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【連作『夢』第3番】1995/3  (チラシより)

夢の面白さは、その内容にあるというよりも、どうしてそんな出来事が生まれるのか、その理由が分からないという点にある。物語ならば、どんな言葉や行動も全体の中で理解することができよう。だが、夢の言葉や行動はその全体が見えてこない。個人史や人類史の中に、あるいは宇宙の何処かに、全体は隠されているのか? (そんな問いは学者に任せて)むしろ私は、夢の“わからなさ”をそのまま受け止めようと思うのである。不可解ゆえに夢はまぎれもない驚きの体験だ。その驚きこそ、もう一度演劇の真芯で受け止めてみる。物語や行為の理由がなくても、“わからなさ”は自らの行為の立派な動機になる

今そのことに自らを熱してみたい。それは、不可解さへの挑戦などというカッコいいものではない。むしろ現代は“不可解な存在”を切り捨てていく不安がある。そして、壊れた茶碗のカケラがその全体を想像させるように、不可解な断片を断片として生き直すことにより私たちの生の全体が見えてくるのを願うのである。
夢は、不意に脳裏に現れるゲリラのようなものだ。
彼ら相手の戦いは、たったの2年間(実験演劇シリーズvol.11〜16/当連作『夢』第1〜3番)で決着がつくようなものではないことが分かってきた、どうやら長期戦だ。
ひとまず休戦、休戦だ!
(が、彼らは今夜も私を狙ってくるだろう。畜生!)
それでは皆様また<夢>で会いましょう。