建国
カスピ海東方の遊牧民ダーハイ族の分派パルニ族の首長アルサケスは弟ティリダテスとともにセレウコス朝シリアの総督を追い、パルティアを建国。アルサケス1世は統一なかばに戦死した。 アレクサンドロス大王の部下の将軍たちがティグリス川以東に関心を示さず、事実上放置されたことも幸いした。
兄の後を継いだティリダテスはセレウコス朝の支配を脱した。(中国名安息はアルケサスに由来)アルケサス2世は領土の拡大、国内改革、新都ダーラ建設などパルティアの基礎をつくった。スキタイの侵入を受けたが、これを退け九代目のミトリダテス2世の時にメソポタミアからインダス川に至る広大な領土を有し、 農耕と通商の要衝を押さえ、最盛期を迎える。ローマはカルタゴとの地中海覇権争いのため東方には関心は示せなかったが、その後西方から覇権を拡張し、パルティアとメソポタミアをめぐって長い闘いが続いた。
AD207ヴォロガセス4世が没すると、王位争奪の内乱が始まる。220年ペルシアの王侯アルデシールの反乱が発生。226年アルデシールに滅ぼされる。アルデシール1世はササン朝を創始した。
関連地図 年表 国別概説<中央アジア・西アジア> ホーム
参考資料;『世界人名辞典(東洋編)』 東京堂出版