「スフィア、今日は神社で夏祭りでしょ!?」
「そういや、今日だったなぁ。」

レインボーシティ北部、緑が深く生い茂る山々の中には隠れるように神社が存在する。
市街地から外れ木々に囲まれたこの場所は通常人気は無く静か。
しかし祭事がある度に様相はガラリと変わる。長い参道に出店がずらりと並び、本殿へ上る石段のふもとまでそれは続く。
郊外にも関わらずお祭りは賑やか。夕暮れの涼しい風に乗りヤキソバ、綿あめ、お好み焼きの匂いが立ち込め食欲を誘う。

「ということでお母さん、浴衣を用意しましたー!それも三人分!」

息子と合わせてアリアとヴィクトリアの浴衣を拵えたそうだ。
これ着てお祭りに行って来なさい、母のアイディアに息子は眉根をしかめた。当人はまた思い付きに振り回されると感じているようだ。
だが話を聞いていたアリアは浴衣を見るなりとても気に入った様子で、飛ぶようにはしゃぎ、早く着ようとスフィアの母にせがんでいた。
ヴィクトリアはと言うと、自分が今まで見た事のない着物を無表情のまま見詰めていた。

「二人は私が着付けしてあげるからね、さぁこちらへいらっしゃい。」
「ちょ、母さん俺行くなんて一言も行ってないんだけど。」
「何言ってんのよ、アンタがいなきゃ始まんないでしょ!」

第一、二人じゃ場所がわからないじゃん、男らしく女の子をエスコートしてあげなさい。
面倒に付き合わされるのは勘弁と思うスフィアだったが、アリアが楽しそうに着替えに向かう姿を見て、まぁいいかと考えを改めた。
楽しい事はそこらじゅうにある。要はそれを楽しめるかである。彼女が無邪気に笑う姿はつられてこちらも楽しい気持ちになるのだ。

「アンタ着替え中、絶対覗くんじゃないよ!」
「覗かねぇよw」
「見たら命は無いと思え」
「覗かねぇってのww」
「スフィ兄、絶対見ちゃダメだよ!」
「だから覗かないっつってんだろお前らwww」

一人で着付けの出来るスフィアはそのままリビングで浴衣を身にまとうのだった。
して彼が着替えを終えてから更に十数分、二人が浴衣姿で現れた。
ヴィクトリアは臙脂色の生地に格子朝顔の模様。彼女の白髪と合わせとても映える色。
アリアは黄色い浴衣。描かれている白い花はカップのように奥行きがあり中央が濃い赤茶色をしている。
二人とも長い髪をしているので結ってもらい、いつもと違う髪型をしていた。アリアの簪(かんざし)を見れば翼があしらわれていた。

「えへへ、いいでしょ~。模様はオクラの花なんだよ!」

袖を振って浴衣姿を自慢する。普段から明るい仕草を見せる彼女には黄色がとても似合う。
そう感じたスフィアは正直に感想を述べたのだった。

「うん、似合ってんな。この浴衣はアリアにピッタリだ。」
「ホント!?嬉しい!」

喜びを全身で表現した彼女は、スフィアに向かって飛び跳ね抱きつき、全体重を預けた為そのまま押し倒した。
常時このアグレッシブなハグを喰らうスフィアはそろそろ慣れてきたようだが、ほとんどぶつかって来ると同等の衝撃は痛いのに変わりなかった。
床にもぶつけた場所をさすりながら起き上るスフィア。その際彼の浴衣を見た二人がふと漏らす。

「地味だな」
「アンタは背格好が目立つからそんな色で丁度いいのよ。」

彼が着ていたのは灰絣。落ちついていると言えばプラスの評価なのだが彼女たちはどうもそういうつもりで言ってはいないようだ。
目立つ容姿は誰譲りだよ、自分の親の後ろに結んだ髪を見ながら毒付く。その色は毛先ほど変化し多様な色彩を放っていた。


母に見送られてスフィアを先頭に三人、祭が開かれている神社へと向かう。
時刻は夕暮れ。とはいえ汗ばむほどの陽気が続くこの時期は日が沈むのがとても遅い。
山影に太陽が隠れ、これからようやく涼しい風が吹いてくるのだろう。

神社の祭りに行くのは久しぶりである。
スフィアは幼少の頃家族や友人と行った事があるが、しばらく街を離れていたので長らく行くことがなかった。
どういう場所だったか、何があったか、思い起こすうちにふとある事に気が付いた。

「あ、あの場所の裏は蛍が一杯見れるんだった。」

ほんの独り言だったが、アリアがこれを耳にし小走りにすぐ隣へ追いつき興味を示した。

「え、蛍が見れるの?本当!?」
「ああ。神社の裏を下ってくと小さい川があってさ、その辺りで見れんの。丁度今の時期飛んでるかもな。」
「蛍?なんだそれは」

後ろから聞こえてきた言葉に二人揃って、耳を疑い振り返っていた。
蛍を知らない。そんなヒトが居るのか。
信じられないという眼差しを向けた二人だったが彼女の場合、突然常識を欠くことがあるので仕方がないと思い返した。
彼女の生まれ育ちはまだ詳しく知らない。だが傍にさえいればそのうち教えてくれるだろう。
そう信じて二人ともあまり深く追求するのはやめておくことにした。

「じゃあ、ヴィクトリアも一緒に見に行こうよ!私、蛍を見たい!」

今度はヴィクトリアへ駆け寄りアリアは彼女の腕を取り、蛍鑑賞へ誘った。
これほど興味をそそられる物なのだろうか、彼女が女の子を見下ろす瞳にはそんな考えが映っていたように思えた。
結局のところヴィクトリアは誘いを拒むことはしなかった。
彼女のリクエストで、三人は一路蛍の見える川辺へ向かうことにした。

山のふもとは裸電球の橙味掛かった電灯により煌々と照らし出されていた。
森林の隙間から漏れ来る光を頼りに進めば、木々は急に開け光が一度に目に飛び込む。
揚々と活気のある祭。人々が行き交い、または出店へ列を成し、混雑していた。
参道の両脇に立ち並ぶ店を目当てに人並みは右へ左へ流れている。
売り買いし、同行者と楽しみ、あちらこちらで交わされる声が耳も賑わす。
祭会場に辿りつくとアリアは突如駆けだした。雑踏を掻い潜り走り始めたのだ。

「蛍は神社の裏でしょ?早く行こうよ!」

呼び掛ける声は既に遠く、スフィアはあわてて追いかける。
しかし彼が人波を抜けるのは困難。まだ小さい彼女に対し自分は体格が恵まれ過ぎている。
咄嗟にアリアを追って走り出してしまったが、ヴィクトリアが一緒に来ているか気に掛った。
ヒトで溢れかえる辺りを見渡すとすぐに見つかった。白い髪は電灯の色を反射させつつ存在感を示していた。

「な、アイツらの方が早い……!」

ヒトとヒトの間を縫い進むヴィクトリアはその動きが俊敏で、たくさんのヒトに揉まれるスフィアとは比ではない早さだった。


「スフィ兄、早く早く!」
「ちょ、待て、もう疲れた;;」
「案内役がその調子でどうする」

境内の入り口で腕組し待っていたヴィクトリアだが、彼を案内人と言及したあたり蛍を見る事に幾らか期待を寄せているのが窺えた。
一方アリアは早く見たくてしょうがないようだ。雑踏に揉まれ体力を消費した彼の腕を掴むと行く宛も知らぬまま引っ張る。
わかったから、案内するから、そう言ってからまた彼が先頭を切って進む。

「この先はほとんどけもの道だから、足元と藪に気をつけてな。」
「ハーイ!」

途中で思いついたが為に不相応な出で立ち。浴衣と下駄で草木の生い茂る道を進む。

「本当にこの先なのか?」
「蛍見たけりゃ黙って付いて来な!」

アリアは冒険気分でどこか楽しそうだ。変な場所に入ったから嫌気がさしていないかと思ったが、要らない心配だった。
境内の裏手から山を下る。この辺りは幾つか山が連なっているので木々の隙間から覗く遠景もまた山だ。
その合間から覗く空だけ赤い。日はとっぷりと暮れもう少しで太陽は眠りに就くらしい。
薄明かりの中、影へ影へ進む三人。

やがて斜面は終わり地面が平坦な場所に出た。ここは開けていて生えている草も低い。

「ここさ。」
「着いたの?」
「何もないじゃないか」
「まぁ、ちょいとばかし待ちな。」

よっこらせ。声だけ聞いた二人だがそれで彼がその場に横になったのがわかった。
暗くて見えにくいがきっと、普段家でしている片肘をついて頭を支える格好だろう。
二人もそこに佇む。蛍が現れるまですることなく待つのみで、暫くするとアリアはスフィアの傍でしゃがみ込んだ。
辺りは静まり返った。祭の賑わいも遠く、駆けてきた草木の擦れる音もない。ただ清流があるのみで、さらさら流れる音が続いていた。
やがて日も落ちすっかり闇に包まれた。見上げれば幽かに残る太陽光が深紅から群青へのグラデーションで山のシルエットを描き出すのみ。

蛍の出現を今か今かと待ち侘びるアリアだったが、しびれを切らしスフィアに、まだ、と問い掛けをしようとした時だ。
目の端にぽう、と明りが灯るのを見つけた。
そちらに目を向けるとすぐ弱るように消え、代わりにまた視界の横に光が灯った。
目で追う度消える。しばらくそれを繰り返しているうちに、気付けば右も左も緑光が飛び交っていた。

「蛍だ!」

目前に飛んできた光へ手をかざすアリアは、次第に前のめりに膝をついていた。
蛍は彼女の手を飛行の休憩場所として利用すると決めたようで、ゆっくりと降りてきた。
その様子を横目で見守るスフィア。蛍が現れただけで気分を高揚させる彼女を見ている方がなんだか楽しい。
ほら見て、と手の中の蛍を見せつけられる。綺麗だなと言い添えて、淡い光を頼りにその笑顔を覗き見た。

右を見ても、左を見てもたくさんの仄かな緑光が優しく点滅している。
もちろん後ろを振り返り見ても同じで、蛍光が宙を漂っている。しかしそこに一点留まる光を見付けた。

「な、綺麗だろ?」

光を受け浮かび上がる顔に向けて言った。ヴィクトリアは背後で静かに、手にとまる蛍の姿をじっと見つめていたのだ。

「これは……虫なのか」
「そう。蛍ってのが体の尻のあたりを光らせて飛んでんの。」

珍しくて観察しているのか、綺麗だから魅入っているのか。
それは彼女の感性に任せるとしよう。今まで知らなかった物だが、初めて見て心を奪われている事だけは確かだから。

蛍に包まれる世界は綺麗で居心地が良く、傍で清流が流れるここは空気も涼やかで気持ちが良い。
日ごろ苦しんだ暑さもここに来れば、この空間の心地良さを引き立てる脇役に過ぎなかった。
そう思える位、まるで何かの報酬を受け取った充足感が得られる。それ位にここはかけがえのない場所。
ふとスフィアは幼い頃、横で蛍の光に目を輝かせている女の子とほとんど同じ事をしていた過去を思い出す。
親に捕まえた蛍を見せに駆け、友人と共に蛍と戯れた。
やはりここも大切な場所だ、確認するように彼はまた新しい思い出を心に刻んだ。

緩やかな点滅を繰り返す光はとても優しくて、ちょっとだけ儚かった。
胸が締め付けられる思いがするのはこの光のせいか、それとも光の先に見る姿のせいか。
それはまだアリアにはわからなかった。

「さて、祭の方に戻るとすっか。」

腹が減ってきちまった。出店の味覚を楽しむため腹を空かせてきたスフィアが言う。
まだ輝き続ける蛍たちから離れるのは名残惜しいが、しばらくすると彼らも休息し光らなくなるそうだ。
それを聞いたヴィクトリアの目が一瞬細くなった。手元の蛍から目を離さなかった彼女だが、手を振りそれを宙へと放った。
三人は彼の声掛けを音頭に、また山の反対側を目指し歩き出す。
アリアは離れていく柔らかい光たちへ、バイバイ、と簡単にさよならを告げた。

「スフィ兄、疲れた~。」
「この格好は動きにくい、いっそ裸足のほうが楽だ」
「いいからwついて来やがれww」

急に蛍を見ようとなったからこうなったんだ、なら行く前に思い出していろ。些細な口論を展開しつつ元来た斜面を登る。
文句を言いながらも山を登り詰め、やがて安定して輝き続けるオレンジ光を見付ける。
するとアリアはまた走り出した。
彼女も空腹だったようで、傍に合ったフランクフルトの店へ一目散に駆け込む。
スフィ兄、早く。催促する彼女に生返事をしながらヴィクトリアを引き連れ向かう。
列に並ぶうち、三人は次第に祭で賑わう人並みの中へ消えていった。














































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ma-ru様から頂いた暑中見舞いよりインスピレーションを得て。
オクラは8月15日の誕生花の一つであり、黄色は誕生色。

ma-ruさんへここでも改めて感謝。
蛍に照らされた想いはこれからどう輝けるか。