十続・学園天国〜躯争奪戦〜 十
バイトまで、まだ少し時間がある。
帰ってからでは遅れるし、学校で時間を潰してから行く方が利口だ。一応受験生だし、少しでも勉強しておこうかな。図書室なら静かだしうってつけだ。
と、思っていたのに。
「あ〜、ダメだ、全然忘れてるわ」
「覚えているほうが奇跡だ」
「つーか何でお前らここに居るんだ」
躯は今まで解いていた英語の問題集から顔を上げた。今年めでたく卒業を果たしたはずなのになぜか学校に入り浸っている雷禅が、持っていた英語の教科書を黄泉の顔のまん前に移動させた。
「だから、お前に会いたいんだって。言っただろ?好きだって」
躯はため息をついた。
雷禅が卒業してから、この3人の関係は少しだけ変化を見せた。そう、2人が彼女に告白したのだ。
流石の躯もそれには最初戸惑った。一緒に居て足掛け15年くらいになるが、全くそんな素振りは見せなかったし(といっても、周りに言わせれば明白だったらしいが)、その周りも何も言わなかったので、彼女は全く気付かなかったのだ。
初めのうちはこの「仲のいい幼馴染」の関係が崩れてしまうのではないかと危惧したが、ここは付き合い15年目の強さ。黄泉と雷禅はお互いにお互いの想いは知っていたし、何だかんだ言っても普通に接してくれるので、躯も安心して今まで通りにしていられた。変わったことといえば、愛情表現が、恐ろしく鈍い躯にも分かる程度にまでストレートになったということだ。
そしてもう一つ。
「良いから教科書返せ雷禅」
「いつぞやの黄泉みたいだな」
「うるせ・・・」
突然、躯の口が塞がれる。
後ろから、首筋に軽くかけられた手。
・・・しまった。今日もやられてしまった。
「飛影――――――!!!!」
今までならこの2人に女(躯)がらみでケンカを吹っかけようなんていう命知らずが居なかったのが、最近になって出てきたことだった。
雷禅が叫び黄泉が無言で持っていたシャープペンを握りつぶし、躯がすばやく身を翻して裏拳を繰り出す。
「お!今日は避けた」
「そりゃあ毎回やられてるんですから、そろそろ避けられるようにならないとね」
「それにしてもよくやるぜ、人前でキスなんてよ」
どやどやと飛影の友人、幽助、蔵馬、桑原が図書室に入ってくる。躯は裏拳を避けた飛影に追撃はせず、ため息をついて自分の座っていた椅子に戻った。蔵馬が空いていた彼女の隣に座る。
「毎日大変ですね、貴女も」
「そう思うんなら止めろ。ていうかやめさせろ」
「いや、見ている側としては面白いものですから」
「そういうお前も、気配くらい悟れよ」
「あ〜、それは無理じゃねえ?あいつ、気配消すの完璧だから」
躯の後ろで、野郎3人(主に雷禅)がぎゃあぎゃあと言い立てている。
「人の後ろで火花散らすな・・・」
躯はまたため息をついた。
『あんた、それは贅沢ってもんよ。世の中にはね、想ってても振り向いてくれない人がごまんといるんだから』
「それは具体的にお前のことか?」
『あたしを含めて、よ』
受話器越しに弧光が言う。躯は電話を左手に持ち替え、右手で濡れた髪をバスタオルで拭きながらパイプベッドに腰掛けた。冷たいシーツが、湯上りで火照った身体に心地いい。
「でもお前、3組の煙鬼に落ち着いたんだろ?」
『ん〜・・・まあ、ね。仕方なく』
「仕方なくとか言うなよ。それじゃお前も贅沢じゃねえか」
『あら?』
「人のこと言えねえな」
『・・・そうね。あたしもまだまだだわね』
おばさんくさい言い方をした弧光に、躯はくすくす笑った。
『あ、ごめん、あたしもう寝るわ。お母さん睨んでるし』
サイドボードの小さな置時計に目をやると、針は既に夜中の1時をさしていた。
「ああ、もうこんな時間か・・・」
『あんたも湯冷めしないうちに早く寝なさいよ』
「ありがとう。おやすみ」
『おやすみ〜♪』
ぷつ、と通話が切れる。躯は電話を放り出してベッドに仰向けに倒れた。
(贅沢・・・か)
そしてそのまま、眠りに入った。
十
初めて会ったのは、校門ですれ違ったあの日。
それからは校内でもちょくちょく顔を合わすようになった。
移動教室の時に廊下で会ったり、屋上で昼食を取ろうとしてそこで鉢合わせしたり、みんなで一緒に弁当を食べて、その後日向ぼっこをして放課後まで寝過ごしてしまったり。
いつからだったかな・・・あのガキが、あんなにも粋がるようになったのは。
十
次の日も、そのまた次の日も同様に火花は散っていた。
「よく飽きないな、お前ら」
躯はまるで他人事のように本を読んでいた。飛影の不意のキスにも、もうため息をつくだけのレベルにまで慣れてしまった。
「躯!お前もいい加減はっきりしろ!!」
「というか、何でわざわざお前らの中から選ばなくちゃならないんだ?」
躯はある日逆ギレしてきた雷禅を、そう言って返り討ちにした。
ぽんと、頭の上に誰かの手が置かれる。
見上げると、意外にもそれはいつも有無を言わせない先制攻撃を仕掛けてくる飛影だった。
「よぉ飛影。今日はしねえのか?ちゅー」
雷禅がからかうが、彼は何も返さない。そればかりか、目が座っている。
飛影は躯の隣に陣取ると、少し乱暴に鞄を置いて、そのまま机に突っ伏した。
「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」」
幼馴染3人は首を傾げる。
「おい、飛影・・・?どうしたんだ、具合でも悪いのか?」
躯が触れようとすると、ぱしっ、とその手は勢いよく飛影自身に振り払われた。
「・・・・触るな」
躯は目を見開く。
と、突然飛影は立ち上がった。
「帰る」
言うが早いか、さっさと図書室を出て行ってしまった。
「え、おい、飛影?」
「何なんだあいつは・・・」
躯は、何も言うことも出来ずにその後姿を見ていた。
『触るな』
先ほどの鋭い拒絶の声が耳に響く。
何だよ。いつもは自分からしてくるくせに。
触るなだと?
珍しく、心配してやったのに・・・。
「昨日の飛影の様子が変だった?」
その日は用事があったため図書室に寄らずに帰った蔵馬は、翌日にその話を聞いて、ふむ、と少し考えるような仕草を見せた。そして何か思い出したのか、ああ、と手を打つ。
「多分、風邪をひいていたからだと思いますよ」
「「風邪?」」
黄泉と雷禅が鸚鵡返しに聞く。
「あー、そうじゃねえか?昨日から何かしんどそうだったし。ちなみに今日はあいつ、学校休んでるからここには来ないぜ躯」
「「何で躯に言う」」
「何でオレに言う」
年上3人の声がだぶる。
「いや何となく」
躯は頬杖をついてシャープペンをくるくる回した。
飛影がいないということは、騒ぎもなく平和に過ごせるということなのだが何となく寂しい。何か物足りない。騒ぎが起きないからじゃない。じゃあ何なんだと、頭の中で自問を繰り返す。
「キスしなかったのも、触るなって言ったのも、突然帰ってしまったのも、貴女に風邪を移したくなかったからだと思いますよ」
「ほーお。そりゃ結構な心がけだな」
「お前はそれでも会いに来そうだがな」
躯はしばらく宙を睨んでいたが、何を思い立ったのか急に立ち上がって、机の上に広げていた教科書(ちなみに今日は日本史)やノートを、ばたばたと慌しく片付け始めた。
「ど、どうした躯」
「蔵馬」
「はい」
「案内しろ」
「は?」
十
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
寝ている飛影の頭の方に座ってしばらくして、そこでやっと冷静になった。どうして自分はここに来たんだ?
ここに来たい衝動に駆られたのは何故だ?
今、部屋の中には大人しく寝ている飛影と、所在無さそうにちょこんと座っている躯の2人だけだった。
『俺らは帰るぜ。邪魔だろうし』
『触らぬ神にたたり無し、ってな』
『何かあったら電話くださいね、すぐに行きますから』
そして、例の2人は。
『な〜んでわざわざ恋敵の見舞いになんか行かなきゃなんねえんだ。絶対御免だ』
『同感だな』
と言って、みんなと一緒に帰ってしまった。
2人の前でこんな行動取るのは、悪かったかなぁ・・・
「・・・おい」
ここでやっと、今まで布団の中にもぐっていた飛影が顔を出して、当社比30パーセント増しくらいに低く掠れてしまった声で躯に話しかけた。
「ん?」
「・・・何で来た」
う、と躯は返答につまった。自分でも分からないものは答えようがない。
・・・それはともかく。
「一つ聞きたいんだが」
「・・・何だ」
「お前、彼女がいるくせにオレにあんなことしてたのか?」
「けほっ!」
飛影が咳き込みながら身体を起こした。驚いたのはその後だった。
「はあっ!?」
躯が見る限り、この広めのワンルームはきちんと綺麗に片付いていたのだが、部屋にある日用品や洗濯物の類は、飛影の男物と、明らかに女物と見て取れるものがもう一組ずつあった。
「しかも同棲までしてる彼女」
「いや、待て」
「信じらんねえ。お前タラシか?」
何だか、自分がここに居ることがものすごく惨めに感じる。
「お前、何言ってるんだ。良いからちょっと聞け」
「遊んでたんだろ」
一旦口に出した感情は、溢れるばかりで止まらない。
よく分からない。よく分からないけれど、何故だか無性に腹が立つ。
「オレをからかって、雷禅達と言い争いって、そうやって遊んでたんだろ!?」
「違う!だから聞けって!!」
躯の顔が奇妙に歪む。
「馬鹿みたいじゃないか・・・1人で、一人で本気にして・・・」
「・・・躯?」
抑えきれない感情が、主人を無視して言葉を紡いだ。
「大好きだったのに!!」
「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」」
しばしの沈黙の後、2人は同時に声を出した。
当の躯も呆然とする。
・・・何て、言った・・・?
大好き?
・・・ああ、そうか。
寂しかったのも、惨めに思ったのも、遊ばれていたのに無性にムカついたのも、そのせいだったのか。
でも、もう遅いよな。
1人で本気にして。何て愚かだったんだろう。
その時、玄関の鍵が開く音が聞こえた。
2人ははっと我に返った。同居人が帰ってきたのだ。
「帰る」
「ちょ、待て躯!」
鞄を持って立ち上がろうとした彼女の腕を飛影が掴む。
「はなっ・・・」
ぱたぱたと可愛らしい足音が近づいてくる。会いたくなんか無い!!
「ただいま兄さん、遅くなりました・・・体調の方はいかがですか?」
そう言って入ってきた少女は持っていたスーパーの袋をテーブルに置き、そこで初めて妙な体勢のまま固まっている躯に気が付いた。
「あら、お客様・・・兄さんのお知り合いですか?」
「・・・ああ、まあな。それにしてもお前、絶妙のタイミングで帰って来たな」
「はい?」
「いや、こっちの話だ」
すとんと力が抜けたように座り込み、2人の会話を聞きながら、躯はぐるぐると混乱していた。
「ただいま」と言ったからには、ここは彼女の家なのだろう。
そしてその後、何て言った?
「兄さん」?
そして飛影もそう呼ばれて答えている。
つまりこの少女は、妹・・・
「妹?」
「あ、ご挨拶が遅れました。初めまして、雪菜と申します」
少女――雪菜は、ぺこりと頭を下げた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・腹違いかお前ら」
思わず呟く。
「れっきとした双子だ」
「双子!!?」
「はい」
雪菜がにっこりと笑う。
・・・・・・・遺伝子の異常だろうか。
そんなことを思わせるほど、この双子の兄妹は似ていなかった。唯一同じだとすれば、その赤い瞳くらいだ。
「だから聞けって言っただろうが」
飛影がため息をつく。
「親が早くに交通事故で死んでな。親戚も俺たちを引き取るのを嫌がって、以来政府の援助と俺のバイト代で生活している。まったく、とんでもない勘違いしやがっ・・・」
飛影はそこで絶句した。
躯が、呆然とした表情のまま泣いていたのだ。
「・・・・・・・・・おい・・・?」
「・・・そ、そうか・・・兄妹か・・・何だ・・・」
照れ隠しなのか、彼女は乱暴に涙をぬぐった。
「あー馬鹿馬鹿しい!!何なんだ一体!!オレは帰る!!」
「おい」
そう言って今度こそ立ち上がる躯に、飛影も慌てて布団をはいだ。彼女の腕を掴み、身体ごと自分の方へ向かせる。
「なん・・・」
そしてそのまま、彼女の頬を両手で包んで口を塞いだ。
雪菜が真っ赤になって目を背ける。
唇を離すと、手は離さないまま彼はにっと笑った。
「明日は行く。お前もちゃんと来いよ」
「・・・」
その言葉にしばらく目を丸くしていた躯だったが、やがて嬉しそうにクスクス笑いだし、且つ困ったような顔で軽く両手で、むに、と飛影の頬を引っ張った。
「お前の風邪が移ってなかったらな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・そういうこと」
後ろからくる飛影のキスに対し、首を反らせてしやすい角度にした躯を見て頬杖をついていた幽助が半眼で呻いた。
「おいおいマジかよ。こんな男のどこが良いんだぁ〜?」
「そうなりなしたか。どうなることかと少しわくわくしていたんですけど。見たかったなぁ、経緯。俺も行けば良かったかな」
「蔵馬!不謹慎なことを言うな!!ちくしょー!俺こそ行けば良かったぜ!!」
今まで魂が抜けていた雷禅が思い出したように喚いた。黄泉も必死に耐えているようだが、怒りと後悔のあまり拳が震えている。
「躯!!裏切るのか!?15年目の想いをフイにするのかお前は!!?」
「それはオレも悪いとは思っている。いつも一緒にいてくれていたしな・・・でも」
躯はそこで手を止めて、顔を上げた。
「それとこれとは別問題だ」
「あ――ちくしょう!!やっぱり可愛くねええぇぇ―――――――――――!!!!」
黄泉は抑えるように、震える肩をいからせ下を向いていた。とうとう、ばきっ、と何本目かになるか分からないシャープペンが壊れる。
「・・・・・・・・・・・これだけは、これだけは仕方がないのかもしれん。昨日俺たちが付いて行かなかったミスだ。早々に飛影を排除しなかった俺たちが悪い」
雷禅も、怨むような目つきで飛影を睨む。
「・・・・・・・・分かっている、それは俺も分かっている。確かに俺たちのミスだ」
「「だがな!!」」
2人は「びしいっ!!」という効果音付きで飛影を指す。
「「絶対に取り返してみせるからな!!」」
その宣誓に、飛影は挑発するように躯の肩を抱き、びっ、と親指を下に向けた。
躯争奪戦は、まだまだ終わらない・・・