に出たり、夜のお天気予報で「凍結にご注意下さい」 とアナウンスしたりします。思い出して・・・・。
 「あ、今日は夜、テレビ見てないや・・・。天気予報も聞いてないや。今晩は冷えるのかなぁ〜、そうでもないかなぁ〜。落とさなくても大丈夫かなぁ〜」
と温かい布団の中で、葛藤します。だって、せっかくあったまったんだもん、おいそれとベッドから出たくないし。
 すっかり、トイレの水が気になって、目がさえてきて、それでもまだ「そんなに寒くならないわ」と思い、寝ようとします。しかし、「もし、凍らしちゃったら大変だ」 と思ったりもします。起きるか、起きないか・・・。to be or not to be って感じです。

 そしていつも、結局は起きてトイレに行き水を落としてくるハメになります。
それを考えて、夜も眠れないこと、最近よくあります。でもやっぱり、寒さにも雪にも備え有れば嬉しいなじゃなくて、備え有れば憂いなしですよ。

 ここまで飽きずに読んでくれたあなたには大変感謝します。

 まぁ、こ理屈ですから…、乱文、支離滅裂な思考は勘弁してね。

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12月14日
 ★★★一応、今年の重大ニュース★★★

 クリスマスが近づいてくると、もう年の瀬という声。そこで私的に今年のニュースをみなさんにお伝えしましょう。なんて、自分で思い出す ために書くのです。

 今年は、いろんなところへ行きました。春に新潟、長野、夏に沖縄、秋に熊本と横浜。 ということで飛行機4往復もしてしまい、マイルがたまるカードを2社分作ってしまいました。
新潟・長野は、お友達と一緒に、遊びがてら母校や恩師をたずねる旅。そして、何度行っても飽きない糸魚川の「フォッサ・マグナ・ミュージアム」も行きました。 宮島ご夫妻におせわになりました。
沖縄は、心友会(心臓病者友の会)の交流会。初めての南国(それまでの最南は大阪だった)。いやぁ驚きの連続でした。 詳しくは、心友会のページで触れています。
そして、10月には、熊本。次の週に横浜。 この2つは特にハードで、観光じゃなかっただけに、大変だったなぁ。熊本は、特殊教育学会という障害児教育関係の研究大会のために行きました。 もちろん、九州に行くのは初めて。 しかし、そういうことより大変だったのがそこで発表をするということ。 倒れそうなくらい緊張して、さんざんな目にあってしまいました。 情けない・・・。それから、バテバテの中で横浜へ。これは、小学校教員資格認定試験という試験を受けに行きました。これも緊張。
そんなこなで、今年はいろいろなところに行ったなぁ。行ったと言えば、野外ライブに2回行けたことも楽しかった。パフィーや奥田民夫やウルフルズや真心ブラザーズや ハイロウズ。ミカちゃん誘ってくれてありがとう。

 それで、本当に重大だったことといえば・・・。小学校の教員免許がとれた(本当はまだなんだけど、今年中に通知が来る)こと。それから、 バイトをしたこと(それも、家庭教師と現在の大学での事務)。そして、インターネットでスゴイ体験をしたこと。

 昨年の暮れにネット・デビューしてから、ガラリと世界は変わってしまいました。そうそう、NCFのパネラーなんていうのもやらせていただきました。
心臓病の人たち、その親御さんたち、向かいのおじさん、ebicのみなさん、昔からの友達、それから、「水曜どうでしょう」マニアの人たち・・・。 100人以上の方たちとメールを交換するようになったのではないかと思います。

インターネットに接続した頃、いったい、どんなことができるのか? と疑問と期待に満ちていたような気がします。そして、1年。予想もつかなかったことだけれど、 とにかく、インターネットを始めて良かったなと思います。パソコンの使いすぎ(?)でパソコンが壊れた時は、それはもう、お友達をとられたみたいで 暇だった。それほどのめり込めたのは、やはり、日頃自分が思っていることや大好きなことにたいして、反応してくれる人がいるという何とも言えない嬉しさ。 そして、そこから始まる、メール交換。沖縄に行ったとき、誰一人として会ったことがなかったのに、メールでのやりとりがあったために、すごく 安心できたこと。そして、メールだけの知人に直に会えたときの嬉しさもありました。ペンフレンドとはまた違うなにか、もっとビジュアルなやりとりができるのが、 メール、プラス、ホームページなのかなぁと思っています。
 今年は、とにかく寝ても覚めてもネットサーフィンに明け暮れた、そんな感じですね。

 ここまで飽きずに読んでくれたあなたには大変感謝します。

 まぁ、こ理屈ですから…、乱文、支離滅裂な思考は勘弁してね。

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12月9日
 ★★★臓器提供意志表示カードをじっと見る★★★

 「脳死臨調」とか「臓器移植法案」とか、今年はこういう言葉をよく、耳にしました。このことについて、避けて通れないだろうと思いつつも、 今まで、コリクツこねないできましたが、やっぱり師走ですから、触れてみようかな(?)。

  先日、臓器提供意志表示カードが届きました。これの裏(記入する欄)を読むと、大きく選択肢が3つあります。

1.私は、脳死後、以下の臓器を提供します。
2.私は、心臓停止後、以下の臓器を提供します。
3.私は、臓器を提供しません。
 なるほど、脳死ではなくて、心臓死(心臓停止)となった後でも提供できるものは、ありますからね。目(臓器とは言わないけれど)とか、骨なんかも提供できるかな? ちょっとわからないですが。それで、1、2はすぐ納得しました。 そして3。臓器を提供しないという欄があるのが、驚きだったのです。 よ〜く考えれば、このカードは臓器提供意志表示カードなのですから、自分の臓器に関して、「提供しない」という意志も表示するのが筋なのですね。

 一般に「ドナーカード」と言われているので、臓器を提供したい人が持つカードなのかと思っていました。見たことない人の多くはそう思っていると思います(私だけだったら恥ずかしい・・・)。 これが、提供しないという意志のある人も持てるカードだと分かって、これは、みんな持っていたらいいんじゃないかなぁと思いました。だって、万が一、事故にあってしまって、脳死状態になってしまったとき、前々から「できれば提供したくないなぁ」と思っていても、言えないのですから、家族が同意したとか曖昧ななかで、意志に反して臓器が摘出されちゃったりしたら、困りますね。だから、「私は提供しない」と言っておくことも、その本人の意志を明示するという意味で大事なんだなぁと思います。

 ところで、もう少し詳しくこのカードの記入欄を見ると、1、2のそれぞれには下位項目があって、具体的に何の臓器を提供するかということが選択できます。心臓、腎臓、肝臓、骨髄などなど。さらに記述式でそのほか提供したいものを書き込むこともできます。例えば、骨とか目とか皮膚とか。「死んだ後だから全部持っててもらっていいよ」ということだと楽なんですが、ここで、はたと考える。 う〜ん、私の場合、ちょっと心臓はあげられないなぁ、もらった人が迷惑だろうなぁとか、思うわけです。で、心臓以外ならいいかなぁと思っているのですが、とかく、臓器移植というと「心臓移植」が花形で、この一番のポイントが抜けているドナーっていうのもあんまりいないだろうなぁ・・・。ま、ドナーになるかどうか(=脳死になって提供できるようになるかどうか)もわからないけれど。それと最後に、近親者のサインが必要です。家族も同意しているということがポイントなんでしょうね。
と、このカードを手にとりじっと眺めながら、まだ記入していない私でした。

 臓器提供意志表示カードに関するきちんとした情報はこちらのTransplanet Comunicationホームページでご覧下さい。

 ここまで飽きずに読んでくれたあなたには大変感謝します。

 まぁ、こ理屈ですから…、乱文、支離滅裂な思考は勘弁してね。

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11月9日
 ★★★そのとき何が起こったか★★★

 何から書けばよいのでしょうか・・・。
 ある日、Windows95でデグラフをかけていました。最近、ハードディスクの容量が満杯に近くなってきたので、こういうので少し、整理できないかなぁと思っていました。 それは、9月4日だった。数日前にも、それをやって、よくわからないけれど、「断片化されたファイルをきれいに整頓する」というようなことができていました。しかし、その日に限って、 98%まで完了したのに、そのあと動かない。「おやぁ? 時間かかってるね」と思って、数十分放っていました。しかし、いくら時間がかかるって言っても、パソコンの本体は動いている気配がなかった。

 それで、もう、だめだなぁ、あきらめよう。また、Windowsインストールし直そう、1から出直しだ。と腹をくくって、リセットスイッチを押しました。 そして、これが、永遠のお別れ。ウインドウズも立ち上がらす、起動ディスクフロッピーを入れても、ハードディスクがないと言われ、もう、ダメでした。 レスキュー・ミー! いつもお世話になっているebicのミゾさんに電話。そして、め組の黒さんが、夜10時という遅い時間にもかかわらず、家までやってきてくれて、見てくれました。 だがしかし、すでに、ハードディスクが音もなく、冷たくなっていました。さようなら。 ガガガガ〜ン。腹をくくったのは、インストールをし直せば直ると思っていたからで、もう、どうもこうもないというのは、ショックでした。 もう、だめだぁ。

 そして、教えていただいた、札幌の電気店へgo! と行きたいところでしたが、数日持っていけなかったのです。それで、見積もりというか、直るんだったらなおしてということで、数日後 ようやく電気店へ搬入。待つこと1っしゅうかん。「やっぱり、ハードディスク取り替えですね」と電話が来ました。そのまま純正のハードを付け替えると、今までの、480メガぽっちで、数万円もするって言うので、 それは辞めてくださいと言い残して、電話を切りました。それからそれから、試験勉強などあり、電気店の倉庫に寝かしたまま、数週間。季節はもう10月になろうかという頃。ようやく、新しいハードを買い、取り付けていただきました。 これで、2ギガバイトです。おまけに、家族用に、ノート型のパソコンを新しく買ってしまいました。うあぁ〜、すごい。りっぱ。で、ハードを付け替えていただいて、引き取って家に帰ってきて、「これで、またパソコン使える」とさっそく、 「インストール開始!!」意気込んだのですが、「あ、お店にマウス忘れてきた・・・」。それで、マウスを取りに行くのが面倒で、宅配してもらったので、また2日かかり、10月になってしまいました。

 ここまでが、最初の1ヶ月の出来事。

 それで、パソコンがない1ヶ月間ていうのは、お友達がいなくなったみたいで、非常に寂しかった。メールは読めないし。お絵かきもできないし。家でぶらぶらしてる私にとっては、この箱がないっていうのが、こんなに、 手持ちぶさたになる物なのかと、改めて、驚きました。ちょっと情けない話ですけどねぇ。超オタクっぽいですね。まぁ、お家にいてばかりだからその通りなんだけれど。

今日はここまで。

 ここまで飽きずに読んでくれたあなたには大変感謝します。

 まぁ、こ理屈ですから…、乱文、支離滅裂な思考は勘弁してね。

 今回はコリクツこねてないけどね。

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8月12日
 ★★★それが道産子でしょう★★★

 先日横浜から友だちが来ました。職場の同僚の人と一緒に道南のほうの福祉施設を研修見学してきたとのこと。見学が終わって、二人は函館まで戻るというときに、施設長さんが、ご自分の車で函館まで送って あげるというので、お言葉に甘えたそうです。で、函館市街のホテルに泊まる予定だったのだけれど、施設長さんは観光タクシーよろしく、教会などをまわってくれたそうです。二人はしんじられずに「本当にあ りがとうございました。もういいですよ。」と言いいました。

 しかし、施設長さんは「じゃぁ、五稜郭公園でも見ていきますか?」とおっしゃってくれて、結局二人はちょっとした函館観光ができました。 その次の日、二人はレンタカーを借りて、札幌までやってきて、私と会ったのです。で、その話をしてくれて、私は「良い施設長さんだなぁ」くらいにしか思わなかったのですが、二人は「どうして、あんなに 親切だったんだろう…。あっちこっち連れていってくれて」と首を傾げています。それで、ふと思い出したことは、以前この友だちが一人で我が家に遊びに来たときのこと。

 その時、私がたまたま泊まりで出かけなくてはならなくて、彼女の相手ができなかったのです。で、彼女はその日ニセコに泊まる予定だったので、私が父に頼んで、ニセコまで送っていってもらうことにしま した。あとで聞いた話、このとき、この友だちを送るのに父母とたまたま本州から遊びに来ていた叔母も一緒に乗り込んで、ずいぶんあちこち連れまわしたそうです。札幌の市内観光、中山峠、ニセコに行くま でに観光名所はたくさありますからねぇ。

 それを思い出して、「施設長さんは、とりたてて珍しくすごく親切だったわけじゃないんじゃなぁい?」と私が言うと、「そうかなぁ…、向こうじゃ、あれほどまで親切にいろいろまわってくれないよ」と彼 女たち二人。 「北海道の人は、北海道が好きだから、いろいろ案内したがるんじゃない? 前に来たときのうちの父さんだってそうしたっしょ?」と言うと、妙に二人は納得していました。

 私も改めて「道産子はは北海道が好きなんだから、道外から来た人にあっちこっち見せてあげたくなるんだなぁ…。そして、来てくれた人が“北海道って良いところだねぇ”と言ってくれるのが嬉しいんだよ ねぇ…」と思いながら、その二人を、「じゃぁさぁ、やっぱり北海道に来たんだから、海のもの食べに行こうか」とあっちこっち引きずり回しました。  道産子に限らないかもしれないけれど…。

 ここまで飽きずに読んでくれたあなたには大変感謝します。

 まぁ、こ理屈ですから…、乱文、支離滅裂な思考は勘弁してね。

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7月2日
 ★★★君の名は…(古すぎ)★★★

 数ヶ月、コリクツをこねずに、更新をすっぽかしていました。 「どうしたの?」というメールをいくつかいただいて、中には、「体調が良くないのではないか?」と心配してくださった方もいて…。 まったく変わりなく、たださぼっていたのでした。ちと、忙しかったのもあるけれど、元気です。

 先日、税金や国民年金の支払い、その他書類を発行してもらうのに市役所に行きました。市役所はけっこう古くて、暑い。でも、それはそれでいいのです。市役所が街で一番立派な建物だ!と自慢するより、良いことかなぁと思う。

 話を戻して、「あぁ、めんどくさ〜」「なんでこんなに人がいるんだよぅ」とイライラしながら、列に並んで、私が支払いの順番。それで、窓口に税金を払う書類をだしました。窓口の女の人が、「中村さん、インターネットやってませんかぁ」と 言うので、「税金を払うとそういうことまで分かるのかなぁ」と思ったの(そんなはずがないだろうと、自分でつっこみを入れたけど)。 「はぁ。やっていますけれど…」と元気なく答えると、窓口の女の人は、「ホームページ、いつも見てますよ」と言ってくれました。 突然だったのと、イライラと暑さで頭の回転が遅くなっていたので「え? あ。うっ。」と言葉に詰まってしまったのだけれど「どうも、ありがとうございます」と挨拶するので精一杯だったのでした。 「かわいいホームページですね」と誉められながら、「はぁ〜。どうも」とそれくらいしか答えられずにいました。あっというまに払い込みは終わって、心の中でテレながら、フラフラと歩いて帰りました。

その日は、支払いの期限の最終日でした。そのずっと前、請求書のようなものがきたとき、私は、今回は初めて国民保険に入ったので、「こんなに払うのぉ…」と文句を言い、ついで税金徴収の書類が来たときも、これが初めてだったので 「えぇ〜、こんなの払うのぉ〜」とそれはそれは、文句タラタラで、ついに最終日まで延ばしのばしにしていたのです。 でも、その一件ですっかり文句も忘れて、知らないところで有名人なのだと、たった一人の方の声で、嬉しくなり良い気持ちになりました。

 帰る途中、炎天下の中、ぼ〜っと「あ、なんて言う名前の人だったのだろう…」と思ったけれど、後の祭り。もしこれを読んでいたら、メールください。 君の名は…、とは相当古い。古すぎるけれど、そういうことです。

 ここまで飽きずに読んでくれたあなたには大変感謝します。

 まぁ、こ理屈ですから…、乱文、支離滅裂な思考は勘弁してね。

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4月16日
 ★★★中学生・高校生に,ボランティアは根づいたか?★★★

 江別市内に「江別市青少年ボランティアサークル・ホワイト」というサークルがあります.来年(98年)で15年を迎えるこのボランティア・サークルは,市内唯一の,中学・高校生の,中学・高校生による,中学・高校生のためのボラサークルです.1983年の春江別市内の一人の女子高校生が「私たちで何かやってみたい」と仲間を集め始めました.

 当時,やっとボランティアという言葉が定着して,大人たちがあらゆる事柄へボランティアの範囲を広めていっていました.そしてようやく,学生・生徒のボランティアが注目されはじめた頃でもありました.

 ホワイトに集まった10人足らずの女子高生たちは,夏,農家の多い地域の季節保育園(農繁期にだけ開く保育園)へ,大きな大きな手作りの紙芝居を持って遊びに行き,冬,一人暮らしのお年寄りにかわいい年賀状を送りました.

 数年を経て,世の中ではボランティアへの関心がますます高まり,高校などでは課外活動として取り入れられたり,進学の際の内申書に書いたらよいなどという話も出てきました.新聞やテレビでも高校生(あるいは中学生)のボランティア活動が数多く紹介されました.とりあえず,学校単位の,先生に指導,監督された責任のあまりない環境で行われることが盛んになってきたのです.

 サークルのメンバーどの人も,高校を卒業と同時にホワイトも卒業.最長でも中学1年〜高校3年まで6年間しかいられません.代は次々と入れ替わっていきましたが,ホワイトの活動はこのような時代背景の中,発展していきました.最初,特定の高校だけに偏っていた構成も,年を追って,江別高校,野幌高校,三愛女子高校(当時),大麻高校,札幌の高校,そして市内の数カ所の中学校と,学校の枠を越えたメンバー構成になりました.ボランティアの活動それ自体に加え,他校の様子や,高校生が母校の中学校の様子を中学生に聞いたり,サークルは学年も超え楽しいもの.そして何よりも,すべて自分たちでやるというやり甲斐やおもしろさもあったようです. 行事や,メンバー募集などのPRのために,学らんやセーラー服で教育委員会,福祉事務所などお役所の大人たちの所へ行って,かけあうこともよくありました.活動の移動手段は自転車かバス.あるときは,市内の人から,「責任をとるべきしっかりした大人がついていない“生徒だけの”サークルで催し物などして良いのか?」と問いつめられるような電話もありました.でも,中学・高校生は彼らなりに,責任を自覚し,自分たちのやりたいことを企画し実現するという経験や,何かを求めているさまざまな層の人々との交流を体験して,ボランティアというものは誰にでもできることだと分かっていったのだと思います.そして,とても必要なことだと.

 さて,ホワイトの活動に興味をもってくださった江別市内の中学校の先生が,その学校にボランティア部を作ってくれたという話をきくようになりました.これは今から4,5年前のこと.そして,一頃の“流行”のようだった時期を経て,学生のボランティアは,ホワイト発足から10年ほどして着実なものになってきたかのようでした.つい最近では災害ボランティアに高校生がかかわったという話題も聞きます.

 こうして,ボランティアは根づいたように見えます.中学生・高校生自身が活動するという趣旨をもったホワイトの役目も終わったのでしょうか?

 15年を前に,今,ホワイトはたった一人のメンバーを残し,休会しました.

 今の中学・高校生にとって,誰かのために,できる何かをするのは当たり前のことになったのでしょうか? その気持ちや姿勢を受け止める器はもう各学校等で定着したのでしょうか? 

 中学生・高校生のボランティアは本当に根づいたのでしょうか….

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4月9日
 ★★★身内割引キップ?!★★★

 上越に住んでいたとき、東京から上越に戻るのに、一番楽な方法は、“特急あさま”で一気に終点まで乗る。ある時、“あさま”に乗りました。上野駅から出発して、しばらくすると車掌さんが切符を見に来ます。それで、私も出し、隣に座っていた40代の女の人も切符を出しました。それから、その女の人は、たぶん私の切符を見たのでしょう。「高田までいらっしゃるの?」と私に聞くので、「はい」と答えると、自分も高田までいくのでよろしくねというような挨拶があり、見知らぬ人と仲良く旅が始まりました。

 この“あさま”は、長野県を通って上越へ向かうのですが、オリンピックのために長野付近は新幹線などが整備され、近く廃止になるらしいということを私は話しました。それから、この“あさま”に乗る最大の楽しみは軽井沢近くの横川駅というところの“釜飯”を食べることだとか、まぁ、しったかぶりでその女の人に話していました。実際、この横川の峠の釜飯というのは有名で、美味しいので、“あさま”に乗ったらいつも無理して走ってでも買っていました。そんな話をしたあと、ふと沈黙がおとずれました。

 女の人は、数分後、思い出したかのように「あなた、JRに身内の方がいらっしゃるの?」とたずねてきました。「は?」 私はどうしてこんな質問をされるのか分からなくて、よくよく考えてみました。「身内がいるように見えましたかぁ?」と聞いてみると「えぇ」ときっぱり答えるその人。「いや、だれもJRにはつとめてませんけど」「あら、そう。てっきり身内の方がJRにいらっしゃると思って」う〜ん、どうしてかな? ひょっとして、私、特急が廃止になるとか釜飯が有名だとか、JRフリークな話題を話したからかな? と思いながら、その話題は終わりました。女の人と私は、横川で釜飯を買い、「おいしいわねぇ」「そうでしょう」といいながら食べ、数時間後上越市の高田駅に着きました。ホームに降りて別れ際に「あまり電車に乗ったことないから、あなたとお隣で楽しかったわ〜」と言ってその人は去っていきました。よかった、こういうのが旅のちょっとしたおもしろさなんだよねぇと思いながら、いつものようにキャリーにくくりつけた荷物を引っ張って切符を駅員さんに渡しました。

 このとき初めて、あの女の人が、“身内”の話をしたのか分かったような気がしたのです。私は身体障害者手帳というものをもっていて、それがあるとJRの乗車券が割引になる場合があります。券には当然、割引であることが書かれてあるのですが、当時それは、ひときわ大きく“身割”と印刷されていました。もしや、あの人、私の切符を見て“身内割引”と勘違いしたんじゃないかなぁ…。

 いくらJRでも、いまどきそういうことデカデカと印刷しないでしょうに。でも結構そういう勘違いが多かったのでしょうか? 先月、新潟県内で特急に乗ったとき、割引の目印は“障割”に変わっていました。

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3月15日
 ★★★“いずみ”が湧き出た!!★★★

 この「コリクツこねて」の「メール小話」で書いたものを、再度書き直して、投稿しました。そしてなんと、3月11日の北海道新聞“いずみ”欄に載っちゃいました。 こんなこともあるのですね

==== 本 文 ====
<いずみ>インターネット
97.03.11 全道 朝刊 生B     P.15 ( 616字)
 インターネットを始めて二カ月あまり。自分のホームページもできて、自宅にいるこ とが多い私に、全国各地から電子メールが届くようになりました。家にいながらにして 知らない土地の人たちとメールのやりとりができ、毎日読むのが楽しみです。
 これまで百通ほどのメールをもらいましたが、先日、今までで一番近くからのメール が届きました。そのタイトルは、「向かいの〇〇おじさんです」。なんと文字どおりお 向かいのアヤコちゃんのお父さんではないですか…。
 私はタイトルを見ただけで、おかしくて笑ってしまいました。近所でありながら、一 年に一度会うか会わないか。道で会っても頭を下げるくらいなものです。
 帰ってきた母に話すと、「近いのにメールくれたの? 〇〇さん、最近会わないけど パソコンやってるんだね」と母も笑っていました。
 近くて遠いのがご近所さん。本当に珍しいこともあるものです。
 おじさんのメールは、普通のあいさつからはじまって、おじさんが参加している劇団 のことやパソコン通信の話でした。
 よく「インターネットは世界へつながる未来のネットワーク」といいます。確かに電 子メールは距離や年齢を問わずやりとりできる便利なものです。でも、意外にも“お向 かいのおじさん”と、より身近にやりとりできるのも電子メール。楽しみが増えまし た。
 「こんなちょっと変わった新しいご近所づきあいもあっていいかなぁ…」と思いなが ら、さっそく返事を書いて送りました。
             

 これが日の目を見るようになったのも、このメールをくれた向かいのおじさん(ごめんなさい、何度も何度も“おじさん”と書いていて、ちょっとまずいかなぁと思いながらも…)あなたのおかげです。この話を「新聞に投稿したら?」と言ってくれた新潟県糸魚川市のお友達、 私の書いた文に文句をつけて書き直しをさせた母、ありがとうございました。それから、道新オーロラネットのデータベースを使ってこれを取り寄せてくれた川島さん(なぜなら、私はこの文章を保存していなかったのです)、そして、道新の生活部の方(謝礼をいただきました) そしてそして、このへなちょこな文章(本人も載るとは思っていなかったのです)を読んで、朝一番に電話をくれた叔母、友だち、道ばたで「読んだよ〜」と声をかけてくださった近所のおばさん、メールを下さったebicの皆さん、ありがとうございました。

 感謝の気持ちはいずみのように湧き出てきます。

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