+女王様の初体験+
移動要塞百足の最深部の部屋で主の女王様はなにやらうかない顔をしています。
それをみつけた恋人というのでしょうか?微妙な関係の彼は表には出さないものの心配そうな顔で見つめていました。
「さっきからため息ばかりだぞ。」
そう、ぽつりというと、女王様――躯は声の主をみました。
声の主・飛影は腕を組んで飲みかけのブランデーのボトルが上がっているテーブルにのっかかりながら、躯を見ています。
躯は一瞬、その目で飛影をとらえると、視線を落としていいました。
「いや。なんでもない。」
飛影は、その「なんでもない」が曲者だと思いました。
躯は、自分の感情を露骨に出すことが少ない上に、何かあっても一人で抱え込もうとする傾向があったからです。
以前、過去のトラウマにとらわれてる彼女をつついた時はお腹に穴をあけられました。(まあ、そのあと、なんとか挽回しましたけどね。)
とにかく、出会って数年たち、お互いに惹かれ合ってることは確かです。飛影にも少なからず、頼って欲しいとか、何かあったら手助けしてやろうとかそういう気持ちは芽生えつつありました。
何もできないまま、もんもんとしている時間が過ぎて行きました。
飛影は、感情を引き出す術も糸口も見つからないので、仕方なく躯の部屋を出て行く事にしました。
人の倍くらい精神面が脆くて繊細な躯のこと。無理に聞き出しても余計、傷つけると思ったのです。
「パトロールに行ってくる。」
そう、告げると飛影は躯の部屋を出て行きました。
飛影が出て行った扉を見て、躯はまたため息をつきました。
さて、一人残された躯の心情とは?
躯は、大きな寝台の上に身をゆだねながら、ぼそっと呟きました。
「つまらん・・・。」
一人になって、思わず出た本音でした。
飛影の危惧も虚しく、躯のため息の原因は「退屈」なのでした。
別に、今の生活に不満があるわけじゃありません。飛影がそばに来てから、精神的にも安定しているし(仲は一向に伸展しないけど)、たまに来る幽助や飛影、その他の部下たちの手合わせの相手をしたりしているので体がなまるということもありません。パトロールも問題なく進んでいました。
ただ、ただ、同じような日常に埋もれてしまって、非日常的な出来事(例えば、何かしらのハプニング)に欠けていたのです。
簡単に言えば刺激がないのです。
まあ、平和なのが一番なのでしょうが、ほんの数年前まで三竦みと呼ばれ、緊迫した状況にあった時のような緊張感とか危機感とかそういうのが全くないと言うのも困りものなのでした。
躯が、寝返りを打った時、通信機から奇淋の声が聞こえてきました。
『躯様、お休みのところ失礼いたします。お客人がみえられています。』
「客?誰だ?」
『はい、蔵馬殿です。』
「蔵馬が?・・・・わかった。通せ。」
まあ、暇もあることだしいいか。っと考え、通信機のスイッチを切ると、躯は客間にむかいました。
「やあ。躯、こんにちは。」
「よお。蔵馬。この前の癌陀羅での会議以来だな。」
「ええ。そうですね。」
蔵馬は微笑を浮かべてそういいました。
運ばれてきたお茶をすすりながら、躯は蔵馬に問いました。
「で、今日は、どうしたんだ?」
「ええ、飛影に用事があって来たんですけど・・・いないみたいですね。」
「ああ。パトロールにでている。なんなら、その用事とやらを伝えておくが。」
「すみません。じゃあ、頼まれていたものが手に入ったとだけ伝えておいてもらえますか?」
「わかった。たしかに伝えよう。」
「じゃあ、お願いします。・・・俺は、仕事で人間界に戻らないといけないのでこれで失礼しますよ。」
「忙しそうだな。」
「ええ。じゃあ、これで。」
「ああ。」
蔵馬は、そういうと椅子から立ち上がって、客間を出て行きました。
躯は、蔵馬が出て行くのを見送りながら、飛影が蔵馬に頼んだものとはなんだろう?と思いました。
まあ、あの飛影に尋ねたところで、奴が口を割ることもないだろう。
躯は、苦笑いしながら、ふと視線をお茶の上がったテーブルへ向けました。
テーブルの上にはお茶以外になにやら小さなベージュっぽい色合いの袋が上がっていました。
蔵馬の座っていた椅子の方にあるので多分、蔵馬の忘れ物なのでしょう。
躯はそれを手にとって、袋の中身を取り出しました。
中には、茶色の小瓶が入っていて、その瓶のなかには液体が入っていました。
何かの薬か?
蔵馬は植物を操る妖怪だけあって、薬草にも詳しいし、不思議な薬の研究をしていると、以前、飛影から聞いたのを思い出しました。
不思議な薬・・・。
それは、退屈で仕方なかった躯にとって媚薬のような響きを持っていました。
思わず、躯の口元がほころびます。
まあ、蔵馬の事だから死に至るほどの作用はあるまい。
躯は、茶色の小瓶を袋にしまうと、ズボンのポケットに忍ばせて、客間をあとにしました。
躯が部屋に戻ると、飛影が部屋の隅にあるソファで寝転んで寝息をたてていました。
「・・・なんだ。ずいぶん帰りが早いな・・・。」
さっさと、適当に切り上げてきたのだろう。
そう思いながら、躯はふと思いついたように先ほどの小瓶を取り出しました。
部屋の中央にあるテーブルに行き、ブランデーをグラスに注ぐと、その中に例の薬を瓶の半分ほど入れました。その薬は、無色透明のせいか、全くわからないくらいブランデーにすんなりと溶けていきました。
躯は、そのグラスを持ち、飛影に近づいて耳元で囁きました。
「飛影、起きろ。」
そういうと、飛影はうっすらと目をあけ、躯の方を見ました。
躯は、先ほどとは打って変わって上機嫌でした。
あまりの変貌ぶりに、飛影が目を丸くしていると、躯は飛影の足元に腰をおろして、いいました。
「飛影、飲むのに付き合え。全く飲めないわけではないだろう。」
微笑をたたえて、グラスを差し出す躯。飛影は、むくりと起き上がると、
「ああ。」
といって、グラスを受け取りました。
躯がグラスに口を付けるのを見ながら、飛影も躯にもらったグラスの中のブランデーをぐいっと飲みました。
躯は、口の中で慣れたブランデーを味わいながら、横目で飛影の方を見ていました。
ふっ、飲んでる。
しばし、その光景を見ていた躯でしたが、例の薬入りのブランデーを飲んでいる飛影には一向に変化がありません。
・・・・・・。
躯は、「何も起きないじゃないか。」と心の中でそうひとりごちると、つまらなそうにグラスに視線を戻して、ふうとため息をつきました。
ソファから立ち上がり、空になったグラスを置こうとテーブルに向かっている時でした。
突然、飛影のいるソファーの方から、ぼてっという音が聞こえてきました。
ぼて・・・?
何かが落ちる鈍い音。躯が振り返ると、さっきまで飛影がいたソファに飛影の姿はなく、いつも飛影が着ている黒いコートが床に落ちていました。
・・・・・!?
慌てて、ソファの方に駆け寄ると、飛影は跡形もなく消えていました。
「もしかして、姿が消える薬だったのか?」
躯が呆然としながらそういうと、なにか足元で気配がしました。
なんだ!?
躯が下を見ると、床に落ちていた飛影のコートがもぞもぞと動いています。
不審に思いながら、躯はかがんでそのコートを持ち上げました。
もそもそ。
そうして、コートから頭を出した動くものを見て、躯は驚愕しました。
「・・・・な、なんだ!?これ・・・。」
フワフワそうな黒い髪。ムニムニしている桃色の頬。コートを握っている小さな手。
コートの中から現れたのは、今まで躯に縁のなかった赤ん坊でした。
「赤・・・ん坊?」
呆然としながら、躯がしゃがみこむと、その赤ん坊は躯の方をじっと見ました。
躯は、赤ん坊の目を見てふと思いました。
・・・・この目つきは・・・・飛影!?
大きなつりあがった特徴的な赤い目は明らかに見知った、いえ、見慣れた飛影のものでした。
躯と縮んだ飛影は、お互い見つめあったまま、無言の状態が続きました。
飛影は何も考えていないようなきょとんとした瞳で躯を見ています。
しかし、躯の方はかつてないほどパニックに陥っていました。
赤ん坊、赤ん坊・・・。オレは扱いなんて知らんぞ!!
いや、あせる事はない、飛影が縮んだだけじゃないかって、縮んだから問題なんじゃないか!!
相手は赤ん坊。そう赤ん坊なんだ、さあ、これからどうする?どうすればいいんだ?!
沈黙が続くこと数十分。
それを破ったのは、縮んだ飛影(以下ちび飛影としましょう)でした。
「あー。」
そういうと、ちび飛影は躯の胸元に手を伸ばして、躯が飛影からもらった氷泪石をぎゅっと握りました。
「ん?」
突然の行動を躯が見つめていると、ちび飛影は「うーうー」といいながら氷泪石のついた紐を引っ張りました。
「・・・。そうか。オレがかけてるこの石は、もともとお前の石だったな。母親の生み出した石に反応しているのか。」
普段の飛影からは考えられないような無邪気な行動を見て、躯は少し冷静さを取り戻しました。
とりあえず、蔵馬に相談してみよう。
そう考えた躯は、ちび飛影をコートにくるんで抱き上げる(かかえあげるに近いけれども)と、通信機を手に取りました。
『やっぱり。見当たらないと思ったら、百足に忘れていましたか。』
「ああ。しかも、もう使ってしまった。」
『え!?使ったって・・・。』
「面白半分で飛影に飲ませたら、赤ん坊の姿になった。」
『そうですか。じゃあ、あの薬は成功だな。』
「一体、何の薬なんだ?」
『若返りの薬ですよ。まあ、姿だけじゃなくて思考や感情、記憶も若返ってしまうけど・・・。』
「なるほど。」
『何がなるほどなんですか?』
「いや、縮んだ飛影の行動が、普段の飛影より無邪気だから。」
『そうですか。』
「それより、飛影はいつになったら元にもどるんだ?」
『そうですね。飲んだ量に、若返る年齢や効果持続時間が比例するんですけど、どれくらい飲ませました?』
「あの瓶で、半分くらい。」
『そうですか。それくらいの量だと、だいたい短くても2〜3日はその姿のままですね。』
「なんだと?じゃあ、それまで赤ん坊になった飛影の面倒はどうすればいいんだ!?」
『それは躯、貴女が見るべきでしょう。本を正せば、躯が薬を飲ませたのが原因ですしね。』
「・・・・。」
蔵馬に核心をつかれて、絶句せざるおえなかった躯と対照的に、通信機の向こうの蔵馬はうれしそうでした。
「だが、オレは赤ん坊に触った事もないし、どう扱っていいのかも分からないんだが…。」
『ふふ。大分、困ってるみたいですね。まあ、何事も勉強だし、一度育児を経験してみるのもいいんじゃないですか?将来のためにも・・・』
「どういう意味だ?」
『ノーコメントと言う事で・・・。とにかく、そのまま面倒見てろというのも酷ですしね。必要なものを適当に見繕って幽助に届けさせますよ。』
そういうと、蔵馬は無情にも通信機を切ってしまいました。
将来のために・・・。まあ、多少引っかかる言葉はありますが、目の前には赤ん坊になったちび飛影がいるのもまた事実。
「やるしかない・・・か。」
躯は、ふうとため息をついて通信機を寝台の脇のテーブルに置きました。
さきほど、寝台の上に置いておいたちび飛影のほうを見やると、ちび飛影はコートにくるまったまま、すやすやと寝息をたてていました。
「ふっ。でかいままでもちびになってもよく寝る奴だな。お前。」
そういって、柔らかい頬にふれた躯の顔は、自分でも信じられないほどの優しい微笑を湛えていました。
蔵馬に連絡を取ってから小1時間ほどして、けたたましく通信機の音が鳴り響きました。
ちび飛影の眠りに誘われて、一緒にうとうとしていた躯は、面倒くさそうに通信機を手に取ると、寝起きの重低音な声で、
「なんだ!?」
といいました。声だけで殺される!!そう思って、一瞬あげかけた悲鳴を何とか飲み込んだ奇淋は、冷静を装って、いつものように対応しました。
『躯様、幽助殿をはじめほか数人の方々がいらっしゃいました。』
幽助・・・?ああ、蔵馬がなにか持たせてくれたのだろう。
そう思い、躯は寝台から身を起こしました。
ふと、ほか数名という言葉に訝しげな顔をしましたがとりあえず客間に向かうことにした躯は、まだ寝息をたてているちび飛影を抱えあげて、部屋をあとにしました。
客間に入ると、一番初めに声をかけてきたのは幽助でした。
「いよお、躯!!話は蔵馬から聞いてるぜ!!あ、これ頼まれてたやつな。」
「ああ。」
幽助が差し出した紙袋を受け取ると、幽助はまた何か取り出しました。
「あ、これは、俺からお祝い。」
「お祝い?」
「あら、私達からもあるのよ。ね、狐光。」
「そうそう。こういうのは男が選ぶより女が選んだほうが案外いいもんなんだから。」
そういって、幽助の後ろから姿をあらわしたのは狐光と棗でした。
ほか数名とは、彼女たちの事だったのでしょう。
躯は、怪訝そうな顔をして、
「何の祝いだ?」
と尋ねました。幽助は、顔をにまにまさせながら、言いました。
「なにいってんだよ。出産祝い。」
出産祝い?・・・・。
いままで、耳に入る事すらなかったその言葉を頭の中でリフレインしていると、幽助が追い討ちをかけるように
「癌陀羅じゅうに触れ回っておいたからよ、明日にはもっと祝いが届くぜ!!」
といいました。
癌陀羅じゅう・・・。いったい、蔵馬はなんと説明したのでしょう。
目の前が暗くなるのを寸でのところで耐えて、躯は恐る恐る聞きました。
「おい、幽助。蔵馬はお前になんて言ったんだ?」
「何って・・・、『躯の所に赤ん坊がいるから』って。それより、いつの間に生んだんだ?飛影の子供だろ?飛影も案外やることやってんだなぁ!!」
そういって、豪快に笑う幽助に躯は右ストレートをお見舞いしました。
ばきい。
「幽助!!頼まれたものを持ってきたことには礼を言う。だが、それ以上、触れ回るな!!オレが抱えてる赤ん坊は、オレと飛影の子供なんかじゃなくて、飛影が赤ん坊になったんだ!!」
右ストレートに吹っ飛ばされた幽助に対し、怒気をはらんだ声で躯は言いました。
確かに、惹かれあってもいるし、いつも傍にいるので、傍から見れば恋人同士のように見えたのかもしれません。しかし、いつまでたっても伸展しない二人の仲は、躯にとってふれて欲しくない部分だったのです。(乙女の悩みの一つですね。)
今にも戦闘開始しそうな躯を、狐光と棗がなんとか宥めました。
「まあまあ、そう怒らずに。ね、躯」
「そうそう。じゃあ、その黒いのに包まってるのは飛影ってこと?」
ちび飛影を指差して尋ねる狐光に、躯は少し冷静さを取り戻し、「ああ。」と返事をかえしました。
幽助は、「いてて」と言いながら左頬をおさえながら、立ち上がりました。
「螢子のビンタよりきいたぜ・・・。それより躯、飛影が赤ん坊になったってどういうことだ?」
そう尋ねる幽助に躯は、渋々、飛影が縮んだ理由を説明しました。
「――――っというわけだ。」
「なるほどねぇ。」
だされたお茶をすすりながら狐光がそういうと、幽助がちび飛影を抱きながらいいました。
「まあ、面影がなくもねえな。」
「本当。特に目の辺りなんて変わってないわね。」
棗はじみじみ言うと、ちび飛影の頬にふれました。それを見ていた幽助がにたにたしながら言いました。
「しかしよぉ・・・、どんな獰猛な動物でも、赤ん坊の時はかわいいって本当だな!!」
「獰猛な動物って、幽助・・・。まあ、赤ん坊って和むわよね。」
呆れた顔で狐光が幽助をみやりました。
その隣りに座っている棗が、ちび飛影の手を取り出して、躯に言いました。
「見てよ。この小さな手!!思わず触りたくなると思わない?」
「・・・ああ。そうだな。」
躯は、空返事をしながら今、三人が発した言葉を頭の中で反芻していました。
可愛い、和む、思わずふれたくなる・・・。
さっき、眠る赤ん坊の飛影にふれた時感じた温かな感情は・・・何となくその言葉たちに当てはまる気がするな・・・。
そんな感情を母性と言うのですが、そんなこと躯が気づくはずもなく、躯は、ちび飛影を面白そうに見ている幽助たちを見つめたまま黙っていました。
1時間ほど百足に居座った後、幽助たちは帰って行きました。
疲れた表情をしたまま、自室にたどり着いた躯は、寝台にどかっと寝そべりました。
横を見ると、一緒に寝台の上にのっているちび飛影がはいはいをして、今にも床に落ちそうになっています。躯はあわてて、ちび飛影を抱えあげました。
「なんだ。お前、移動できるのか・・・。ここから落ちたら怪我するぞ。」
きょとんとしているちび飛影にそう言い聞かせた躯は、足元に置いておいた紙袋を手に取りました。
幽助が渡してくれた紙袋の中身は、粉ミルク、哺乳瓶、哺乳瓶の消毒剤、ウェットティッシュ、おむつに数枚の衣類。おもちゃのガラガラに…
「・・・!?なんだこれ?育児解説書?」
躯は、中身を広げながら、呟きました。
まあ、なにも知らない躯には命綱のようなものです。躯は、はいはいで移動しようとするちび飛影を左手で抱きながら、解説書を開きました。
さて、ここから躯の育児体験の開始です。
<ミルクは用量を消毒した哺乳瓶にいれ、お湯で溶かしてつくります。>
「なるほど。」
本に書いてあったとおり、ミルクを作った躯は哺乳瓶をちび飛影の口にいれました。
しかし、ちび飛影はそれを口からだしてしまいました。
「なっ!!オレの作ったミルクが飲めないのか!?飛影!!」
少しむっとしながら、哺乳瓶をぎゅっとにぎった躯はある事に気がつきました。
「・・・熱いな。このミルク・・・。」
そう思いながら、育児解説書を再び開くと注意書きの所に書いてありました。
<赤ちゃんの口はデリケート。ミルクは人肌にさましてから飲ませるのが鉄則です。>
「そうか!!」
こんどは、少し冷やしてから与えて見る事にしました。
今度はごくごくごくと、すごい勢いで飲んできます。
躯は、うんうんと頷いてこれくらいどうってことないなと思いました。
が、そんな油断が失敗を招くのです。
満腹になって、心地よさそうな表情のちび飛影を抱えあげた時でした。
「げえ〜〜。」
躯のシャツの袖に、生温かい物体がかかりました。微かにミルクの匂いがします。
「・・・・っ。」
嫌な予感がして袖を見ると、ちび飛影は先ほど飲んだミルクをもどしてけほけほとむせていました。
「げっ・・・。飛影!!どうしたんだ!!」
突然の嘔吐に驚いた躯ですが、彼女はあの注意書きの下の部分を読んでいませんでした。
<ミルクを飲んだ後は、肩に抱っこして背中をさすり、げっぷを促してあげましょう。そうしないと、ミルクをもどしてしまい、窒息の原因になる事もあります。>
躯の失敗はこれだけではありませんでした。おむつを代えようとして足を引っ張ったらちび飛影の股関節を外してしまったり、お風呂にいれようとして浴槽に落としてしまったり・・・。ふつうの人間の赤ん坊だったら間違いなく無傷ではすまないでしょう。生命力の強い妖怪の赤ん坊だからこそ、躯の数々の失敗に耐えられたのかもしれません。
そんなこんなで飛影が、縮んで3日目。なんとか躯が育児になれはじめたのに比例して、躯の部下たちの中に負傷者が増え始めました。みんな、ちび飛影を抱えて歩く躯を見かけるたびに、幽助と同じ勘違いをして、躯の逆鱗にふれてしまったのです。
さて、躯とちび飛影といいますと・・・。
「今日で3日目か・・・そろそろ戻ってもいいような気もするが・・・。」
すやすやと、眠るちび飛影は、躯の心をくすぐって、温かい感情を垂れ流しにさせます。
最初は、責任感からやっていた躯でしたが、いまはなんだかぽかぽかした気分です。
今まで、そんなことに無縁だったせいでしょうか?少し戸惑ったけれど、そんな感情が心地いいと感じ始めた躯でした。
躯は寝台に寝そべり、寝ているちび飛影を自分の体の上に乗っけて、軽く抱きしめました。
ちび飛影が躯のシャツをぎゅっと握るのをみて、躯が微笑みました。
そして、ちび飛影の寝息に誘われるように、躯も眠りに落ちていきました。
滅多に夢を見ない躯ですが、躯は夢を見ました。
温かい何かに抱きしめられている夢です。
心地がよくて、ずっとこうしていたい。ずっと、求めていたぬくもり。
微かに、炎の妖気を感じる、あのぬくもり・・・。
ふと、体が重くなって目が覚めました。金縛りかと一瞬思った躯でしたが、それが違うことに気がつきました。
目の前には見慣れたつんつん頭があったのです。
「飛影・・・?」
少し、ねぼけた状態で体の上にのっているはずのちび飛影を触って、躯は一気に目がさめました。
「ひっ、ひっ、飛影・・・。」
躯の手にふれたのは小さくてふわふわしたあのちび飛影の感覚でなく、硬いがっしりとした筋肉の感触だったのです。
躯が少し頭をあげると、飛影は躯をぎゅっとだきしめて、やわらかい躯の胸の上に頭を置いてすやすや寝ているのがみえました。
「・・・もどったのか・・・。」
躯が、そうぽつりと呟くと、飛影は少し顔をしかめて、目を少しあけました。
躯は、そんな飛影の肩をゆすって、言いました。
「おい、飛影。寝るのはいいが、俺の上で寝るのはやめてくれ。重くてかなわん。」
その瞬間、飛影はがばっと反射的に起き上がりました。
「なっ、なぜお前が・・・。」
いつもより近くで聞こえた躯の声に、赤面させていると、飛影はある事に気がつきました。
「そういえば、お前に酒を飲まされた後から・・・記憶がない。それに、なんでオレはこんな服装をしているんだ!?」
混乱気味の飛影をなだめるように、躯はいいました。
「まあ。それは・・・。そうそう、お前の服はソファの上にある。」
それを聞いた飛影は、急いで服をもってバスルームに駆け込みました。
「くっくっく。今更、何てれてるんだ?」
お前の裸なんて、とうに見たぞ(縮んでる時に)。という言葉を躯はのみこんで、飛影が着替えてでてくるのを待ちました。
いつもの黒尽くめの服装に着替えてきた飛影は躯の寝そべっている寝台の橋に腰掛けて、ばつが悪そうにしています。
「なにをむくれてるんだ?オレの上で眠れるなんて滅多にないんだぜ?」
そう、面白そうに躯がいうと飛影は躯に背を向けたまま、ぽつりといいました。
「記憶がない間、不思議な夢を見ていた気がする。和むような、落ち着くような、どこかで求めていたようなものに触れたような・・・。まあ、悪い夢じゃなかった。」
どこかで求めていたような・・・。その言葉をきいて、躯は先ほど見た夢を思い出しました。
心地よかった、炎の妖気・・・。求めていたぬくもり。
たしかに、あの瞬間はとても幸せだった。
飛影・・・、お前もオレを求めていてくれたのか?
躯は、起き上がって飛影の首に腕をまわし、背中を抱き締めました。
夢の中の続きのように、お互いのぬくもりが伝わってきます。
「な、なんだ?いきなり・・・。」
目を大きく見開く飛影に躯は悪戯そうな表情をしていいました。
「ふふ。飛影、お前にはいろいろ教わったからな。今度はオレが教えてやるよ。」
「待て!!何で服の中に手を入れて来るんだ!?」
困惑する飛影を尻目に、躯は極上の微笑みでいいました。
「夢の続きさ。きっと、病みつきになるぜ・・・。」
と。
さて、その後はといいますと・・・。
百足じゅうに飛影の悲鳴が轟いたとか轟かないとか・・・。