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  今、ここ、に立つ<丸腰の身体>からの出発
 

―――ラオコオン・サマー・フェスティバルに参加して        大橋 宏

はじめの問い

観客と俳優とが向き合う、今、ここ、から演劇は出発できるだろうか? つまり上演に先立つ戯曲や台本を持たず、丸腰の身体で観客の前に立ち、上演を開始する――もし、演劇が「戯曲(テキスト)を上演する」ことならば答えは即座にノー。演じるべき目標がなくては俳優やスタッフ達は身動きできない。だがもし、私達が演劇に足を運ぶ魅力が「出会い」にあるのだというならば答えはイエス。われわれは一つの動きや声からだって、そこに出会いを見出すことができるはずだ。ならば、ここで提起される演劇は次のようになるだろう。
 <劇から上演が創られ、上演によって劇が観客に伝わる>のではなく、<上演から劇が生まれ、劇によって上演が観客に伝わる>のだ。つまり<今、ここ>で<上演と劇>が同時に創造される。一般的な用例に従い<即興演劇>である。
 

「演劇」を脱ぐ

80年代後半バブル経済が膨張しはじめた最中、また、ベルリンの壁が崩壊していく世界にあって、私たちは演劇上演に際して戯曲やテキストを持つことを放棄した。人と人との直接的な出合いをもう一度0から目指したのだ。日々さまざまな都市的意匠が生産され、無限の消費の欲望が掻き立てられ、都市消費システムに組み込まれていく。「選択することの自由」が自由になればなるほど何も「選択しないことの自由」が不自由になる。その窮屈さに「演劇」を脱ぎ捨てたとき、観客とわれわれが向き合う今、ここ、にあるのは丸裸の空間と身体だけである。この自明性を改めて見出すことが、狭くとも俳優と観客が向き合うこの確かな現実<今、ここ>との係わりを見つけていくことが、われわれの演劇になったのだ。それからアッというまに10余年が経つ。
 前置きが長くなってしまったが、私たち
DAMはこの夏、カンプナーゲル「ラオコオン・サマー・フェスティバル」(8月22日―9月7日)に参加し、昨年秋初演した作品『トマトをたべるのをやめたとき』を上演し、観客とのアフタートークを行った。上記フェスティバルの芸術監督に就任したばかりの鴻英良氏に招聘されたのだ。「グローバリゼーションの時代における歴史と記憶」というテーマのもとに開催された今年のフェスティバルについては、同氏が報告することと思うので、以下、ここでは当フェスティバルにおける私達の<即興上演>をめぐって若干の事柄を振り返ってみたいと思う。 

カンプナーゲル

ハンブルグ中央駅からバスで20分位にある広々とした敷地に聳え立つ「カンプナーゲル」は、もともとはクレーンなど大型鉄鋼機器の製造工場だったという巨大な建物で、その中に大小5つの公演会場、ギャラリー、ライブハウス、大きな工作場と倉庫、そして併設されたレストランを抱え、他、映画上映館、裏手に4階建ての管理事務棟を持つ。一見して豊かなアート環境であることがすぐに感じとれるが、中に入るとすべてが手作りで、余計な飾り気がなく簡潔だ。実際、工場閉鎖(81年)を受け、当初団地建設の予定だった市の再開発計画を延期させながら、徐々に今日言われるところのヨーロッパ最大の前衛的アートセンターにまで成長させていったようで、スタッフばかりではなく観客からも「ここは自分達が育てているのだ」といった自負のようなものが随所に窺える。プログラム面でも「東・西/南・北」からの「他者」たちを積極的に招き入れ、単なる異文化紹介・交流の域を超えた、芸術文化のより現実的な率先性・先見性を開いていこうとする強い姿勢が伝わる。今は独立した組織になっているカンプナーゲルだが、行政と企業、そして市民の監視の眼とのほどよい緊張関係を保つことで、ここの創造性や風通しのよさを生み出しているようだ。

こうした奥行きの中で、われわれを迎え入れようとする彼らの姿勢は実にやさしく“いたれりつくせり”の感があった。滞在中の細かい生活のケアから、舞台の準備まで、こちらの要望を出来る限り聞き出し、それを実現しようと最大限の努力を試みる。有難い。がその反面、それまでのわれわれの舞台準備の方法は全て現場でテストしながら最終プランを決定していくわけだが、2ヶ月ほど前に提出したプランをもとに彼ら優秀なスタッフが用意した完璧なセット組みは、全てが動かし難く最終調整の小回りがきかず、残念な面も残ってしまった。もちろんそれはこちらの見通しの甘さの問題なのだが。

ハンブルグの青空とこの恵まれた支援体制の中で、東京での忙しい生活空間から離れ、舞台だけに集中出来る理想的な環境に居させてもらったわけだが、豊かな国の中の貧しさをバネに演劇してきたわれわれにとっては、何しに来たのかと、一瞬足元をすくわれそうだ。が、それも束の間、準備されたリハーサル室に入ると、われわれの緊張感は一気に高まる。いつも0からの出発なのだから。 

リハーサル 「自由に見る」こと

1865年に建造された劇場建物は、外見は真新しい装いを見せながら、内部には長い歴史の時間が、静かに、ゆったりと流れている。われわれの公演スペース[K2]も、建物の構造や壁、窓等を昔ながらのままに残しながら、照明バトンや観客席はパイプ組みによって仮設設置されている。ガランとした空間が、私の知らないハンブルグの記憶の風景を浮かび上がらせてくる。陰影のある好きな空間。

すでに東京での準備段階から、図面や写真を見て、この空間を出来るだけそのまま使おうと決めていたが、予想どおり、それはわれわれの大きな“賭け”になった。まず、幅25m、奥行き15m、高さ10mという演技空間の大きさだ。即興では初めての大きさだ。

われわれの世話役担当者に「よく稽古するね」と感心されたが、即興上演の困難さは実は「自由に動く」ことよりも「自由に見る」ことにある。今、ここ、で行われていること、それを速度や方向、位置、距離、強度等々といった幾つもの「動きのモメント」に還元し判断し、多様な「相互行為」へとつなげていく。さらに見ることは、眼だけではなく身体的な行為でもある。足音の感覚、歩幅や歩数の感覚、空気の凝縮感だったり。だから空間が違えば、計測値がすべて異なる。一人で行う即興は、自己調整ですむが、集団で行う場合は、その計測感が一旦ずれると、相互の意思疎通が難しく、最後までそれが合わなければ、上演は何も生みださない。幾度となく味わった怖さだ。避けるには経験を積み重ねるしかない。

“賭け”のもう一つは、東京では四方を白い壁に閉ざして行われたこの作品が、このガランとした空間で行った時にこうむるその変容度が許容範囲かどうか、ということだ。があえて、この異郷の記憶の風景の中でわれわれの東京での身体がそこでどのような出会い方をするのか、ズレ、摩擦、調和、無残を生み出すのか?それを見たいと思ったのだ。

 「作品」が「建築物」のような完成品ならばこの空間に同じセットを持ち込んで再現すればいい。が即興上演にとって作品は今、ここ、に来る観客の前で初めて姿を現すことになる。 

上演 「作品性」「動き」について

「では、即興では作品性はどうなるのか」アフタートークでの観客からは、まず作品への戸惑い、そして俳優の動きへの関心が注がれる。「動きはどれくらい決まっているのか」「振り付けられているのか」「観客はどんな存在なのか」等々。「DAMは、観客が通常演劇に抱く期待には一切応えず、そのかわりに演劇上の習慣はしっかりと破るのだ。」(モルゲンポスト紙)既存の演劇がゆさぶられている。

実際「動き」は上演時間1時間15分のうち6分ほどしか決められていないが、しかしあとの未知の時間もその形式面では公式化できるのだ。上記の「動きのモメント」「相互行為」に一定の枠を定めていくことにより、そこに現れてくる情報の量や質を確定する。一回毎の舞台相貌は違っても「作品性」は保持できる。問題はその「枠組み」の中で創造する中身だ。演出や振付によって意味づけられ、理想化された形に身体をあてはめていくことはしない。もちろん、今、ここ、に反応する動きは制度的身体の結果ではあるが、その制約を意識化しバネにしていくとき、身体はそこに堆積する多層な生の断面を開示しはじめる。身体を見つめる視線はエロチックで反社会的で固有だ。公演後何人かの観客達に劇場や街でフイに「動きが素敵だった」と声をかけられたが、彼らの内にどんなリアリティを呼び起こしているのか、それが一番知りたい所だ。が、一方、一新聞評では「動きはただぎこちなく・・・この公演は、なんだか海のものとも山のものともつかないのだ。」(タッツ紙)と散々なおしかりを受けてしまった。 

「沈黙する世界」への応答 

「なぜフランスパンが出てくるのか」「ヒロシマとの関係は」「9.11との関係は」「はじめ、とてもイライラした。でも見ているうちに・・・私自身の現在の状態?を思い起こした。」「意味なんて誰もわかりやしない、今日はそれが見えてよかった」「何も、完成しないことが、一番よかった」「あのパンがあればアフガンの子供達は助かるな」と観客の関心は次第に内容の読み取りから、それぞれの自由な受け止め方に移っていく。

関係を意味論的に読み取ろうとすることは、予想のついていたことだが、今回の上演ではあえて初演時にはない意味表象性の強いシーンを挿入してみた。初演時の舞台はシンプルで強度が強いかも知れないが、その純粋性は見るものの視線を一点にし、ある心象を形成する。この心象形成こそ今拒絶すべきものではないだろうか。「ここで何が起きているのか」そして「われわれは何を見ているのか」「見ていないのか」。見ることの困難さ、あやうさ。この作品に、より“うるさい”ノイズを入れてみることで、昨年の「米同時多発テロ」以降受けたわれわれの“わだかまり”をぶつけてみようと思ったのである。

戦争とはつまり身体を奪う暴力なのだ、というならば、すでに暴力がわれわれの日常そのものになっている。一方で物質的実態を持たない仮想世界が広がり、その一方で他者を排除する同質世界がますます閉じていく。身体は行き場を失い、その事態を前に、どのように身体を見出せるのか。それは決して実体的な身体ではないだろう。今、ここ、と言う場に錯綜する無数の他者の視線、その網目に残された余白を見つけ出しながら身体を投棄していこうとするとき、身体は切れ切れになり、明滅しながら、錯乱する――それが90年代中頃から現出してくる身体現象を「錯乱する身体」として読み解こうとする鴻氏の意図に沿ったのか、どうか。それはわからぬが――・・・投棄され続けていく身体のかすかな残像に、どんな意味を読み取ることができるのか?切迫する事態を前に、だが、性急な答えを出すことは危険だろう。むしろ高まるわだかまりの喧騒の中、自らの身体の内に広がる宇宙的沈黙感にその残像を発信しつづけていきたい、そう希望するのだ。

根強く残る堅牢な近代演劇の壁も、随所でいたみ、制度疲労をきたしはじめている。ここハンブルグでも実感する。かつてフロイトが、夢に意味がないのではなく、それを理解する方法(言葉)がないのだ、と言っていたが、即興演劇が今日的な地球変化に提起している問題が何なのか、新たな劇的想像力が求められよう。この舞台を最後まで見届けてくれたお客さん達に感謝し、まだ始まったばかりのこの旅がサイバースペースの中の「大衆芸能」になる日まで続けていきたいとそう思っている。

 
セゾン文化財団ニュースレター『viewpoint』2002.11号より