+Cosmetic Doll+
メディアの力。それは魔界においても例外ではない。
むしろ広大な魔界においては、情報収集の為には必要不可欠だ。
もちろんメディア以外にも巨大国家ともなれば独自のネットワークを持っているが、
それはあくまで戦略上の話。いくら戦いの絶えない世界だからといっても
やはり娯楽は存在したし、音楽文化や芸能文化もそれなりに発達してる。
人間界でいう、アイドルや芸能人、モデルという職業もきちんと確立している。
そしてその影響は移動要塞百足・・・最も芸能・娯楽に程遠そうな国家、においても例外ではなかった。
目覚めたら無機質で冷たい天井が真っ先に目に飛び込んできた。
最初の頃は少々戸惑ったものだが、じきに慣れてしまった。
そんなものだ。慣れてしまえばだんだんと何も感じなくなってくる。
まだはっきりとしない目をしぱたきながら、むっくりと起き上がると、手にひんやりとした感触。
どうやら、刀を研ぎながらうとうとと寝てしまったらしい。無用心極まりない。
鋼色の刃には、不機嫌を顔に貼りつかせた飛影・・・己自身の姿が映し出されていた。
以前ならば、こんな事はなかった。
気のむくままに魔界中を何週間・・・いや何ヶ月も渡り歩いていても飽きなかったし、
刀を研ぎ始めると何時間でも作業に没頭することができた。
それが最近はどうだ。
何をしていても集中できない。
砥石を再び手に取ったものの、またぼんやりと考え事をしている自分がいる。
そして部屋の中をぐるりと見回す。一刻前と全く変わらない風景。
どうやら部屋の主はまだ帰ってきていないらしい。
乱雑に放り出された洋服、見慣れない貴金属類。
数ヶ月前とはあまりに違った様子なので、かすかに残った躯の妖気が残っていなければ、
誰も躯の自室だとは思わなかっただろう。
俺は何をしているんだろう。
こんなところで。
ひたすら惰眠を貪って。
いつから自由を失った?
床に散らばった雑誌のページがめくれて、金髪の美女が流行の服を着て微笑んでいる姿が見えた。
極力それをを見ないようにして、俺は再びベッドへ寝転んだ。
ひどく気分が悪い。イライラする。
そうして、また己の混沌とした世界へ迷い込んでしまう。
別にアイツの事を縛りたいわけじゃない。
好きなことを好きなようにやる。それが互いの暗黙の了解。
実際自分もそうしてきたし、躯が自ら楽しんでやっていることを止める権利は自分にはない。
むしろ、嬉しかったぐらいだ。幸せそうなアイツの顔が見られたのだから。
何がそんなに不満なんだ?
魔界統一トーナメントで、初めて素顔を全魔界に示した躯。
魔界中を震撼させていた三竦みの一人の、その凍りつくような噂とはおよそかけ離れた、ため息の出るほどの美女。
トーナメント中継の視聴率は95%。
放送を流していた魔界不死TVは、癌陀羅の抱えるメディアの一つであり、
他のTVをはるかに凌ぐ力で、この時も放送の独占権を得ていた。
中継番組は盛況のうちに終わり、癌陀羅にも多大な利益をもたらしたが、
躯の衝撃的な素顔はトーナメントの勝敗とは別に、各局の度肝を抜いた。
躯を起用すれば、必ず視聴率が取れるはずだ。
数ある雑誌社もその類に漏れなかった。
あの美貌とカリスマ的な魅力。必ずやファッション界のトップに君臨できる。
そうは思いつつも、なんと言っても相手は強大な力を持ち、解散したとは言っても元は一国の主。
どうやって本人とコンタクトをとって、出演の交渉をするのか。
百足の戦士達も、側近は皆屈強のつわもの揃い。
・・・となれば。正面切って突き進むのは無謀というもの。
魔界不死TVは、まずファーストレディ孤光を芸能世界へ引きずりこみ、
孤光の耳に躯を誘ってはどうか、との話を吹き込んだ。
当局も、まさかこんな方法にあっさりと躯がのってくるとは意外だったかもしれない。
かくして、躯は瞬時に芸能界女王の道を駆け上がってしまったのである。
今やTVや雑誌で躯を見かけない日はないと言っても良い。
着飾ってふわりと微笑む躯。
まっすぐファンダーを睨み付けるキツイまなざし。
流し目で捉える、妖艶な仕草。
---俺の知らない躯が増えていく---
とその時。
百足内の数多の妖気がさざなみのように動いた。
主の久しぶりのご帰還だ。
主不在の要塞は、多少荒れるかと思われたが意外に落ち着いていた。
皆こう思っていたのだ。
「飛影が独占している状態よりはマシだ」と。
躯が忙しければ、飛影と合う時間もおのずと取れなくなる。
そんな飛影を見て、陰でほくそ笑んでいる連中も居るには居た。
というわけで、百足内には変な連帯感が生まれていた。
「躯様、お帰りなさいませ。」
「特にこれと言って変わった動きはありません。」
「煙鬼殿から伝言を承っておりますが・・・。」
さっきまであんなにしんと静まり返っていたのが嘘のように、扉の外は騒がしくなっていた。
躯がかえってきた途端、カチッとスイッチが入ったように。
アイツは真っ直ぐこちらに向かってくる。自分の部屋へ。
急に焦り(なぜだか分からんが)、ホッポリ出していた砥石を再び引き寄せると、
刀を研いでいる・・・ふりをすることにした。
ぎいっ。
久しぶりに躯の妖気が部屋中を満たした。
「あーうざったいうざったい。帰って来るなりあっちからこっちから寄ってたかって・・・あ、飛影?!」
嗅ぎ慣れない、甘ったるい香りが鼻につく。
俺は躯に背を向けたまま、無言で刀を研いでいた。
「珍しいな、お前がオレの部屋にいるなんて。いつも呼んだって来やしないのに。
どういう風の吹きまわしだ?」
どうしたもこうしたもない。
俺自身よく分からないことを説明できる訳もないだろう。
「もしかして、オレの帰りを待っててくれたのか?」
!!
なぜ貴様にそんなことを言われなきゃならないんだ!
俺は自分のしたい時にしたいようにやっているだけだ。
またムカムカと苛立ちが沸いてきた。だいたいこのニオイは何だ?
帰ってくる度、新しいものを持ち込みやがって!!
一応それだけの反論の言葉が沸いたが、黙っていることにした。
今のヤツとは口も利きたくない。そんな気分だった。
「撮影、撮影の連続でさすがに疲れたな〜。楽しくないのに、笑えって言われたってさー困るんだよな。
休憩はないは、あちこち移動させられるわ。散々だったな。」
帰るなり愚痴のオンパレードか?
そんなに嫌なら辞めてしまえばいい。
そう、とっとと辞めてしまえばいい。
「さて、風呂でも入って一眠りするかな。飛影・・・飛影?」
呼びかけられたが、構わず無視することにした。
意識を刀に集中させる。
「なぁ、どうした?」
だから、どうしたこうしたもない!
躯がゆっくりと俺の後ろに近づき、肩に手を置いた。
その手をふいと振り払い、言った。
「邪魔をするな。」
できる限りの無機質な声で。
少しの沈黙の後。
無理やり力で肩を後ろに引かれた。
強引に向き合う形となり、その時初めて躯の姿を見た。
ファーの付いた暖かそうな白いコートを着、黄金の髪はきめ細やかに梳かれている。
そして化粧に縁取られたその肌は陶器のように白い。
限りなく美しいはずなのに、限りなく現実味がない。
蔵馬の言葉を思い出した。
それは俺の危惧を裏付けるような話だった。
最近、人間界の芸能界にも妖怪が進出してきている。
人間とはかけ離れた雰囲気と、ミステリアスな魅力が相まって、売れっ子になる者が増えてきている。
あと数年もすれば、人間界への芸能界進出は、
魔界にとってビッグマネーに結びつくビジネスになるのではないか。
魔界は無法地帯。人間界では禁じ手でも魔界に行けば可能。
神への冒涜、と恐れられるその行為。
遺伝子操作による生物の生成や売買。
魔界ならば、人間界ウケする美男美女を作り出し、売り出すことなど造作もないこと。
既に先を見越し、動き出している者が居た。
奴隷商人痴皇。
正確には痴皇本人ではない。痴皇は既にこの世にはない。
とっくに躯・飛影の手によって葬られている。
が、その息のかかったものは、アリの巣のように各地に点在している。
躯はその事実を知っているのだろうか。
一見きらびやかな世界の、その後ろで渦巻くどす黒いものに気づいた時、
彼女は自分が一時でも身をおいた世界をどう思うのだろう?
それに気づく前に教えてやらねば。
だが、それを制したのは情報を提供した蔵馬本人だった。
「しばらく様子を見ましょう。」と。
確かに、百足で先ほどの自分のように自室で惰眠をむさぼり、気が向いたらパトロールに出かけ・・・。
あの頃の躯に比べると、今のほうがよっぽど生き生きとして楽しそうだ。
だか煮え切らない。
そんな理屈では説明がつかない。
---こんな躯は俺の知っている躯ではない---
「・・・顔が売れては動きづらいんじゃなかったのか。」
不満の言葉が口をついて出た。
今まで上機嫌だった顔が、不意に崩れる。
「久しぶりに会ったのに・・・妙につっかかるのな。」
「無邪気に楽しんでる場合なのか?」
「何?それはどういう・・・。」
頭の中でそれ以上言うな!と汽笛が鳴っていた。
が、一度滑り出した舌は止まらなかった。
「貴様のような人形が増えることになる。」
しん。
その場の空気が一瞬にして凍りついた。
ニンギョウ。お前は飾り立てられたニンギョウ。
躯はついと背を向けると、いかにも高級そうなコートや洋服をバサバサと脱ぎ始め、普段着に着替え始めた。
軽く伸びをすると、再び俺の方に居直り、脱ぎ捨てた服の山を示しつつこう言った。
「こんな服を着たオレは嫌いか?」
「服がどうとかそういうことじゃない。」
「だがさっきとオレを見る目が違う。」
「!」
確かに。ほっとしていた。
いつもの服をまとって振り返り、リラックスした顔を見せた躯はいつもの躯だったから。
俺の良く知った躯だったから。
変わってはいないんだと。分かったから。
「オレは昔のオレじゃない。着飾った人形じゃない。全て自由意志でやったことだ。
ちんけなブタ野郎達の奴隷達の手本になる気も毛頭ない。」
気づいていたのか。それはそうか。仕事中にそれとなく裏の気配を察知したこともあったのだろう。躯はさらに続ける。
「さすがに疲れたよ。最初は遊び半分のつもりだったんだ。
実際いい気分だったしさ。いい服きて化粧して、綺麗になれるのはさ。
だけどこんなに忙しくなるなんて思ってなくて、お前にも会えなくなって来るし・・・。」
そう言うとと俯いてしまった。その姿は途方にくれた子供のように見えて。ひどく頼りなかった。
「随分と素直なんだな。」
「なんか・・・このままだと飛影がオレから離れちゃいそうな気がしてさ。」
俺は躯の頭を抱き寄せ、撫でてやった。
ぐったりともたれかかってくる、その重さを感じながらゆっくりと髪を梳いてやる。
すごく落ち着くんだ。初めてそうしてやった時、言っていた事を思い出して。
「ん・・・やっぱりいいな・・・。」
躯の声が耳元を掠める。
だんだんと緊張がほぐれてきているのが分かる。
緊張?こいつでも緊張することがあるんだな。
「慣れない事をするからこんなことになるんだぞ。」
「あ・・・ん・・・。もう、やめる。」
「何?」
眠気が襲ってきたのか、くぐもった声で話されるのでよく聞き取れない。
「飛影にあんな顔させるんだったらぁ・・・もう・・・やめる。」
「あんな・・・顔?」
「さびしそうだった・・・ぞ・・・。」
思わず苦笑した。
寂しそう、か。そうか、あの苛立ちや混乱。
あれが「寂しい」というものか。
あまりに孤独な時間が多すぎて知りえなかった感情。
少し前の自分だったら、一笑に付しただろう。
「そんなことはない。」と。
とりあえずは素直に聞いておくことにした。
それは躯の次の言葉が聞きたかったからかもしれない。
「オレも・・・さびしかった・・・。」
閉じられしまった躯の瞼に軽く唇を付け、優しく抱きしめた。
せめて良い眠りが訪れますよう。
限りなく美しいはずなのに、限りなく現実味がない。
だが、その瞳に光が宿った時。
きっと躯の美しさに敵うものはいないだろう。
別に辞める必要なない。
お前の生きたいように生きればいい。
帰り道を間違わなければそれでいい。
今はただゆっくり眠ろう。
互いの鼓動が聞こえるぐらい近くで。
〜END〜