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’05-’06 DA・M連続公演 八重樫聖ソロ

SとCの隙間とカケラ Vol.1 (原作/『小間使い日記』オクターブ・ミルボー)

『小間使い日記』

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■靴偏愛の主人 9月14日 

主人の眼はあたしの編み上げ靴の上にしつこく注がれていた。

「他のもあるかい?」
「他の名前でございますか、旦那さま」
「いいやさ、他の靴だよ」
「はい、旦那さま、他のもございます。」
「ニス塗りの?」
「はい」
「よく。よく塗った?」
「さようでございますとも」
「黄色い革のは?」
「持っておりませんの、旦那さま」
「そりゃあ持ってなくっちゃ、私があげようよ」
「ありがとうございます」

「私はね、女が自分の靴を磨くなんて、当を得たもんじゃないと思っているんだよ。まして私の靴なんてもっての外だ。私はね、女を大いに尊敬しているの で、ねえ、マリイや、そういった事を大目に見とくことが出来ないんだよ。で、この私が、お前の靴、お前の可愛い靴、お前の大切な可愛い靴を磨くことにし よう。私がその世話をしてやろう。ねえ、よく聞き分けておくれ、・・・毎晩寝しなに私の部屋に、お前、靴を持っておいで、それを寝床の傍の小さなテーブ ルの上に置いとくのだよ、そして毎朝、私の部屋の窓を開けに来ながら・・・持ってお帰り。」

「どうしたのさ、私の頼みはそう大したことじゃないよ・・・何にしてもごく自然のことさね・・・ねえ、並外れたことじゃあるまい・・・それとも、そんな に並外れたことかしらねえ。ええ。」

「なぜ黙っているのさ。マリイ・・・何かおいいよ・・・なぜ歩かないんだい・・・ちっと歩いてごらんお前の可愛い靴の動くのが・・・生きているのが見えるようにさ。」
「ああマリイ・・・マリイ・・・お前のかわいらしい靴を・・・おくれよ、すぐに・・・すぐに・・・すぐにさ・・・すぐ欲しいんだよ・・・おくれよ」

主人はひざまづいて、あたしの靴に接吻し、熱に浮かされているような、可愛さにぞくぞくしているようなその指で、靴をこね廻し、紐を解いた。・・・それ から、靴に接吻したり、こね廻したり、撫でたりしながら、嘆願するような、泣く児のような聲で言った。
主人の眼と言えば、赤い筋のある二つの小さな玉が見えただけ。口一杯、石鹸のような涎に汚れていた。
四日あと、主人が死んだ、私の靴の片方を嚼んで死んでいた。
    

■駱駝の私 9月26日 

いちいち、奥さんは二つの階段を上り下りさせる。下着部屋に座って、息をつく暇もありゃしない。・・・リン、リン、リン・・・また立ち上がって出かけね ばならない・・加減が悪かろうがおかまいなし・・・リン、リン、リン・・・ここのとこあたしは腰が傷んで、身体はおり屈ませられ、腹を捩られ、怒鳴りた いくらいなのに・・・リン、リン、リン、・・・そんなことお構いなし・・・たとえ倒れかかりそうになっていても・・・リン、リン、リン・・・さて呼ばれ て、ちょっとでも行くのが遅かろうものなら、頭ごなしにやっつけられる。

「どうしたの?・・・一体、何をしているんだね・・・聞こえないのかい・・・唖なのかい・・・三時間も呼んでるじゃあないか・・・ほんとに手が掛かるっ たらありゃしない。いつも次のようなことが起こる。
「リン、リン、リン」
そら来た!バネではじかれたように椅子から飛び上がる。「針を一本持って来ておくれ。」
あたしは針を取りに行く。
「よろしい・・糸を持って来ておくれ」それで糸を取りに行く。
「よろしい・・・ボタンを一つ持って来ておくれ。」
またボタンを取りに行く。
「何だね、このボタンは。このボタンをいったんじゃないよ・・・解らずやだね・・・四号の白いボタン・・大急ぎだよ。」
そこであたしは四号のボタンを取りに行く。心中どんなにか奥さんをのろい、怒り罵ったか・・・この往ったり来たり、上下している間に、奥さんの気はころ りと変わって他の品が入用になるか、または何もいらなくなる。
「いらないよ・・・針とボタンを持って行っておくれ・・・暇がないから。」


■奥さん 9月14日 

「ねえあの娘や、これにはよく注意しておくれよ。大変立派なものなのだから・・・それに極珍しいもので、値段も高いものなのだからね、あの娘や。」

「あの娘や、知っておいでだろうが、このランプはね、そりゃあ高いんだよ。それに英国でなけりゃあ治らないんだよ。気をつけておくれ。お前の眼のように ね。」

「お前、きれい好きかい・・・あたしはね、きれいということには喧しいんだよ、他のことは気にしないが、きれいということになると、中々承知しませんよ」

奥さんの飲むものは、オブラート、シロップ、劇薬性水薬や丸薬だとか、薬ばかり、これは食事の度に、奥さんの皿の前に置くのを忘れてはならない品物。
  
■椅子の上 9月18日 

それをきっかけにまた憎まれ口が始まったのだが、それからそれとに仕切りなしにまるで下水からのように汚物の波がそこの女たちの口から吐き出される。店 裏は、その悪臭に芬々としているよう。部屋は暗く、人の姿が奇怪な形に見えるので、それだけ強く痛ましい印象を受ける。明かり取りと言っては、狭い窓が 一つきり、それも厭らしく苔に覆われた壁に囲まれた井戸のような湿気て汚れた中庭に向かって開かれている。塩粕とむれた野菜と塩漬けの鰊の臭いが四辺に こびりついていて、それが着物にしみ込んでくる。とても鼻持ちならない汚れた下着の包みのように椅子の上に重なったこの女たちは、銘々懸命に、犯罪を語 り猥談を試みている。卑怯にもあたしは、その女達と調子を合わせ、笑ったり拍手したりしていた(が、心の内には、何か押さえ切れない、恐ろしい嫌悪を感 じていた。吐き気が胸をひっくり返し、ぐんぐん喉元に迫り、口中をにちゃにちゃさせ、顳かみを締め付けてくる。逃げ出したかった、が、そうも行かないの で、)馬鹿になって他の女達と同じようにだらしなく椅子にかかり、同じ身振りをして、聞きづらいその女達の聲をぼんやり聞いていた。実際、その聲は、流 しや下水桶からぶくぶくばしゃばしゃ流れ落ちる洗い物の水のよう。
                                     
□オルガン 9月18日 

可笑しなことだがオルガンがないとあたしにはどうも祈れない。オルガンの歌を聴くとそれはあたしの胸に満ち心を一杯にし、あたしを全くあるものにする、 まるで恋する時のように。いつもオルガンの声を聞いていたら、あたしは罪を犯すようなことはしまい・・・この会堂では、オルガンの代わりに青色眼鏡をかけ肩に小さな黒いショールをかけたお婆さんが、内陣で調子の狂った肺病病みめくピアノらしいものを、危ない手付きで叩く

■姿見の前で 9月15日

(化粧室に入ると、仮面は小気味よくはがれてしまう!あのいかめしい壁が、てもよく亀裂が入って砕け落ちること!)あたしは前におかしな癖の女に仕えた ことがあった。朝肌着を着る前と、夜肌着を脱いでから裸のまま、姿見の前に立って、数十分間しげしげと自分の身体を眺め廻すのである。それから胸を張 り、首を後ろに反らし、ツト腕を上へ挙げ、貧弱な肉片のようにぶら下がっている乳を少しばかり持ち上げ
「セレスチーヌ、見てごらん、まだしっかりしたものだろう。」

肌着を脱いで被いや支柱が除れてみると、その身体はねばねばした液体となって敷物の上に広がって行きそう、お腹も腰もお乳も、しぼんだ革袋か空っぽのポ ケットのようにだぶだぶと脂だらけの皺ばかり、お尻は無性にぶかぶかして、とんと古海綿の穴の空いた表面、とはいうもののこんなに崩れた形の内に、どこ かある色香が、それも、もの悩ましい色香が残っていた。美しかった女、恋に命を投げ与えた女の色香の名残とでもいおうか、老けて行く女の多くが罹る宿命 的の盲目から、この女も亦、自分の取り返しのつかない衰頽に気がつかずにいた。身仕舞に念を入れ、媚態をつくして今日もなお恋を呼ぼうとする。してこの声に駆け寄る恋は?ああ、何というもの憐れさ!奥さんは時々、夕食前に息せき切って、少しきまり悪げに帰って来ることがあった。

「さあ早く、早く!遅れてしまった・・・着物を脱がしておくれな。」
どこから帰って来たのか、この疲れた顔付、黒く縁どった目、まるで何かの塊のように化粧室の長椅子にぐったり倒れるほど憔悴して、あたしの疑いを避ける ため、呻いて言った。

「どうしたのかさっぱり解らないが、何でも突然、仕立て屋で卒倒したんだよ、それで着物を脱がせられたの、まだどうもはっきりしない」

あたしは、大抵気の毒に思って、この馬鹿らしい逃げ口上を真に受けているような顔をしていた。

■モルモットをしめる

10月1日

マリアンヌは日ましにあたしに打ち解けて来て、その夜は自分の少女時代。苦しかった若い時代の話をしてくれた。それから、カアアンのタバコ屋に女中奉公 していた頃、ある病院の代診に操を破られた話もした。代診は、華奢な、痩せぎすの、金髪をした青年で、目は青く、絹のような、短い、先の尖った鬚をつけ
ていたそうだ。そのうち身重になる。タバコ屋の奥さんはマリアンヌを追い出してしまった。若い身空を、お腹の子供を抱えて、大都会の敷石の上に投げ出さ れたのだ!男は金がなかったので、女は貧苦に追われた。とど、あの代診が医学校にヘンテコな口を見つけてくれた。
「ほんとに、ヘンテコな商売だったよ。ポラトワールで、私ア兎を殺していたんだよ。モルモットの子をしめていたのさ。面白かったよ。」
この思い出は、マリアンヌの厚い唇に、ある微笑を誘い出したが、それがあたしには寂しく見えた。一寸した沈黙のあと、あたしは尋ねた。

「で、子供は?どうなったの?」

マリアンヌは、曖昧な、漠然とした身振りをしてみせた。まるで、自分の子供の眠っている冥府の重い帳を取りのけようとするような・・・そしてアルコール でしゃがれた声音で答えた。

「子供をどうしたって言うのかい?」
「じゃ、モルモットの仔のように」
「そうさ」
そういってまた杯にブランデーを注いだ。

■父の回想 九月二十八日 

 母さんが死んだ。今朝、国からの手紙で知った。母さんにはいつも打たれどうしだったが、でも、あたしは悲しい。あたしは泣いた。おもいさま泣いた。
 づぶろくでんに酔っぱらった母親と一緒にいるのはやり切れなかった。それだのに、不意に今死んだと聞くと、心は寂しさに鎖されて、今までになく独りぼっちの感が深い。)

 (P110)
不思議なほど、はっきりと、自分の子供の時を思い出す。人生の辛い修業を始めた頃の周囲の事柄、人間なぞが目に映る。この世では、余りに幸不幸が片寄り過ぎている。まったく人生は、不公平なもの。
 ある夜、今でも覚えているがーまだ極く幼けない頃のことー救助船の汽笛の音に目をさました。嵐と闇のうちに響く注意を呼ぶ音は、まことにものあわれなものであった。その前日から風は狂おしく吹き荒んでいて、港の浅瀬のところは、真白に波立っていた。無事に帰り得たランチは僅かなもので、そのはかは、紛れもなく危険に瀕していた。
 父の魚場は、サン島の近海と知っていたから、母は大して心配もしないで、毎度の例によって、島の港に寄ったことと期待していた。でも、救助船の警笛を耳にすると、色を失って、ふるえて立ち上がった・・・急いで毛の大きなショールで私をくるむと、波止場の方へ飛んで行った。もう大きくなっていた姉のルイズと、それよりは小さな兄とは、母の後ろを口々にこう叫びながら追って来た。
 ーああ聖母さま!イエスさま!
 すると母も叫んだ。
 ーああ聖母さま!イエスさま!
 狭い小径は人で一杯。女もいれば老人もいる。子供もいた。船の凄まじい軋みの聞こえる岸の上には、あわてふためいた人々の影が、忙しげに動いていた。けれど誰あって、波止場の上には立っていられなかった。風は強かったし、殊に波が、波止場の敷石の上に崩れ倒れては、大砲のような轟を立てて端から端まで洗い流していたのだから。母は小径を進んだ。(聖母さま・・・イエスさま!)そう叫びながら、浦づたいに燈台へ続く小径を進んだ。陸も海も真暗で、時々、遠く、燈台の光芒の中に、大きな波頭、濤のうねりが白く見えた。あたしは、身の動揺、吹き募る風をよそに、却ってそれにあやされていると云った具合で、母の胸の内に睡ってしまった。目ざめると、天井の低い部屋にいた。見ると、蔭った背や、陰鬱な顔、絶えず動いている腕の間に、二本の蝋燭に照らし出されて、一つの大きな死骸が急造の寝台の上に横たわっているのが目に入った。(聖母さま!イエスさま!)・・顔は砕かれ、手足は血の滲み出た傷痕や青い斑点に被われた、硬ばった、長い、裸かの恐ろしい死骸、・・それはあたしの父だった。
 今でもその姿は目に残っている。・・髪の毛は頭蓋に密着し、それに縺れた海藻は、とんと冠り物のよう。男達は、その死骸の上に身を屈めて、暖めたフランネルで皮膚を擦ったり、口から息を吹っ込んでいた。町長さんもいれば、牧師さん、税関長、水上警察のお巡りさんなぞもいた。あたしは怖かった。襟巻きからもがき出ると、湿った敷石の上のその人達の脚の間を駆け廻って、父を呼び母を呼びはじめた。隣のおかみさんがあたしを連れ去った。

■ジョルジュの思い出 10月6日 

ジョルジュさんは長椅子の上、あたしは、小さなテーブルの傍に腰を下ろしていた。テーブルの上の笠の下で燃えてるランプが、二人の周りに淡紅色の和だやかな光を樣わしていた。二人とも口を利かない・・いつもよりジョルジュさんの目はキラキラしていたけれど、でも、心はずっと静かなようだった。ランプの淡紅色の反映が、顔色を輝かしく染め、光の中に、その美しい顔の線をくっきりと描き出していた。あたしは、針仕事をしていた。
 
(p172)
あたしの接吻は、何か恐ろしい、酷く罪になるようなものを持っていた。ジョルジュを殺しつつあると知って、あたしは、自分も、同じ幸福、同じ病気に死のうともがいた。思い切り良く、あたしは、彼の命と自分のとを犠牲にしていた。さらにさらに、二人を恍惚の底に引き入れる激しい粗々しい興奮を以て、あたしは、ジョルジュの口から、死の息を吸い死を呑んだ。そして、その病原菌を自分の唇に塗りたくった。ジョルジュが、常より酷く咳き込んだことがあった。と見る間に、その唇には、汚い血に染まった唾が、もくもく泡立って来た。
ー頂戴!頂戴!頂戴!
 あたしは殺人者のようにがつがつと、生の興奮剤でもあるかのようにそれを呑み込んだ。


■セレスチーヌの生立ち

9月28日 

この時から、母はお酒に身を浸すようになった。最初は、鰯缶詰工場で働こうとしたのであるが、何しろいつも酔っていたので、どこもぢきお払い箱。それからは、陰気な口喧しい人になって、ただ酒浸りになっていた。そしてブランデーがすっかりまわると、子供達を殴るのであったが、よくまア、あたしを殺さなかったことと思う。
 あたしは出来るだけ家にいないようにした。毎日、波止場で悪戯をしたり、畑を荒らし廻ったり、干汐時には水溜まりの泥の中をガバガバやったりして、日を送った。またある時は、ブロコブ街道の、雑草の茂った丘の奥、海風も通らぬ、灌木の密生した場所、野薔薇の間で、男の子達と悪戯をした。
 酒代を得るために、母は身を持ち崩した。夜になると、決まって、家の戸を叩く微かな音がした。水夫が入ってくる。部屋中を塩と魚の強い臭いに満たしてしまう。
 十歳の時に、あたしはもう純な者ではなかった。母の悲惨なお手本に依って、「恋」の手解きを受け、男の子達と戯れた悪さに依って毒され、あたしは肉体的に酷くませていた。十一の年には、はや青春の悩みを知る身になっていた。十二歳には、すっかり「女」になりきって、そして最早、無垢の身では無かった。策略も無く、無邪気にそうした罪へ導かれて行ったのだ。ある日曜の、大彌撒の後、年とった、毛むくじゃらな、牡羊のように臭い、顔といったら、無精髭に埋まっている、鰯缶詰工場の職工長が、濱づたいに、サン・ジャンの方へあたしを連れて行った。鴎が巣食ったり、時には水夫が海で拾った漂流物を隠す、断崖の蔭。男の名前は、クレオファス・ビスクイユという変な名だった。醜男で、粗暴で、嫌な奴で、それに暗い岩屋へ四五会も連れ込まれたが、それなのに、どう云うものか、嫌ったり呪ったりする気になれない、それどころか、喜んでその思い出に耽り、感謝の念さえ味わう。二度とあの海藻の匂いのうちの男を見ることがより出来ないと思えば、心からの名残惜しさといったものを味わう。