日本仏教の歴史 |
6世紀 |
538年、百済から日本に伝えられたとされている。(一説には552年) |
7世紀 |
7世紀初め、聖徳太子による仏教擁護(崇仏派の蘇我氏と廃仏派の物部氏の争いで、蘇我氏系の聖徳太子が実権を握り、国家体制を整備)。 |
8世紀 |
聖武天皇の時、各国に国分寺、国分尼寺が建立され、東大寺が総国分寺となり、大仏(盧舎那仏)が建立される。
754年鑑真が来日し、大仏の前で聖武上皇ら在家者に授戒を行う。
役小角(えんのおづぬ=役行者;えんのぎょうじゃ)が活躍 |
9世紀 |
9世紀初め、それぞれ遣唐使となって帰国した最澄が天台宗を、空海が真言密教を伝え、比叡山と高野山を修験場として開く。
円仁、円珍ら入唐して、天台宗に密教の影響を与える。 |
10世紀 |
一時期仏教が停滞するが、良源によって天台宗が復興され、その弟子源信の教えが浄土教の端緒となる。同じ頃民間では、空也が念仏を広める。 |
12世紀 |
末法思想の高まりとともに仏教が盛んになり、阿弥陀信仰、弥勒信仰、地蔵信仰、熊野信仰などが広まり、真言宗では、改革者覚鑁(かくばん)が現れ、また、西行は密教僧でありながら、文学でも活躍した。 |
13世紀 |
鎌倉時代には、より単純化した仏教が盛んになった。念仏をとなえるだけでよいという浄土教を広めた法然や親鸞がでた。
13世紀後半になると、モンゴル来襲をめぐる国家意識や神道の興起し、法華信仰を説いた日蓮や熊野信仰と結びついた一遍の浄土教がでてくる。 |
14世紀 |
禅が次第に武士の間で支配的な宗教となり、夢窓疎石によって室町幕府と密接な関係となる。京都の五山は大陸の文化センターとして発展した。 |
15世紀 |
一方、禅の修業がおろそかになったことに対し、一休宗純のような反骨の僧が現れ、禅画僧雪舟などが活動。 |
16世紀 |
禅の理念は茶道の形成にも影響を与え千利休により大成された。
浄土真宗では、親鸞の廟堂に由来する本願寺を守る彼の子孫から蓮如がでて、一気に巨大教団となり、その信者が北陸に広がって、ついには一向一揆として加賀一国を支配するまでになった。日蓮宗でも、将軍に諫言した日親らの布教で京都の信者を獲得し、法華一揆として一向一揆に対抗するまでになった。
しかし、政治勢力に発展した仏教も織田信長、豊臣秀吉らによって弾圧を受け、世俗権力の統制を受けるようになった。 |
17世紀 |
江戸時代には、本末制度によって、本山と末寺の関係が固定化され、寺檀制度によって寺院と檀家の関係も固定化された。寺院は行政の末端として宗門改めによってキリシタンの浸透を防ぎ、住民を把握する役割を負わされた。
しかし、天海が家康のブレーンとなり、東照宮を創建し、禅の沢庵は将軍家光の帰依を受けるなど、無力であったわけではない。また、黄檗宗を伝えた隠元、素朴ながらすぐれた仏像を残した円空もこの時代である。 |
18世紀 |
民衆教化や書画に独自の境地を開いた白隠、和歌や漢詩、書で知られる曹洞宗の良寛などがでた。この時代、仏教が民衆に広く普及し、民衆倫理の確立に寄与した。 |
19世紀 |
明治維新とともに仏教は厳しい状況にさらされた。神仏分離とともに、廃仏毀釈(仏教排斥運動)が起こり、仏教は打撃を受けた。 |
20世紀 |
欧米文化が導入される中で、近代化に対応した新しい仏教を形成しようとしたのが、浄土真宗の清澤満之、禅の鈴木大拙、日蓮主義の田中智学らであった。また、鎖国状態のチベットに入って仏教を学んだ河口慧海や中央アジアを探検した大谷光瑞のように海外で活躍する仏教者も現れた。 |