会員便り

村島氏 シベリア鉄道ウラジオストック駅にて
シベリア鉄道ウラジオストック駅にて陽気なロシア人と
シベリア鉄道路線図
シベリア鉄道路線図 Wikimedia Commons提供

旧ソ連・ロシア体験記

村島 和夫(1974年、昭和49年入社)

〈前書き〉
今やウクライナ戦争真っ只中、プーチン氏の戦争と言われるが、 ロシア国民のプーチン氏支持率は世論調査の信憑性に疑問はあるものの70%以上と言う。
何故?一体ロシア国民の本音はどうなのかと懐疑的になる。

現役時代、ビジネス上に限られるが、ロシア人との接点があった経験から関心が呼び起こされるこの頃である。
旧ソ連・ロシアを訪問した当時を回顧してみたい。

〈本文〉
私は現役時代、現在のロシアを三度訪問した。
一度目はソ連邦崩壊直前の1991年6月、当時のソ連産パルプ材の日本側紙パ各社が共同出資した輸入窓口会社 「日本チップ貿易」の現地視察団の一員としてであった。
二度目、三度目はソ連邦崩壊後に「日本チップ貿易」が解散、後を受けてパルプ材ビジネスに乗り出した 日本商社から、当社に輸入木材チップ案件の紹介があり、その調査が目的であった。

一度目の訪問は、80年代終盤のゴルバチョフによるペレストロイカの一環でのグラスノスチ(情報公開) の流れで実現したものであり、画期的ではあったが何せ当時はベールに包まれた社会主義国、まだまだ不安を抱えての訪ソであった。

日本とロシアの関わりについては、ロシア帝国として江戸時代の蝦夷地到来に始まり、日露戦争(1904-1905)を経て、 ソ連(1922年成立)として太平洋戦争終末期に日ソ中立条約を破棄しての対日戦参戦が行なわれた。
私にとってソ連は、戦後の東西冷戦時代に暗躍したKGBのスパイなどに代表される物騒な社会主義国家くらいのイメージしか持っていなかったが、 お国柄、国民性等に触れる貴重な体験となった。

訪問先はハバロフスクを中心とした極東地域で、中にはまだ殆ど日本人が足を踏み入れたことの無いエリアもあり、 垣間見える地方港湾都市には軍艦が停泊するなど緊張感一杯の旅であった。
地方を廻り旅の終盤ウラジオストックに着いた時には、サンフランシスコに似た地形もあってか 自由主義国の空気を覚え、安堵したものである。

訪れたどの街も総じて寂れていてインフラも荒廃、港湾のクレーン等は殆ど稼働しておらず、 視察した木材加工々場も全く活気無し。
街の商店では少ない品揃えを前に無愛想な店員、走っている車は殆どが日本からの輸入中古車等々、 計画経済となっている社会主義国ならではの光景であった。
まさに民生面を犠牲にし、冷戦時代軍拡に血道を上げてきた国の果てを肌で感じた。

余談だが、初回訪問時のホテルの各フロアには、KGB要員と覚しき見張り役が、 ロシアとなった96年訪問時の夜のバーでは不気味さ漂わす屈強なボディガードらしき人物が居並び、 まさにロシアの監視社会、裏社会を観る思いがした。

肝心のビジネス面では、日本チップ貿易時代は通商代表部のテクノクラート(技術官僚)が相手で、 これがなかなかのタフさ。
二度目、三度目の相手は、オルガリヒ(新興財閥)の幹部でわりと柔軟な考えを持ち、 且つビジネスにもかなりアグレッシブな姿勢を感じた。
その反面、国営工場などの一般ワーカーは仕事の成果が報酬に反映されにくい社会構造故、 ノルマさえ達成すればそれ以上のことはしないという徹底さ。
そこには向上心の欠片も無く、必然的に生産性は低いとのこと。
これは地方工場の設備修理工事一つにしても、中央政府が関与する社会主義計画経済システムのせいであろう。

さて、1991年12月のソ連邦崩壊から32年となる今日のロシアは、一応は民主化された社会になり人心もかなり変わったことであろうが、 事実上の一党独裁の政治体制は変わらず、ニュース番組等を観る限りでは、報道・表現の自由が無くお上にものが言えず、結局無関心、事なかれ主義となっているようだ。
ソ連邦崩壊後の混乱した90年代を経験したせいか、必然的に変化やカオスを望まず、安定を第一とする国民性に変わりは無いようである。

ロシアの一方的な侵攻に始まるウクライナ戦争については、プーチン氏の身勝手な誤った歴史観による欺瞞性に満ちた暴挙であると多くの専門家が指摘している。
にも拘わらず、ロシアではプーチン氏支持がマジョリティとなっている実態は、 反体制派を言論統制、力づくで抑え込む現政権の手法に国民が抗えないからであろう。
全くもって切歯扼腕する思いである。

大量の天然資源を持ち、大量保有する核兵器を背景にウクライナ・西側を恫喝、 専制主義国家と民主主義国家との分断をますます深めようとする振る舞いには憤りを覚えざるを得ない。
この戦争につき様々な意見はあろうが、飽くまで私の抱くロシア観である。

映画「ひまわり」のロケ地となったというウクライナのヘルソン州が戦場と化した現状に胸が痛む。