▼戻る |
DA・M 日韓共同創作公演2015
「ドン・キホーテ」についての10のことがら
|
|
「ドン・キホーテ」と言って、「うん、よく行くよ、新宿の歌舞伎町のやつ」。違う。オレが言うのは、ミゲル・セルバンテスのやつだ。風車を悪魔の巨人と言い張って突撃する騎士。その愚かな主人を、アタフタしながらも心より慕う従士サンチョ・パンサ。これだ。太陽の沈むことなき大帝国スペインの落日の日々、牢獄で構想されたという妄想する郷士の遍歴物語。それが四00年にわたり聖書に次いで世界中で読み継がれている。熱情の美しさなのか、社会や聖職者への風刺か、あるいは人間の理想と苦悩への共感なのか? その全てにわたるユーモアとアイロニーは時々の読者に向けられた昏睡中毒症解毒剤にちがいない? そう、オレもこの解毒剤をこれまでに度々使用してきた。自ら信じる正義を実現しようとする輩が「ドン・キホーテ」ならば、今、地球上いたるところ沢山の「憂い顔の騎士」が火の手をあげている。正気か、狂気か、悪魔の仕業か? ひさびさの「ドン・キホーテ」。これまで以上に手強い。すんなりと彼を招くわけにはいくまい。なわけで、助っ人たちが海を越えてキムチ土産にやってくる。 |
||
|
||
中島彰宏
1973年横浜生まれ。2000年より劇団DA・Mに参加し国内外の全公演に出演。またプロト・シアターの運営と共に、Asia
meets Asiaにてアジア共同作業を継続する。ソロ公演やアーティストとのコラボレーションも行っている。かつて私の騎士は、街のネオンにブルーライトヨコハマを口ずさんでいた。.
小椎尾久美子
大阪・神奈川育ち。高校時代より踊りはじめる。現在所属ユニット「Bebe⇔ビビ」他、映像作家や衣装デザイナー、写真家などとのコラボ作品等に出演。2011年Asia meets asia、DA・M初参加。闘うことをこよなく嫌う。やんごとなく運の巡りを待ち続ける騎士の舞台は?
原田拓巳
東京生まれ。1984年舞踏家宇野萬氏に師事。1990年からソロ活動開始。以後、多数の舞踊、演劇、映像作品に出演。2000年代から劇団「DA・M」、「アジア・ミーツ・アジア」に本格的参加。〜おそらく、郷士キハーテが旅を決意した年齢とさほど変わらないことに気づく、静かな狂い咲きの中年男に彼の騎士は何を囁くのか。
中原百合香 東京生まれ。2歳で初舞台、踊りはじめる。舞台、映像作品にて活動。多様な振付家作品に参加。近年、演劇作品にも関る。2010年ダンサーと役者編成の”PINKBLUE”を主宰、全作品の構成・演出・振付を行う。ヨガ講師もしてる。私の騎士は、いつも、慎ましく図々しい新参者だ。
Baek Dae Hyun
白 大 鉉 1998年より劇団Han-Gangに参加。社会問題をテーマに、即興を取り込んだ舞台創作を続ける。2007年、釜山にて労働文化芸術活動グループに参加。その後、より深い実験的活動を目指し、2008年に “Theater Playground Shiim”をHong氏と創設。Jil Alon(イスラエル)、王墨林(台湾)の演出による作品を手掛ける。2014Asia meets Asiaに参加。私の騎士は、希望の盃に溺れいつも酩酊している。
Hwang Ji Sun
黃 池 鮮 彼女は舞台美術家であり女優である。2001年に劇団Jagalchiに所属。2002年から多くの舞台に舞台美術家として精力的に手掛ける。同時に、韓国伝統舞台芸術の研究にかかわり今年春修士課程終了予定。荒野の十字路に立ち続ける騎士が好きだ
Hong Seung Yi
洪 承 伊
20代、彼女の心は労働者の作業服の青と旗の赤に染まっていた。30代中ごろ彼女は世界に沢山の色があることを知る。そしてTheater
Playground ‘Shiim’を創設した。そして今、彼女はその体が人間の繊細な色に染められ、再び生き物として空になることを期待している。愛に跨り虹を超えていく甘美な騎士を夢みる。DA・Mには2012年より参加。2014年「羊の住処」東京・釜山公演に参加。 |
||
。 . |
||