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建国
前燕慕容儁の弟垂は、東晋と戦って功績をあげたが、内紛により前秦符堅のもとへ亡命した。その前秦符堅が383年[肥(サンズイ)]水の戦いで敗れた時、符堅を助けたが、その後東方へ留まって自立し、後燕を建国した。
前秦滅亡後、前燕の慕容沖が西燕を建国したが、後燕の慕容垂と北魏の拓跋珪はこれに敵対する同盟を結んでいた。しかし、後燕が西燕を滅ぼすと、後燕と北魏の同盟は敵対へと変わることになる。後燕は北魏へ進軍し、拓跋珪が首都平城から撤退するまで追いつめるが、ここで慕容垂が没する。
慕容宝が後を継ぐが、後継争いからこの後急速に衰え、皇族の慕容徳は自立し、南燕を建国してしまった。北魏の拓跋珪は後燕のごたごたに乗じて南下し、後燕を滅ぼした。
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