+女王様的料理+
ぴちゃん。
雨が降っているのでしょうか?
いえ、ここは移動要塞・百足の最深部。外の音なんて、ほとんど聞こえてきません。
突然、耳に入った水滴の落ちるような音に、まどろんでいた躯は、うっすらと目をあけました。
大きな大きな寝台から、ゆっくりと体を起こすと、ドアの前に人影が立っているのが見えました。
躯の部屋に断りもなく入る元部下といったら彼しかいません。
心地よい炎の妖気に、口元が綻んでしまいそうなのをなんとか堪えると、躯は彼に話しかけました。
「飛影。」
彼――飛影は、つかつかと躯の寝台の前に行くと、不機嫌そうな顔で躯を見ました。
不機嫌そうな飛影・・・は、いつものことです。が、彼は濡れネズミで、トレードマークともいえる黒のコートからは、水滴がぽたぽたと落ちていました。
「雨が降ってるのか?」
躯がそういうと、彼は「ああ。」とそっけない返事をしました。
飛影はいつもより、不機嫌度が2割増しくらいです。
躯は、ふっと口角をあげて苦笑いすると、いつものように聞きました。
「今日のパトロールはどうだった?」
・・・・・。
少し沈黙してから、飛影は口を開きました。
「いつもどおりだ。人間も滅多にふってこないからな。」
「そうか。雨の中ご苦労だったな。」
一応、躯はねぎらいの言葉をかけました。
「ふん。雨が降れば足場が悪くなる。元気になるのは凶暴な魔界植物くらいだ。」
飛影は、ため息をつきながらそういうと、よろよろと、部屋の脇にあるソファーに向かって歩き出しました。
飛影は、水を吸って重くなったコートを放り投げて、ソファーに横になると、すぐ眠りについてしまいました。
「・・・・・。」
その光景を見ていた、躯は
濡れたまま寝てやがる。あのままじゃ風邪ひくぜ。
と、思いながら、自分の体にかけていたケットを飛影の体にかけてあげました。
「まったく、世話のかかる奴だな。」
ちょっと悪態をつく躯でしたが、内心はどんなに疲れていても、自分に会いに来る飛影に愛しさボンバーなのでした。
2日ほど、遠出してパトロールに出てきたせいか、今日の飛影はいつもより疲労しているようです。
「・・・ふむ・・・・。そうだ!!」
こんこんと深く眠る飛影を見つめていた躯は「イイコト」を思いつきました。
イイコトって?それは、お楽しみ・・・。
久々に思いついたイイコトに、躯はほくほくしながら、百足内のある場所に向かいました。
緊急事態!!緊急事態!!
躯がある場所へ向かったのをきっかけに、躯の部下達の中で厳戒態勢がしかれました。
そして、瞬く間に、それは部下たちの間に知れ渡り、まるで天変地異の前触れとして、動物達がその場から逃げ出すように、躯の部下たちのほとんどが、百足からパトロールと称して、姿を消したのでした。
さて、躯の向かった先は・・・。
ぐつぐつぐつ・・・・。
これは、あの白雪姫の魔女が毒りんごを作り出した液体でしょうか?
そんな、禍々しさを秘めたモノが、土鍋の中で煮立っています。
「ふっ。なんとか様になったな。狐光が鍋なら失敗がなくて、栄養もばっちりだといっていたからな。」
おたまを片手に、満足そうな躯が立っていたのは、人(というか、妖怪?)が一人もいない
百足内の厨房。
辺りには、彼女が散らかしたと思われる、分厚いにんじんやらイモ類の皮(+身の部分)やら、あやしげな薬草のあまりやらなどが散乱していました。
土鍋の横には数種類の調味料。しょうゆに味噌に、酢に砂糖、みりんに酒・・・うんうん。ちょっとはまとも・・・え!?カレーのルウ??キムチの素まで・・・。とまあ、いろんなものが並んでおりました。
そろそろいいか。
躯は、コンロの火を止めると、土鍋に蓋をして、飛影が寝ている自分の部屋へ向かいました。
数分後、厨房には実験マウス・・・・ではなくて、試食者が3名集まりました。
メンバーは寝起きでボーっとしている飛影と、顔面蒼白の奇淋、緊張した面持ちの時雨でした。
最初は、飛影だけにふるまう予定だったのですが、飛影を呼びに行く途中の躯の視界に入ったがために、他の二人は「ちょうどいいから」と引っ張ってこられたのです。
躯は、厨房の中央にあるテーブルに深めの皿を並べると、その前に、土鍋を置いて、いいました。
「さあ。日ごろ、疲れてるお前達への労いだ。どんどん食べてくれ。」
主の命令は、絶対服従。
それを貫いてきた、奇淋と時雨にとって、その躯の言葉は「死刑宣告」のように響きました。
鍋からは何とも言えない臭気が漂い、中にはアオミドロが異常繁殖した沼のような・・・(まあ、青汁のようなとしておきましょう。一応、料理ですし)色合いの、液体がたっぷり入っていました。
何も知らない飛影でしたが、例の鍋を目の当たりにして、なぜ奇淋と時雨が激しく動揺しているのかわかりました。
うっぷ・・・。匂いをかいだだけで、襲ってくる吐き気をなんとか堪えつつ、はしを持った三人。戦闘をする時以上の緊張感を感じながら、ブツの入った皿に手を伸ばしました。
※注)『』の会話はすべて、小声だと思ってください。
『いいか?汁は飲むな。即、お陀仏だぞ!!』
はしを持った瞬間、そういった奇淋に、時雨は感心しながらいいました。
『さすが、奇淋。ポイントをおさえているな。』
『・・・・。ごりっ』
『飛影、どうしたのだ?』
『ぺっ。この具、生だ・・・。』
口に含んだ具を吐き出した、飛影に
『口に入れられたのか!?』
と、奇淋は驚愕しました。
『・・・舌が麻痺している・・・。最初、香辛料のような刺激のある味がしたかと思うと、あとから凄まじい苦味が・・・。』
『・・・意外と挑戦者だな。飛影!』
『奇淋、感心している場合ではないぞ!!ほかに攻略する方法はないのか?』
あせる時雨に促され、奇淋はしばし考えながら攻略法を話しだしました。。
『とりあえず、食べられそうな具を探す!!』
『どうやって?』
『はしを突き立てて、具に刺さるかどうかだ。』
『なるほど・・・。』
『口に入れるときは、息を止めるのもポイントだ。』
一通りのポイントを述べた奇淋に、飛影は、疑問を投げかけました。
『・・・奇淋、なぜそんなに躯の料理の食べ方に詳しい?』
『飛影、新入りのお前には分かるまい。だてに、躯様の側近はしていない。』
『前にも、躯様は、料理を作っておられるのか?』
『ああ。100年くらい前に。そのときの犠牲者は躯軍の約半数。戦力が回
復するまで半月以上かかった。』
そういって、影を背負った奇淋に、飛影と時雨は何も突っ込めなくなりました。
そんな三人の後ろから躯が声をかけました。
「何をぶつぶつ言ってるんだ?食べないのか!?」
三人のはしがすすまないのを不審に思った躯は、土鍋を三人の前に差し出して、
「まだまだ、たくさんあるからな。残さず食べろよ!」
と、満面の笑みでいいました。
飛影はともかく、部下の前では滅多に笑わない躯が満面の笑みでそう言うのです。
普通の場面だったら、その美しさにドキドキする奇淋と時雨なのでしょうが、今の場面が場面。あまりに残酷な笑顔とこれから起こるであろう過酷な運命を感じて二人の心拍数は急上昇しました。
『やはり、食さねばならぬのか・・・。』
『そのようだな・・・。』
『ここで、躯様を怒らせたら、料理を食べる前に昇天してしまうぞ。』
三人は、ごくりと生唾を飲み込むと、覚悟を決めた面持ちで皿を手に持ちました。
『・・・拙者、辞世の句を・・・。』
『安心しろ、時雨。死ぬ時は一緒だ。』
『・・・貴様らと、一緒というのが気に食わんが・・・。』
普段、相容れない三人は妙な連帯感を感じつつ、ブツの入った皿に口を付けました。
そして・・・。
気がつくと、飛影は人間界に来ていました。
はっきりと記憶があるのは、最初の一口目を口に入れた時。
それから、気力で躯の作った料理を食べて・・・。
「飛影!?」
飛影が先ほどまでの事を回想していると、蔵馬が話しかけてきました。
「めずらしいですね。人間界に来るなんて。」
無意識のうちに、飛影は蔵馬の家の前に来ていたようです。
窓から、蔵馬の部屋に入ると、飛影は窓の枠に腰を掛けていいました。
「・・・蔵馬、解毒剤は作れるか?」
「解毒剤?何があったんです?顔が青いですよ。」
「躯が・・・作った料理を…食べて…来た。吐き気が治らん・・・。」
「ええ!?躯の料理を!?」
「・・・なんで、そんなに驚くんだ?」
「・・・飛影は知らないんですか?魔界のことわざになってますよ。」
「魔界のことわざ?」
「“躯の料理を制する者は魔界を制する”・・・つまり、躯の料理を食べてもなんとも無い者は、魔界を制するだけの力があるという意味です。それだけ、躯の料理は有名なんですよ。」
そう、苦笑いしながら、蔵馬は数種類の薬草を取り出して、飛影に渡しました。
「この薬草は、食あたりにききますから。煎じて飲んでみてください。他にも食べた人がいたら、分けてあげてください。」
飛影はそれを受け取ると、ぽつりといいました。
「ふん。躯の料理で、こんな状態では、俺もまだまだだな。」
「躯が料理を作るのは滅多に無いんですよ。何だかんだいって、好かれてるじゃないですか。飛影。」
からかい半分に蔵馬がそういうと、飛影は頬を少し赤くしました。
照れてる飛影がよっぽどおかしかったのか、蔵馬はくすくすと笑い続けています。
そんな、蔵馬をぎろりと睨んで、飛影は夜の闇に溶けていきました。
移動要塞・百足では、難を逃れた(一部を除く)部下達がいつもの夜を過ごしていました。
そして、躯も、最深部の自室で、飛影の帰りをまっていました。
「飛影の奴。どこにいったんだ?」
寝台に身を沈めて、呟いていると、躯の部屋のドアが開きました。
「飛影!?」
がばっと、躯が起き上がると、飛影はいつもの無表情でたっていました。
「・・・・どこにいってたんだ?」
「・・・外にでていた。」
「そうか。・・・今日の料理はどうだった?お前が疲れてるみたいだから、栄養をつけさせようとしたんだぜ。」
飛影の帰りを待っていた、躯はいつもより少し多弁でした。
蔵馬の薬草のおかげでなんとか回復した飛影は、「できれば、もう食べたくない」という本
音を、心の奥に押し込んで、言いました。
「ああ。まあまあ・・・だった。」
「・・・そうか。よかった。」
普段、人をあまり褒めない飛影のまあまあは、最高の褒め言葉。
躯は、満足気に微笑をたたえていいました。
「ふふ。また、つくってやってもいいぞ!オレの料理は栄養満点だからな。」
内心、げっと思った飛影でしたが、躯が自分のためにしてくれたのだと思うと悪い気はし
ません。
飛影は、躯がのっている寝台に片足を乗せると、躯の耳元でそっと囁きました。
「俺にとっては、お前の料理より、お前がご馳走だ。」
と。
躯が、飛影の肩に手をかけて、口付けたその先は・・・、
きっと、何物にも変えがたいスペシャルディナー・・・なのでしょう(笑)
fin.