例えば君がいなくなったら



ギギギギギィ〜♪

「もうっ何でココで間違うかな」
練習室に差し込む光がオレンジ色に変わってきた頃、1人香穂子は零した。
昨日まで間違えた事も無い箇所で、今日は何度も音を止めている。

「月森君に怒られちゃうよ…」

もうすぐ最終下校時刻だ。これ以上集中できないまま続けるより帰ろうとヴァイオリンをしまい始める。
ため息をつきながらの作業は捗らない。
集中出来ない理由はただ1つ。



月森の留学

『すごいね』『いいな〜海外』
「なんて言っちゃった後なのに私のバカ」
今思えば“短期”なんて一言も言っていないのに、留学に行ってもすぐに会えると思ってしまった。
いつの間にこんなに月森君の存在が大きくなっていたのだろう?
会えなくなるなんて考えもつかなかった。

これからは音楽科教室へ行っても、練習室に行っても、何処へ行っても
月森君の姿を見ることが出来なくなる。

月森君がいなくなったら、どうしよう
音が、声が、聴けない。合宿も、練習も、コンサートも、どこにも一緒に行けない。
探しても、いない。



キーンコーンカーンコーン

はっと落ちていた意識を戻し、ヴァイオリンケースを閉じる。時計の針は最終下校時刻をチャイムと共に告げていた。
香穂子は大きく深呼吸をし、気合いを入れ直す為「よし!」と小さく言って練習室を後にした。

「日野」

リリの像の辺りにさしかかった時、聞き間違うはずもない声が聞こえた。

「月森君…月森君も練習?」
「ああ」
相変わらずの月森だ。言葉のキャッチボールが上手くはない。
その変わらなさが逆に留学の事を忘れさせてくれる。今のままの日常がこのまま続く様だ。
続かない会話を続かせようとあれこれ考える。

「あ、えと…ねぇ月森君。何で留学の事教えてくれたの?」
規則正しく歩いていた足を止め、少し考えてから月森は言葉を発した。

「明確な理由はと言われたら分からないが…君には言わなければ、と思ったんだ」

『月森の留学』が噂になっている様子はない。知っているとしても先生達等ごく少数なのだろう。
留学を知らせたい人に自分を入れてくれたのかと思った。

それはとても淋しくて嬉しい。

月森の中で、自分が存在している事が嬉しい。留学は淋しいけれど、他の誰かから聞いたのではなく
月森本人から聞けたことは幸せなのかもしれない。

「じゃあ月森君はそっちだよね。またね」
「ああ,また。暗いから気を付けて」

この前は送ってくれた。今日は気を付けてと言ってくれた。嘘を言わない月森の素直な言葉が、気持ちが 嬉しい。

留学する事を告げてくれたのも、彼の心に自分が存在している証。“幸せなのかも”じゃなくて
幸せな事だ。


「もう少しだけ時間をください。そうしたら、ちゃんと『おめでとう』って言うから」


誰にも聞こえない小さな小さな声で香穂子はつぶやいた。


少しだけ気持ちが整理出来た今日は、明るい未来を示すように星が綺麗に輝いていた。



小説、もの凄く久々で本当に自分の書き方を忘れてしまったよ。どんなだよ。
香穂子の気持ちも月森の気持ちも書けないよ。
コミックの第57と58楽章の間のお話です。例えばじゃなくて、確実にいなくなるんですけど。
居るのが当たり前の存在だった人の事を、始めていなくなるって考えた時の不安な気持ちを
読み取って頂けたら良いなぁ・・・。

恋したくなるお題より手放せない恋のお題をお借りしました。
2009/11/25