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剥き出しのカラダを示す―Random Glimpses/でたらめなわけ2

宮田徹也/日本近代美術思想史研究

 DAM演劇公演は四年ぶりとなったのではあるが、監修・演出の大橋宏は「何年前も昨日も過去としては同様だ」と私に語ってくれたように、この公演は何も災害に対して発想したのではなく、上演する日がたまたま今日に訪れたに過ぎない。 

DAM演劇の魅力の一つに、様々な方面で活動している出演者が集っていることにある。中島彰宏とYu Kai、若林カンナは演劇、小椎尾久美子はコンテンポラリーダンス、原田拓巳は舞踏、大澤竜太はアートパフォーマンスである。 

今回の公演ではそれに加えて、四人四都市の映像作品をビデオパフォーマンスのヒグマ春夫がまとめて投影したことも魅力だ。Archana&Pervezはインドのバンガロール、Feng Ziは中国の上海、Mahmood Salimiはアメリカのコンコード、Ahmad Zia Muradはアフガニスタンのカブールと、それぞれの街をそれぞれの視点で捉えている。 

舞台には椅子二脚と洗面器が置かれ、左壁面には空き缶、衣服、化粧品、小型カセットデッキ、後方壁面左には鉄板、右壁面奥には六連の蛍光灯、手前には大型カセットデッキが置かれている。 

客席のライトが開場そのまま、四人が次々と舞台に登場し、奇怪な行動を繰り広げる。小椎尾は《Over The Rainbow》を変形させて歌い舞い、中島は洗面器で顔を洗っては鏡を見ながら髪を撫で、Yuは縫い物をしながらドライヤーを銃のように構え、原田は只管に彷徨い続ける。四人は擦れ違うことはあっても決して接触することはなく、他者の存在を見失うが如く続ける。時折暗転し、床に矩形のライトが当てられる。この時間の帯は40分を超過した。大橋が区分をつけてはいないのだが、此処を第一景とする。以下同様。 

客席から若林と大澤が立ち上がり、舞台へ向かう。折りたたみ椅子を16脚舞台前方に並べ、その位置を前後しつつ固定して二人は座り、四年前の壁、最近の出来事と、全く脈絡のない話を個々に話しては移動する。二人は椅子を倒しては直す行為を繰り返す。壁際に佇んでいた第一景の四人が立ち上がり、自己が使用した道具を片付けはじめると映像が投影され、第二景が終了する。 

第三景は、左右奥の三つの壁面一杯に映し出された映像である。何れの街も明確に映し出されるという「風景」にはならずに、人間の営みといった抽象的な側面に焦点が当てられた「光景」と化している。第二景の二人は沈黙し、第一景の四人が三つの映像と錯乱した椅子の間を通過する。ここだけの声の出演のFeng Ziと原田が読み上げた英文は、おそらくパンフレットに記載されている各映像作家のモチーフであろう。街のモノクロ写真が高速スライドされるヒグマの映像を経て、この景は終了する。 

第四景では、第一景の四人が片手を掲げる動作をモチーフとして激しく身を絞り込んでいく。第二景の二人は左右壁面の椅子に離れて座り、会話にならない呼応を繰り返す。この二人が舞台を去ると、四人は背を向けて後方壁面右側に横並びとなる。照明が落ち、右の蛍光灯が恣意的に点滅する。四人は交互に奇声を発するのではあるのだが、個人という人間が消滅していく。75分の公演であった。 

これほどまでに、見ている時と終わった時の印象が変化する公演は、私にとっては珍しい。公演後、中島が最後のシーンは瞬きのイメージがあることを教えてくれたのがその機運となっただけではないだろう。私は六人の動きを追っていたのであったが、大橋にとってそれがカラダであることに私は気が付いたのであった。 

第四景が瞬きという瞬時の空間であるとすれば、第一景は持続する、私が生きている時間である。その逃れられない帯を充分に意識させてくれたのであった。第二景によって私は舞台上に乗せられたのではなく、舞台と客席が転倒したのであった。私は置き換えられたのではなく、第一景と等価になったのだ。第三景に於いて私と出演者は同じ空間に吸い込まれる。時空が無化された、虚構という現実の空間に。そして第四景が訪れ、私も出演者も消滅し、「海が溶け合う太陽」のような永遠の空間へ放り出されていったのであった。 

更に細かく見れば、第一景で各出演者は自己の体に纏わり付く束縛を解き放とうとしているように感じた。特に原田は舞踏者として特筆されるほどの存在であるから、私は見ている際に原田が何をしようとしているのかよく解らなかった。しかし振り返って考察すれば、原田は舞踏という自らに染み付いている存在と格闘していたことに納得する。 

同じことはそれぞれにも言える。この公演は個々の動作や踊りや所作を見せることが主眼ではなく、現在の人間の形、カラダを曝け出すことにあったのだ。そのためフォルムやメソッド、テクニックを追うという、批評家としての私のカラダが通用しなかったのだ。 

このカラダに、日本やアジア、世界といった場所と言葉は必要がない。このような公演をどのように定義すればいいのか。DAMが「脱演劇」を標榜している如く、ダンスでも演劇でも何者でもない、定義する必要のない時空間を形成する/したことが、ここで明らかになったのであった。 

このような工程を発見することにも、莫大な時間が必要となる。私は私のDAMに対する意見が今後大きく展開することを自ら希望する。上演によって私に植え付けられた種は私の中で育ち、秘められた姿で再び意識の上に上がって来るのであろうから。そこで私はやっと消滅することが可能になるのだ。