シベリア物語

シベリアの作り方(YouTube)


『シベリア』というお菓子が生まれたのは明治後半から大正初期頃です。当時のパン屋では、どの店でも、このお菓子が作られていました。パン焼きがまの余熱を利用して焼いたカステラと、あんぱんに使うあんを使って作られました。
和菓子のような製品ですが、パン屋で作られたのには、この様ないきさつがあったのです。シベリアパン、シベリアケーキと呼ばれることもあります。しかし、製造に手間と時間がかかることから、いつの間にか、シベリアはパン屋の店先から姿を消していきました。さいわい当店のシベリアは、お客様に愛され続け、大正5年(1916年)創業以来、製法も当時のまま、今日に至っております。

2001年5月作成のオリジナルレポートです。

@夢のシベリア鉄道説


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名前の由来☆諸説紛々
コテイベーカリー
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当店は「シベリア発祥の店」ではありませんが、大正5年創業当時、
 どのパン屋でも作っていたシベリアに当店独自の工夫を加えて、
 今日まで製造販売を続けております。

ようかん部分が、大雪原を走るシベリア鉄道に見えるから。


A掘ってびっくり地層説
カステラとようかんがシベリアのツンドラ(永久凍土)の地層に見えるから。


B心あたたかオーバー説
シベリアは極寒の地、ようかんが寒くて可哀想、カステラのオーバーを着せたから。
 

Cドッテテ ドッテテ シベリア出兵説
大正7年(1918年)にシベリア出兵事件がありました。当時の人々にとってシベリアは身近な外国の地名でした。その頃に作られたお菓子で、洋風な印象を与えるものだったので、そのまま名前になりました。

D思ひ出の喫茶店名説

  (これは当店のお客様からの情報です)
「小樽の町「シベリア」という名の喫茶店がありました。
ロシア革命(1917年)のために亡命して来たロシア人が経営していた店でした。
そこでこのお菓子が売られていました。
父がよく『シベリアで買ってきたよ』と言ってお土産に買ってきてくれました。」


E闘うお菓子屋さん説
日露戦争(1904年)日露戦争に従軍した菓子職人が考案したから。


F恋するお姫様説
ロシア革命で、神戸に亡命した美しい貴族の姫君が恋人の亡骸が埋まっている、シベリアの凍土を想いながら作ったから。


   ☆いろいろな説がありますが、あなたはどの説がピッタリだと思われますか?☆