+睡 蓮+



目を瞑れど、瞼の裏に浮かんでくる。
青白い光はかの人の瞳。すっと流れる鼻梁。ふっくらとした唇。
振り払えど、その涼しげな微笑で幾度も彼の目を焼く。


飛影は寝そべりながら、何度目かわからぬくらい繰り返した大あくびをした。 天井にできたしみの数さえ、正確に言い当てられるかもしれなかった。 眠気は襲ってくるのだが、頭のどこかが冴え渡っていて、ここ数日まともに眠れないでいる。

無論、その原因は分かりすぎるほど分かっている。

苛立たしげに寝返りを打つと、隣りでごそっと動く気配がする。起こしてしまっただろうか?思わずとってしまった行動に反省しつつも、不眠の原因の主をそっと覗き込む。すーすーと、規則的な呼吸音が聞こえてくる。ほっと胸をなでおろすが、自分が眠れないでいることを余計意識する結果となり、ますます目が冴えてきてしまった。

だめだ、今日も眠れない。
投げやりに眠ることを放棄すると、己の腕を枕にし体を斜めにして躯を眺める。

無造作に散った輝く髪の合い間に、ケロイド状の浅黒い皮膚が見え隠れしている。ちょうどこの角度だと、美しい白い肌が全く見えない。そのことが今はありがたい。義眼は眠っている間も通常を同じく見開かれたままだ。おぞましい程に無機質な躯の右半身。だけれどもこうして眺めていると、反対側の左半身の均整の取れた秀麗さが合わさってしまうところを、つい思い出してしまう。

我ながら末期的だ。そもそも好きな女が息のかかるほど近くにいながら、何もしないでただ隣に眠るということ自体困難な話であり、拷問に近かった。

たが・・・。躯がこんなに安らかな寝息を立てているのも初めて見た。眠る間も断続的に悪夢に苛まれ、しょっちゅう不眠による頭痛に悩まされていたことを知っているだけに、隣に居るだけで安心して眠れるれるのなら、側に居てやりたいと思う。


散々すれ違った挙句に、ようやく互いの想いを知った後も、傍目には俺に対する躯の態度は変わらなかったが、夜に自室に呼ばれることがあった。他愛もないことをしゃべり、時々身を寄せ、隣り合って眠る。初めこそ躯はぎこちなかったが、だんだん慣れてきたようで、俺の隣りでこうして猫のように丸くなって眠るようになった。もう近頃では、時雨に(時雨は奇淋が戻って程なくして、百足に舞い戻ってきた)頭痛薬を処方させることもなくなった。


『飛影、オレ・・・絶対乗り越えるから。それまで待っててくれるか?』


躯がなるべく俺と一緒に居ようとするのも、一歩前に踏み出そうとしているからなのだろう。躯の事を真に大事に想うのなら、黙って見守っていてやるべきなのだ。しかし、本当にそれだけでいいのだろうか。寝不足でうまく働かない頭では、こんな無防備な姿で幸せそうに眠りこけ、全く呑気な姿にも映ってしまう。それとも試されてるのだろうか?俺が行動を起こすのを待っているのだろうか?それならやっとこの雰囲気に慣れてきた今がチャンスなのでははいだろうか?

沸き始めてしまった欲望を、必死に頭を振ってふりはらう。もう後悔するのだけはご免だ。タイミング悪く躯がまた寝返りを打ち、体勢を変えてしまった。明かりを落とした薄暗い部屋に、肌が白く浮き上がる。軽く伏せられた瞼には、扇のように広がった長い睫毛。薄く開かれた唇。呼吸に合わせて、胸が上下しているのが分かる。

ちょっと手を伸ばすだけで触れられるのに。触れるだけなら・・・。
飛影は躯の前に腹ばいになると、頬に手をそっと沿わせた。眠っているせいか、いつものひんやりとした感触ではなく、ほんのり温かい。親指で唇に触れてみた。ふっくらと丸みを帯びている。躯の顔の造作はともするとクールで、女性というよりは美少年めいているが、官能的な唇の形が、魅惑的な印象を作り出している。

「ん・・・。」

呼気が乱されたのが嫌だったのか、小さい声で呻くと、飛影に背中を向けてしまった。拒絶されたようでやりきれない。ちょっと触れただけなのに、そんなに気に入らないのか。それなら側に呼び寄せなければいいじゃないか。なぜこの腕に抱けないんだ?もてあました想いは苛立ちを誘い、だんだんと憎しみに変わっていく。それなのに何も知らないふりをして眠り続けている。突然覆いかぶさってやったら、一体どうなるのだろう?


飛影は半身を起こすと、シーツをぎゅっと握り締めた。

そんな事が出来るなら・・・とっくに躯を自分の物にしている。同時に今まで辛抱して積み上げてきたもの全てが崩れ去ってしまう。分かっている。やっとこうして側に居られるようになったのに、一時の迷いで一瞬にしてその関係を消し去るのは容易なことだ。けれども、これからどれだけこんな思いと戦っていけばよいのだろう。気に入らないものは全て切り捨て、己の力ひとつで道を切り開いて生きてきた飛影にとって、他人を思い遣るなどとは初めての経験だったし勝手が分からない。こと、恋愛ともなると・・・。


躯。孤高の魔界の女王。
普段、あんなに聳えて見える背中も、こうしてみると明らかに女性的で華奢だ。圧倒的な妖気も内に隠れて今は感じることが出来ない。
怒った顔。しかめっ面。寂しげな瞳。華やかな微笑。そのどれもが愛しく、くっきりとこの目に焼きついている。こうして近くにいて、思いを寄せてくれているというのに、なぜそれだけじゃ満足できないのだろう。気づけば躯を抱くことばかり考えてしまう。苛立ちの募る原因は、待ってやることも満足にできない、己の度量の狭さ故か。憎いのは躯ではない、自分自身・・・。


躯を起こさないように気をつけながら、ベッドから抜け出す。足音を忍ばせ、部屋の解錠ボタンに手をかける

「飛影・・・」

小さく呼ばれた気がして、後ろを振り向く。
だが、幾重にも薄布のかけられた大きな寝台で、躯は相変らず先ほどと変わらない姿勢で眠り続けている。薄暗い光に照らされ、ぼうっとした頭にはよけい幻想的に見える。お伽話の眠り姫。ついそんな想像を起こしてしまう。飛影は静かに部屋を出た。




飛影の向かった先は人間界だった。
魔界にいては、いつ寝首をかかれるか分からないし、今はゆっくりと眠れる場所が欲しかった。なにより無秩序な雑踏の中に身を隠していたい気分だった。街から街へ、綱渡りしていく。摩天楼に今日はひときわ大きな月がかかっている。どんなに振り切ろうとも、月は背中から追ってくる。溢れる静謐な光は、どうしても魔界に残してきてしまった人の面影を感じさせてしまう。

闇雲に走り回ってさすがに息が切れ、観念して膝をつく。
静かだった。流れくる汗がぽたぽたと地面に輪染みを作る。その汗が時々光に反射して青白く煌く。

「躯。」

密かに舌の上でその名を転がしてみる。何処にいても、何をしても忘れることが出来ない。過去のトラウマのせいで、男性を受け入れる事のできない躯。行き過ぎた思いで彼女を傷付けてしまうなら、いっそこのまま全て凍りついてしまえばいいのに。胸が軋んで悲鳴をあげる。
「滅んでしまえばいい」妹、雪菜の言葉を思い出し、知らず知らずのうちに同じ思想を辿っていたことを知る。母・氷菜も同じ思いを味わったのだろうか。炎の妖怪と氷の妖怪。互いの妖気が壁となり、近づくことさえ儘ならなかったはずだ。ましては抱くなどと・・・。

背中にひんやりとしたコンクリート壁の感触。ずるずると身体が沈み込む。久方ぶりに氷泪石を取り出し、月明かりにかざす。こんな都会のビルとビルの狭間にさえ、優しい光をなげかける。重い瞼が下りてくる。石を握り締めると、溺れるように深い眠りへと吸い込まれた。




「へい、らっしゃい!大盛りねっ!よしきた!!」
「おっ、ジィさん、今日はえらい若いの連れてきたね?孫なの?全然似てねーなぁ、ははは。」
「あんまり飲みすぎんなよ。身体に毒だぜー。」

威勢のよい声が飛び交っている。そして何か温かい食べ物の匂い。まだ眠気で頭がぼうっとする。目をこすり何とか起き上がろうとする。ここは何処だ?

「よっ!飛影、起きたんか?!」
「幽助?!」
「幽ちゃん、ごっそさーん。お代ここに置いとくよー。」
「おーっ。また来てくれよな!」

どうやら、ここは幽助のやっているラーメン屋台のようだった。慣れた手つきで次々とラーメンを作っている。温かい湯気が周りにたちこめている。

「なぜ俺はここに・・・?」
「それを聞きたいのはこっちの方だっつーの。裏のビルの陰で倒れてんの見つけたときはびっくりしたぜ。」

かなり深く眠りこんでしまっていたのだろう。ここまで運び込まれたことすら全く気づかなかった。

「食うだろ?ラーメン!結構うまいって評判なんだぜ。」
いらん、と口にする前に、ほい!と目の前に差し出されてしまった。どうせならちゃんとカウンターに座って食えよ、というので、仕方なく座ってやった。熱いスープをすすると、身体が少しほぐれてきた。

「今日は珍しいお客さんが来てますね。」
「蔵馬!仕事帰りか?」
「まぁね。今日は割りと早く上がれたんで寄ってみたんですけど、まさか飛影がいるとはね。」

スーツをぱりっと着こなした蔵馬が、飛影の隣りにすっと腰を下ろす。
やかましいことになってきた。きっと俺の妖気をみつけたので来てみただけなのだろう。

「俺のスペシャルラーメン、食ってみてくれよ!」
「幽助、また腕上げましたね。君にこんな才能があるとは思わなかったよ。」
「嬉しいこといってくれるじゃねーか。おふくろがずぼらだったから、小さいときから料理作ってたしな。」
「早いこと螢子ちゃんと一緒になって、食堂を継いであげたらどうです?」
「そうしたら、ちょくちょく魔界にもいけなくなるしなぁ。」
「3年後のトーナメントに向けて特訓ですか?」
「たりめーよ!お、そういえば、おめぇと躯の対戦はすごかったぜ!」

数ヶ月前の第一回魔界統一トーナメントで、俺は結局躯に完敗した。その後、躯は決勝であっさり煙鬼に負けたのだが・・・。

「躯、元気か?今度こっちも連れて来いよ。」
「あいつは人間界には来ない。」
「今も一緒に百足で暮らしてるんですか?」
「そんなことを聞いてどうする。」
「いいよなぁ〜。あんな別嬪がいつも近くにいたらよ。」
「そうですよね。トーナメントでも仲良さそうにしてましたし。」
「おめえら一体どこまで進んでるんだ?羨ましいよなぁ。」

奴等にとっては何気ない言葉なのだろうが、そのひとつひとつがこたえる。いくら揶揄られてからかわれたとしても、決して奴等の想像通りになることはない。躯は受け入れられない身体なのだから・・・。

蔵馬が何か飛影の気まずい雰囲気を察し、話を逸らせた。

「幽助、結構繁盛してるみたいじゃないですか。」
「蔵馬のところはどうなんだ?その頭と話術だったら、営業も苦労しねーだろうな。」
「ははは。そんな生易しいものじゃないですよ。」
「そんなもんか?」
「ええ。うちは新興の会社だから、いくら商品がよくても、お客の信用をとりつけるまでが一苦労で。それでなくても不況のせいで、どこも慎重になってますしね。」
「まぁできればよく知ってる店で買いたいって思うよな。」
「なかなか根気のいる仕事ですよ。何度も足を運んで顔を覚えてもらって。競合の会社がいろんないいサービスを展開してきますしね。でもそういう時、一番危険なことって何だと思います?」
「さあ。俺にはそういうことはさっぱり。」

「焦り、ですよ。」
「焦り?」
「じっくりチャンスを待つ辛抱強さっていうのかな?焦るとどんどん周りが見えなくなるでしょう。戦いでもそうですけど。冷静な判断ができなくなりますし。」
「すげー楽しそうに話すな。」
「楽しいですよ。うまくいった時はなおさらね。」




随分と遅くなってしまった。あの後、更に桑原が加わって、酒を持ち出してどんちゃん騒ぎになった。とっとと抜け出そうと思ったが、無理やり酒を飲まされたらしい。それからはあまり記憶に残っていない。大分酔いは冷めてきたが、まだ多少足元がふらつく。

「焦りは禁物」か。なるほどな。
そのまま百足の自室に戻ろうかと思ったが、やはり躯の事が気にかかる。あれだけ深く眠っていたのだから、朝まで起きる事はないだろう。寝顔を見たらすぐ戻るつもりで、出てきた時と同じように、静かに躯の部屋の扉を開ける。

だが、寝台の上はもぬけの殻だった。ベッドを触ると微かにまだぬくもりが残っていた。ついさっきまではここにいたらしい。なら遠くには行っていないだろう。散歩でもしているのかもしれない。とりあえず自分の部屋でもう少し横になろうと、自室へ戻った。



「?!」

出る前に確かに閉めていったはずの窓が開けられ、カーテンが風に煽られバタバタと音を立てている。いや、カーテンではない。人の形の影・・・。


「躯・・・?!」

白い布一枚だけを纏った躯が、飛影の部屋の窓辺で佇んでいた。すんなりと伸びた足が、躯が纏う布が風に煽られる度に、白くちらりと見える。あまりの光景に、目を逸らそうと思ってもつい魅入ってしまう。これまで見てきたどんな姿よりも美しく、魅惑的に見えた。

足に根が生えたように一歩も動けない。ちょっと近づくだけでこの均衡が破れてしまう気がする。静けさを先に破ったのは躯の方だった。

「酒を飲んできたのか?」
「え?」
「酒の匂いがプンプンする。」
「貴様こそ一体何してるんだ?」
ひどくマヌケな問いだったかもしれない。だが飛影にはこの状況が全く理解できない。

「お前の帰りを待ってた。」
「そんな格好でか?」
飛影は、自分の羽織っていたコートを脱いで躯に渡そうとした。だが、躯は強くかぶりを振った。何かを訴えかけるように見開かれた瞳。白皙の顔が外の光を受けさらに白く見え、唇は紫色だった。

「・・・じゃあ温めてくれよ。」
「な・・・っ・・!!!」
「待ってくれ」と言ってきたのは躯の方。
そんあ姿で、そんな格好で。飛影の部屋に忍び込み。
なぜこんな性急に迫ってくるのか。必死で押さえ込んでいた苛立ちや怒りが、もう限界に達してしまった。


躯を力まかせに床に思い切り引き倒すと、周りにあったテーブルが派手な音を立て壁にぶつかった。素早く躯の上に覆いかぶさり全く身動きが取れない体勢に組み敷いた。引きずるほど長い布が、かろうじて躯の身体を隠してはいたが、布越しでもしっかりと躯の身体を感じることが出来る。両胸を強い力で揉みしだく。一瞬、「うっ。」と呻いたものの、躯の表情は変わらない。変わらないというより強張っている感じだ。
ますます気に入らない。顎をぐいと掴むと、まるで噛み付くように口付ける。口腔に舌を差し入れ、躯のそれを見つけると激しく舌を絡める。とろけるような柔らかい感触。二人の呼吸が荒くなる。が、不意に飛影は身を引いた。


「貴様の言ったことはこういう事だぞ。」
「・・・分かってる。」
「・・・いい・・・のか?」
「・・・ああ。」
少しうつむいた後、躯はしっかりと顔を上げ、飛影の顔をみつめ返した。強くつかみすぎたために、顎に自分のつけた手形が赤く残ってしまっている。かるくさすってやると、躯は軽く微笑んだ。


躯を抱き上げると、ベッドまで運んでいった。その身体は思っていたよりずっと軽く、少しびっくりした。ベッドの淵に座らせると、布の端を片方づつそっと広げる。思わずこくん、と喉を鳴らしてしまった。こうして見たのは二度目だが、その時とは全く違って見える。微かに上下する豊満な胸。ほっそりとした腰のライン。丸みをおびたヒップ。全てが完璧な曲線で形作られている。更にさっきまで青白かった肌がほんのりと色づき、例えようもなく美しかった。

俺も闇色の服と靴を一つづつ脱いでいく。躯はその様子を静かに見つめていた。

俺と躯はお互いに生まれたままの姿で向き合った。相変らず、躯の身体は固く緊張しているようだった。ゆっくりと優しく・・・躯を抱きしめてみた。ぴったりと吸い付くように、躯の肌はこちらに馴染んできた。布越しでは決して味わうことに出来ないぬくもり。ゆっくりと安らぎが満ちていく。そっと手を動かし、肌の上に滑らせてみる。初めて味わう感触。想像していたよりもずっとすべらかで柔らかい。

何度か繰り返すうち、躯が身を捩じらせて「くすくす」と笑った。
「飛影、それくすぐったい。」
笑わせることができたのが嬉しくて、俺はその手を止めなかった。だが最初は面白おかしく笑っていたその声は、だんだんと甘えを含んだ響きに変わってきた。手を舌に代え、躯の肌をつつっと舐め上げてみた。

「あ・・・っ。」
鼻にかかった声が漏れる。それは夜毎繰り返し夢の中に現れては俺を苦しめてきた、躯の姿態。喘ぎに形作られた唇が艶かしい。うつ伏せにさせると、目の前に浮かび上がるほっそりとした背中。後ろから抱え込み、大胆に舐め上げる。躯はぴくんと反応し、反らされた背中が見事な湾曲を作り、鮮やかに俺の目を奪う。

得体の知れない不気味さと、段違いの妖力。
最初に感じた印象は『薄気味悪い野郎』。
だが危険だと分かっていても、呪布の下に隠された正体が気になってしょうがなかった。
一体どんな妖怪で、どんな顔をして・・・。

抱えこんでいた手を上にずらし、胸を両手で覆う。表情までは分からないが、その背中は一瞬拒むように張り詰める。白いうなじに口付けると、微かに震えが伝わってきた。

「飛影・・・。」
「・・・なんだ。」
「顔、見せてくれ。じゃないと・・・、オレ・・・。」
「わかった。」

ほっとしたように表情を崩す躯。それ以上は言わせたくなかった。そして気づいてやれなかった自分を恥じる。ちょっとした事で過去がフラッシュバックしてしまう不安定さの中で、躯の神経は現在と過去を綱渡りをしているような状態に見えた。

『今度はオレの意識に触れてくれ』
躯の素顔。玩具奴隷として生きた過去。
その意識は俺にとって決して不快なものではなかった。
自由の代償として失った右半身。凄惨なその姿は崇高にすら見えた。

躯を仰向けにさせると両胸をつかみ、揉みしだく。ケロイド状に爛れて判別の難しい胸も、完璧な椀型を保った美しい胸も、対照的な姿をしたそれは、どちらも欠かすことのできない躯が躯であるための要素。右胸の小さな突起があったと思われる場所を口に含んでみた。

「はぁ!・・・う・・・。」
「ん・・・んっ。」
ざらざらと舌に残る感触。躯の声がさらに大きくなる。右半身をなでさすり、右胸を執拗に嘗め回し舌で嬲る。その姿を失っても、俺の愛撫に反応する。その様子がいじらしくて夢中になった。

あの時は治療ポッドのガラス越しにしか眺めることの出来なかった、躯の身体。紆余曲折を経て、今はこうして俺の腕の中にある。左胸の先端もこれ以上ない程に張り詰めている。指で触れ、はじく。躯の声が高くなる。俺にとってはどちらも変わらず愛しい。美しい左半身も、爛れてしまった右半身も。

ひたすら戦い続け、いつしかナンバー2の座まで上り詰めた。
躯の側にいる機会が必然と増え、その姿を目で追うようになった。
だが強くなれば強くなるほど、躯との力の差を意識する結果になる。
力で勝てない惨めさと、どうしようもなく惹かれてしまう気持ちの葛藤。

躯の身体が汗ばんできた。戦いの最中でさえ、汗ひとつ描いた事がなく、いつも涼しげな顔で俺を見下ろしていたのに。病的な程白い陶器の肌が、ほのかに赤く染まって匂い立ち、こちらの欲情を煽る。

理性を保つぎりぎり手前のところで留まっていたが、もうこれ以上我慢がもちそうにない。躯の内腿に手をかけ、間に身体を割り込ませる。奥にそっと触れると、ちょこっと指先を濡らす程度で途端に躯が逃げ腰になる。とっさに足首を押さえたが、躯の抵抗はやまず、身をよじって逃れようとし始めた。

「むくろ?」

頬に手をかけ、顔を覗き込むが視線は既に焦点が定まっていない。躯の意識が過去に漂い始めてしまっている。その間にも躯の抵抗は大きくなる。抱きしめようとするが、それすらも拒否しようとする。

「痛っ・・・。」

躯の頬にかけていた手から血が滴る。内に秘められていた妖気が急激に膨れ上がる。瞬間、肩口にさらに鈍い痛みが走った。

躯が噛み付いていた。

焼け付くような痛みに、思わず歯の間から呻きが漏れる。躯は自分の身体を押さえ、うずくまる。全身にさざ波のように広がる激しい震え。抑えを失った妖気が部屋狭しと暴走する。躯に奥深くに根付くトラウマは、俺が想像していたよりもはるかに深い。周囲の空間がひずんで、ギシギシと音を立てる。膨大な力が躯の身体に集中する。防御しないと次は確実に殺られる。だが、躯相手にこんなところで、こんな時にまで妖気をぶつけ合い、力で押さえつけたくはなかった。

やはり躯を抱くことは無理なのか。
時雨と相打ちになり、倒れた時のどこか諦観した心境が再び沸きあがってくる。
そもそもあの時、この命を拾い上げたのはこの女だ。
この先叶わぬ願いに締め付けられるぐらいなら、このまま消えてしまっても構わない。
そうすれば、これ以上躯に醜い感情を持たなくて済むのだから。



最悪を予感した。
だが、躯の身体から放出された妖気は、何かに阻まれ途中ではじけ、霧散した。

無論、俺自身は防御の構えすら取っていない。それに躯以上の妖力を持つものなど・・・。
「氷・・・泪石?」

躯の食いしばった歯の間からぽつりと漏れた声。氷泪石?氷泪石は今ここにはない。部屋の引き出しの中にしまってある。今の隙に躯を引き寄せ、抱きしめる。すると肩の痛みが先程よりひいてきているのを感じた。と同時に、自分の体温が一気に冷えてくるのが分かった。傷を癒すためにいつも押さえつけていた冷気が発動し始めてしまっている。『冬眠』だ。このままでは無防備な躯を凍えさせてしまう。

と、腕の中の躯が俺を見つめた。さっきまでとは違い、きちんと焦点の定まった目。

「飛影・・・氷泪石だよ。」
「さっきから何を言って・・・?」

躯から離れなければ、と思ったが逆に躯は強くしがみついてきた。
「このままでいい。」
「やめろ、冷えるぞ。」
「気づかないか?」
「何がだ?」
「護られてるぞ。ほら。」

躯がおもむろに中空を指差す。そこは一見何もないように見える。だが、景色に微かに青い霞がかかっている。 青白い光。冷ややかでいながらどこかあたたかい、それは人間界で見てきた月の光にも似て静かなあたたかさを湛えて、俺と躯を中心として球形に大きく広がっていた。まるですっぽり包まれたような感覚。


「一体誰が・・・。」
「炎と氷の融合。明らかにお前が作り出した、この世にただ一つの氷泪石。」

そうだ、分かっていた。だが認めたくなかった。炎の妖怪。同胞から忌み嫌われ、捨てられたこの身にいまさら氷が宿るなどと。しかもご丁寧に癒しまでもたらす。そんなものなど必要ない。俺に必要なのは全てを焼き尽くす煉獄のみ。


「オレはまた救われたんだな。」
「また、だと?」
「お前の母にさ。」

母の形見の氷泪石。
不意の気の緩みで飛影の手を離れたそれは、故郷を巡り、妹と結びつけ
辿り着いた先は一人の孤独な女の元だった。

「オレは母を知らない。だからこそ余計に惹かれるのかもな。」
躯がふわりと微笑む。手を触れたら崩れてしまいそうな、危うさを湛えて。

躯を少しでも癒すことができるのなら・・・。炎へのこだわりなどほんのちっぽけなものでしかなくなってしまうことを知っている。意識して氷をコントロールする。優しい風が躯の髪をなで上げる。青い光に反射し、白い肌の造る陰影がきらきらと輝く。


「こんなに冷たくなって・・・。無理させて・・・済まん。」
「躯・・・。」
躯が俺を抱きしめる。
「オレが飛影を温めるから・・・。」

だから、抱いて。消えいるように囁く声。
躯は俺の上に跨ると、少しづつと身を沈める。そしてゆっくりとリズムを刻み始める。下から合わせてやると、薄く開いた唇からため息が漏れる。間延びしそうなくらいゆっくりとしたペースに焦れ、激しく突き上げる。

「は・・・・あっ。」
少し抑え目な躯の声。
「遠慮するな。どうせ遮断されて外には漏れん。」
「!お前なぁ。」
「俺の作り出したものなら、どう使おうと勝手だろう。」
そして更に激しく突き動かし、内をかき乱す。

「あっ、あっ・・・・・!!!」
「もっと・・・聞かせろ。」
「や・・・ぁ!」

細いようで、しっかりと鍛え抜かれた筋肉が、抜群の律動を生み出す。反り返った腰のラインが妖艶ながら力強く、野生の豹を思わせるようなしなやかさで、俺をぐいぐいと捕らえる。
もっと早く、もっと強く。もっと奥へ。
深淵へと手繰り寄せられる。とめどなく襲ってくる快感の波。
まだまだ足りない。躯はさらなる快感を求めて、狂ったように腰を動かす。なんて美しい野生の獣。


だがそういつまでも上位ばかり気取られても困る。
躯の腰を抱き、くるりと反転させると今度は逆に下に組み敷く。
抜けかかってしまったそれを、一気に奥まで突き入れ、じりじりと後退させるとまたぐっと奥まで入れる。さっきまでとは少しゆっくりとしたペースで。躯の高い嬌声が、潤みを含んだ響きに変わってくる。激しい動きを欲しているのは明らかだった。瞳がとろけ、身体全体で哀願している。


口付けを交わし、躯の喘ぎを掬い取る。しがみつく腕は誘い込む仕草。頬に手をかけ、その瞳を覗き込む。狂おしい程愛しい光を放ち、それだけでこちらがイッてしまいそうになる。

「こっちを見ろ。躯。」
「はあ・・・あっ。」
「目を逸らすなよ・・・。」
「飛影、は・・・やく・・・ほし・・・い。はや・・・く!」
「むくろ・・・。」


躯に向かって激しく腰を打ち付ける。その動きのままに躯もまた揺れる。辺り憚らず、何度も高く嬌声が漏れる。襲い来る快感に抗う術はもうない。あまりに我慢しすぎた。もうこれ以上はもちそうにない。

躯の柔らかい胸を激しく揉みながら、一突きすると、快楽を外へと解き放った。
そのままガクリと倒れこむ。躯が応える様に、しっかりと抱きとめた。そのまま互いの打つ鼓動の音を聞いていた。脱力した身体を小さく揺さぶるリズムが心地よい。そこだけくり貫かれた青い空間は、ひそやかに躯と俺を包み込み続けていた。


そっと身体を起こすと、躯を目が合うと、寒くなかったか?と聞かれた。
「あ?ああ。」
何を当たり前なことを・・・あれだけ動いていれば・・・、と思ったが。

「オレの側にいてくれる限り・・・。」
「・・・?」
「何度でも寒さから救ってやるよ。」

思わずとってしまったぽかんとした表情。躯の瞳が悪戯っぽく光る。

「何だそれは?!プロポーズか?!」
「ち、違う!そうじゃなくてだな、なんだ、その・・・。」
「お前の言うことはいつも突拍子がなくて、よく分からん。」
「・・・・・・。こんな事でずっと足踏みしてた自分が・・・恥ずかしくなってきて、ほんとに済まなかったなと・・・。だからできることがあれば、と思ったんじゃないかっ!」

照れ隠しかなんか知らんが、手近にあるふかふかの羽枕をこちらめがけて投げてきた。悔しいがスピードの乗ったそれは見事に顔面にクリーンヒット。

「・・・おい。言っていることとやっていることが矛盾してるぞ。」
「うるさい!下らんことにこだわってないで、さっさとその奇妙な妖気をコントロールできるようになれ!」
「な・・・に?!」
「うまく融合できるようになったら、オレを超えられるかもしれないぜ。」

さっきまで俺に向かって甘い声を出していたと思ったら、すぐこれか。だがさっきからやたらまくし立てているが、耳まで赤くなったほてりがまったく引いてないのは見逃せない。


「そうだな。」
「え?」
意外とあっさり認めてしまった言葉にびっくりしたのか、躯に一部の隙ができる。
素早く上に覆いかぶさると、再び唇を奪う。

「お、おい。まさかまた・・・。」
「超えてやるぜ。」
「は・・・ぁ?!」
「いづれな。」

再開された愛撫に、また互いの肌が熱く燃え上がる。月光の如く柔らかに降り注ぐ光が、求め合う二人を見守るように優しく包みこんでいた。


目を瞑れど、瞼の裏に浮かんでくる。
愛しい女性の面影。もう失くしてしまうことに怯えなくてもいい。
このぬくもりをずっとこの胸に抱いていくから。
だから・・・飛影。もう迷わないで。






---END---