3月7日
 ★★★就学猶予の話★★★

3月になりました。4月から小学校に入学する子どもたちは、一日入学なんていうのがありましたね。そういう季節かな? みんなと仲良くできるかなぁ、先生の言うことはよく聞けるかなぁとか、お父さんお母さんはきっとドキドキでしょう。子どももドキドキでワクワク。

障害のある子ども、病弱な子どもに、就学猶予という制度があるようです。詳しくは私も分からないのですけれど、私自身も、小学校に入学するときに、就学猶予措置をとるかどうか?という話になったようです。体の弱い子は、学校に行くのが大変だから、体力がつくまで小学校には入学しなくても良いですよと言う措置なのでしょう。とにかく、大変なら、みんなと一緒じゃなくても後で入学したら? ということ。

確かに、心臓病があったり(他の病気や障害でも良いのだけれど)すると、発育が遅くて、小学校に上がる年齢でも、まだ歩けないような子どももいます。そこまででなくても、ランドセルを背負わせて、毎日登校させるにはかわいそうだと思うくらい弱々しい子もいます。そういった子どもたちには一年遅れて入学したらどうか? というアドバイスはなかなか良いような気がします。

私が(私の親が)就学猶予をしなかった理由は、こんなにひ弱なら、これからの人生ただでさえ、健康な人に遅れがちになってしまう。それなのに、出だしからわざわざ1年棒に振ることはないということだったようです。

7歳には7歳でやることがある。歩けないからとか、学校で思うように動けないからとか、1年間通えるかどうか分からない…という心配で、子どもの1年という貴重な期間を家に閉じこもって過ごすのはどうかなと思います。 どんなに体が弱くても、子供同士の中で経験すること(それが疎外感のようなマイナスの事柄でも)大切ですね。

小学校の入学式の季節になると、私は1年遅れずに、みんなに会えて良かったなぁ…、と毎年思うのです。

でも、すべての子どもがそうであればいいというわけではないですよ。どうしても猶予してもらわなければならない子どもはまだまだたくさんいるのだから。それに学校にきちんと通うことが全てではないと思うし…。 学校でぽつんと一人残され、何をするのも大変そうにしているのを見るのは親としては辛いでしょうし…。体長が悪くなることも多いに考えられる。通えない子どももたくさんいるのは分かります。でも猶予が良いのかどうか迷っているような状態なら、できるだけ早い内から子供同士で遊ぶ機会を増やした方が良いかなぁと思ったりします。

なんてね、子育てなんてしたことないし、学校の先生でもないのだから、偉そうなことは言えないのですけどね。それに、来月から学校に通う子どもの就学指導委員会は、とっくの前に終わってるんだけれどね。

 ここまで飽きずに読んでくれたあなたには大変感謝します。

 まぁ、こ理屈ですから…、乱文、支離滅裂な思考は勘弁してね。

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2月17日
 ★★★メール小話★★★

 インターネットをはじめてから、二ヶ月が経とうとしています。それまでパソコン通信でメールをやりとりしていたけれど、インターネットの電子メールではより知らない人からのメールが多くなってきました。そして、栄えある100通目のメールが届きました。 99通のメールを受信して、あ、明日の一人目にくれた人のが100通目だわと思って次の日結構ドキドキしてメールを開くと、100通目は、時々メールを下さる大学の先生でした。おぉ、なんてバッチリのタイミング。この若き先生のおかげで、このホームページのタイトルが決まったのですから。

 最初、ホームページのタイトルを考えていて、なんか自分の名前をそのまま出すのも嫌だなぁと思って、ふと家の壁を見ると。数年前にもらったカセットテープの曲目を書いた紙が貼ってある…。「あぁ、先生がからいただいたんだよなぁ」なんて思って、見ていたら、その一番上に “to Deep-Snow for your birthday”と書いてあるじゃないですか。「そ〜だ。これだ。」ということでDeep-snow Landになったわけです。先生、ありがとう。ただ深い雪を英語で言っただけだけど、重みがあります。 意味深げです…。100通目にふさわしい名付け親からのメールでした。

 もう一つ冗談みたいな本当の話。100通目の少し前に、今まで一番近い人からメールが届きました。メールを受信したら、なんと向かいの家のおじさんではないですか…。近所でありながら、一年に一度会うか会わないか…、道ばたであったとしても挨拶するくらいなものです。それがごく普通のご近所のお父さんとのつきあい方です。このメールを見たとたんに、笑ってしまって、一刻も早く誰かに話したくて、帰ってきた母をつかまえて話しました。いやぁ、珍しいこともあるものです。遠い人との連絡だけがメールの価値じゃないと、未来の新しいご近所づきあいかなぁ…。

 あんまり面白かったので、お友達にメールでそのことを書いて送ったら、その人が「絶対新聞に投稿した方が良い」というので、調子に乗って投稿しようとしている。でも、文章が書けないので、こういう感じでベラベラと書くならまだしも、字数制限があって、匿名じゃいけないって言うんだからね。緊張しちゃいますよ。

 どうなるでしょうか。

 ここまで飽きずに読んでくれたあなたには大変感謝します。

 まぁ、こ理屈ですから…、乱文、支離滅裂な思考は勘弁してね。

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2月7日
 ★★★反響★★★

 4日、5日と札幌雪祭りにいきました。4日はプレですけれど、ほとんど雪像もできあがっていて、人はそれほど混んでいなくて、ゆっくり見ることができました。ここ数年、雪祭りは見に行っていなかったので、久しぶりにあの雪像を見て、「雪っていいなあ」と雪自慢したくなりました。

 さてさて、この“コリクツこねて”もふくめたDeep-Snow Landをアップロードするようになってから、1ヶ月くらい経ちます。それから、「心臓病の子供を守る会」の機関誌「心臓をまもる」に私の顔写真やら文など載ったこともあって、見知らぬ人からのe-mailが増えてきて、いあや、見てくる人もいるんだなぁなんて思って。 特にエレベータの話で、神奈川県にお住まいの方とか、東京の“稲ちゃんHartful House”というホームページを開いて、車椅子マップや交通権などの情報を発信してる方、もっと近くでは札幌で活動されてる方から、メールや情報をいただいて、うれしいなぁと一人、狭い自室で微笑んでいるのです。あんまり、考えなしで、京浜 急行なんて固有名詞を出して、わるかったかなぁとか思いながらも。

 心臓病の子供を守る会経由で、メールをいただいたのも、とても嬉しい。全国各地に私と同じように、パソコンを使って友だちを増やしている人がたくさんいるのがわかってきました。コリクツの“パソコンとエレベータ”の時の「パソコンはエレベータのように価値ある機械かしら…?」というつぶやきは、1ヶ月くらい経って、 少しずつ自答できるような気がしてくる。でも即答はやめようっと。

 雪祭りの話に戻って、雪祭り会場での車椅子ボランティアをずっと募集していた。雪祭り会場はやっぱりでこぼこで、ザクザク雪の所もあればツルツルになっているところもあって、おまけに会場は人が混んでいるから、大変だなぁと思う。ボランティアで車椅子を押している人も大変だけど、車椅子に乗っている人だって大変だなぁと。私、車椅子にはほとんど乗ったことはないので、分からないけれど、たぶん、ちょっとのガタガタも座っている人には心地悪いはず。

 でも、寒さも大変さも越えて、やっぱり雪像を見に行くのは楽しいですね。十数年前、私が小さかった頃は、まだそれほど大規模ではなくて、大通り会場のそこここに、かまくらがつくってあって、甘酒をふるまっていたりしていました。もちろん無料で。今はそういうのできないんだろうね。8日、9日は江別のマシュマロン・ピックとスノーフェスティバルです。雪国の冬はホント、楽しみが尽きない。

 いつもお世話になっている、プロバイダ“EBIC”のロゴを私が勝手に作りました。その反響は上々なので、気分も上々。

ebicの青い字は、石狩川の水の流れ、下の緑のラインは私たちの愛する森、原始林の緑。おぉ、ここまでこじつけで切り抜けました。そして、赤いハートは…。ebicが一地方都市の小さなプロバイダということで、人と人がつながって心の通ったネットワークだなぁと感じたから。そして、赤は私が江別の最も自慢したい物、レンガの赤です。むむむ、ここまでこじつけて…いいのかしら。苦しくなってきた。

 ここまで飽きずに読んでくれたあなたには大変感謝します。

 まぁ、こ理屈ですから…、乱文、支離滅裂な思考は勘弁してね。

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1月29日
 ★★★雪の暖かさ★★★

 今日は久しぶりに外は雪で、お昼に起きたときは(お昼に起きてるんですね。全く…)大きめの綿雪のちょっと小さいやつでした。その後見る見るうちに、雪が小さくなって、サラサラといかにも寒そうな雪がしきりに降っています。 きれいですね。

 ここは、Deep-Snow Land なのですが、雪に関する話題は一つも出ていない…。単に自分の名前を、英語に直訳しただけのdeep-snowのなのですが、名前が名前だけに子どもの頃から雪が大好きです。あの白雪姫は SNOW WHITE というらしいけれど、小さいころ私は自分が白雪姫かいや、雪の女王のように思っていました。家の窓辺に寝ころんで、青空の日にふる雪を下の方から眺めるのが好きで。

 寝ころんで空のほうに顔をやって雪が落ちてくるのを見ていると、どんどん空に吸い込まれていくような感じになるのです。家ごと宙に浮かんで空へ向けて飛んでいるような変な感じになります。

 小さい頃は顔を紫色(赤くならないんだなぁ、これが)にして、寒くなっても外で遊んでいました。雪の中に家を造って、周りにスコップやらストックやら今日とった一番大きいつららをさして、くぼみの中でゴロンとしてるのです。そしてお空を見上げるとふわふわと雪が舞ってきたりする私のパラダイスだった。 しかし、ある日、自分の家の前の庭でそうやって遊んでいて、新しいくぼみをつくろうと、モコモコ雪の中を歩いていたら、木の周りですっぽり雪の穴に落ちてしまいました。うちの庭木のオンコの木はこんもりとしていて、その木の根のほうには雪が積もらなかったようで、木と雪間のくぼみにすっかり“く”の字になったじょうたいではまってしまいました。薄暗くて出ようにも出られず、子どもながらに、「しまった…」と思ったけど後の祭り。なにせ“く”の字ですからね。「たすけて〜」「だれかぁ」 声もむなしく、時は流れ去り…。
だれも、家の目の前で、それも晴れた日に遭難するとは思わないから、助けなど来るはずもありません。家の前の道路は細くてそれほど人通りもないし。
「たすけて〜」
首やら長靴やら手袋の隙間から雪が入って冷たい。チビ助の私はもう2,3時間その状態でいるような気がしていました。心なしか、木々の隙間から射す光が薄暗くなってきているような…。「これで誰も気がつかなくて、助けに来てくれなかったら、もうおしまいかもしれない」といろいろ悲しいストーリーを頭でつくりながら、くの字のまま声を出していました。長い時間が経って道路の方で人の気配がして「いまだ!」と思い、「たすけてぇ」と言いました。するとその近所のおばさんが、雪を昇ってきてくれて、「あれ、どうしたの?」なんていわれ、無事救助されたのでした。今思うと、きっとあ1時間も経っていなかったと思うけれど、そのときは必死だった。そのオンコの木は今はもうなくて、うろ覚えなのだけれど、たいした大きさの木ではなかったのでしょうね。

 で、穴に落ちてはまっていたときに、上着から入ってきた雪は冷たかったのだけれど、穴の中は暖かかったのです。風も遮られて、木と土と雪の香りにつつまれていました。

 「雪の暖かさ」言うと、変な感じがしますか? 雪がしんしんとふっているのを見ると、寒くなるでしょうか。
最近、雪をのんびり眺める時間はありますか? 暖かい部屋のなかで、青空なのにふってくる雪を、な〜んにも考えず眺めているのはなんて穏やかなんでしょう。そして、暖かいなぁと感じるんです。
今日は青空ではなかったけれど、久しぶりにのんびり雪なんか眺める気分になりました。 心が豊かに、雪がれていく気がします。

 ここまで飽きずに読んでくれたあなたには大変感謝します。

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1月7日
  ★★★パソコンとエレベータ★★★

 去年の9月と10月に横浜へ行きました。あの大きな都市の大きな駅、横浜駅で私はエレベータか エスカレータかとにかくホームにあがるための機械を探しました。京浜急行に乗らなくてはならな くて、大きな旅行バックをキャリーにくくりつけて引っ張って、ガラガラと音を立てながら、京浜 急行の改札の前をうろうろしてました。結局、エレベータもエスカレータも見あたらなくて、「こ れはやっぱ階段で行くしかないのか」。あきらめてキャリーを少し小さくして、持ちやすくして、 とにかく準備を整えて、深呼吸をして、ホームに出る上り階段をゆっくり昇りました。
 やっと着いた。北海道弁で言えば「なまらこわい…(とても疲れた)」。キャリーに寄りかかる ようにして肩で息を整えます。こんな大都会の駅でエレベータがないなんてさぁ…、でも見つけら れなかっただけかもね。例えば20キロのお米を担いで駅の階段を全力疾走で昇ったら、きっとみん なも肩で息をするかしら…。そのくらいの疲労度だと思います(ちょっとやってみないと分からな いけど)。
 心臓の病気がある私は階段を昇るとか、走るということがチョー苦手。急がば回れが一番なんですけど、どうしてもそこを行かなくてはならないときもあるし。

 そういえば、札幌の地下鉄の東西線は数年前までエレベータがない駅が多かったですね。公共の建物の最寄り駅ですらなかったもん。たとえば道立近代美術館の最寄り駅とか、中央区役所や難病 連センターがある地域の最寄り駅とか。最近はついたみただけど。行ってないからなぁ、美術館。

 でも前から比べればエレベータもエスカレータも設置されているところが多くなってきたと思う。この機械のおかげで、わたしなんかどれほど買い物をエンジョイできるようになったか。以前、お店の入り口が階段になっていて、その店に入るのをあきらめたこともあったけど、最近はほとんど良い感じ。そういう階段のお店って、お客さん一人減らしてるよね。

 それで、1年半前にパソコンを買って、2ヶ月くらい前からインターネットを楽しんでいるんだけど、パソコンを買う前は夢の箱のように思っていました。ちょっと幻想を抱いていた。実際使ってみると、まぁあれば楽しいけどなくても生きていける。

 エレベータはなくてもどうにか生きていける。わざわざ遠出をしてショッピングや美術館や、そういう遊びに出かけなければいい。高層マンションに住まなければいい。でもあればもっといい。 パソコンをさわっていて、同じになるのかなぁ…と考えます。

 聴覚に障害のある人は、遠くの人とパソコン通信で情報のやりとりやおしゃべりができるようになったかもしれない。それから、筋肉や神経の障害のためとかで、うまく話せない人や肢体が思う ように動かせない人にとっても、パソコン通信や、インターネットが役に立っている。家から出ることもままらない肢体の障害のある人が、ホームページづくりを事業としてやっているなんて言う 記事も見たことがあるし…。なんていろいろなケースをあげていくと結構エレベータと同じくらい 利用価値があるのかなぁとも思えてきます。ある人にとっては私にとってのエレベータよりももっ と重要なこともある。それで、いろいろなケースを思いめぐらしているときに、あるホームページで点字が出ていたのを見ました。
 「でもさぁ、点字は凹凸が分からなくては読めないんだよねぇ…」と一人で納得したりして。
 インターネット・エクスプローラの画面に「フォント」とというアイコンがあって、それをクリックすると、文字がどんどん大きくなっていくということに気づいたのはつい最近(ちょと情けないね…)。これで、 「お、お、」なんて言いながらどんどん文字を大きくして遊んでいて、ふと思いました。これはイケると。

 以前、盲学校を見学したときに、もうほとんど視力のないいわゆる盲の生徒さんの他に、なんだか画面に映し出される大きな文字を一生懸命読んでいる弱視の生徒さんがいました。オプチスコー プを使って本を拡大して画面を読んでいたんですね。でもオプチスコープって、個人ではなかなか買えないと思います。そこでもし、その生徒さんのお父さんが(お母さんでもお姉さんでも誰でも 良いけど)パソコンを持っていたら、あの、どんどん大きくなる文字で最大に大きくしたら、家でも本が読めるかもしれないなぁ…と思いました。それで、例えば誰かが自分で気に入った本を、そ のままパソコンに打ち込んで、フロッピーに保存する。それを家で弱視の人が拡大して読む。なんてこともできたりして…。弱視の人の中でも黒に白い文字の方が読みやすいという場合もあるそうで、 そうしたら、html形式でそのように書き換えるのも簡単だなぁとか、想像してました。ただ、本は著作権の問題もあるしそう簡単には複写したりできないでしょうけれど。それに、「○○君、キミ の家にはパソコンがあったよね。じゃあ、明日までにこの本を読んできて感想文を書きなさい」なんて、先生からフロッピーと一緒に宿題も渡されたりしたら、困るしね。
 けれどもこういう思いつきは、とんど全て先に実行されているものだから、誰かがきっとやっているかもしれないし、やった結果思うように行かなかったということになってるのかもしれない。

 あれ? エレベータとパソコンの話だったんだよね。なんだか収拾がつかなくなってきました。 パソコンの教育的利用の研究会を発足しますと言う案内を見たとき、私は以上のようなそんなことを頭に思い浮かべたんです。
障害のある子どもたちの教育を考えると、とことん個別教育であると現場の先生たちは思うそうです。パソコンて、パーソナルなコンピュータだから、これは障害のある子どもたちにとっても、 なにか利用できるかなぁ…。
ということは、どんな子どもでも、お年寄りでも、ちょっと疲れ気味のお父さんでも、最近失恋して立ち直れないお姉さんでも使えるってことですね。エレベータより使えるかなぁ。

 ここまで飽きずに読んでくれたあなたには大変感謝します。

 まぁ、こ理屈ですから…、乱文、支離滅裂な思考は勘弁してね。

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