Title9-3.GIF (2758 バイト) 民族の歴史 探究テーマ史 #1  
  
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民族の歴史 備考・概略
1-1 ・人種 -遺伝学の観点から、現在ではコーカソイド、モンゴロイド、ネグロイド、オーストラロイドの4大人種に分類することが一般的。(*1) 
1-2 ・語族 ‐「人種」が遺伝子学上の生物学的な特徴による分類であるのに対し、「民族」は言語、文化、慣習などの社会的な特徴による分類。したがって、民族のルーツを探るためには、彼らが使用する言語とその形成過程を追うことが欠かせない。「語族」とは同一の祖先から分かれ出たと考えられる言語のグループのこと。(*2)
1-3 ・日本人 -(以下参照)
1-4 ・中国人(漢民族) -(以下参照)
1-5 ・モンゴル人
1-6 ・ラテン人
1-7 ・ゲルマン人
1-8 ・スラブ人
1-9 ・アングロサクソン人
1-10 ・ケルト人
1-11 ・インド人
1-12 ・インディアン
1-13 ・朝鮮人 -(以下参照)
1-14 ・満州人 -(以下参照)
1-15 ・トルコ人(タタール人) -(以下参照)
1-16  ・フィン人 -(以下参照)
1-17 ・マジャール人 -(以下参照)
1-18 ・ブルガール人 -(以下参照)
1-19 -民族の融合 -21世紀、グローバル化で民族の融合は進むのか?
1-20 -民族とナショナリズム
*1.『民族で読み解く世界史』(宇山卓栄著)P14
*2.『民族で読み解く世界史』(宇山卓栄著)P27、P179


1-2 -語族 「人種」が遺伝子学上の生物学的な特徴による分類であるのに対し、「民族」は言語、文化、慣習などの社会的な特徴による分類。したがって、民族のルーツを探るためには、彼らが使用する言語とその形成過程を追うことが欠かせない。「語族」とは同一の祖先から分かれ出たと考えられる言語のグループのこと。
 ‐東ユーラシアの主な語族(人種は、主にモンゴロイド) 
   ‐1  アルタイ語族  モンゴル人、満州人、トルコ人
   -2  シナ・チベット語族  中国人、チベット人、ミャンマー人
   -3  オーストロネシア語族  台湾、東南アジア島嶼部
   -4  オーストロアジア語族  東南アジアのインドシナ半島
       
 西ユーラシアの主な語族(人種は、主にコーカソイド) 
   -5  セム語族  アラブ人、イラク人=メソポタミア人、ヘブライ=ユダヤ人
   -6  ハム語族  エジプト人?
   -7  インド・ヨーロッパ語族  ヨーロッパ人、小アジア人、イラン人、インド人
       
 その他、アフリカ諸語族、アメリカ諸語族  
       
       

 1-2-1  アルタイ語族  大きくは3系列あり、「テュルク語族」としてのトルコ人、「モンゴル語族」としてのモンゴル人、「ツングース語族」としての満州人である。
トルコ人の原住地は中央アジア・ロシア中南部だった。このうちロシア中南部に居住していたトルコ人はウラル山脈以東、アルタイ山脈以北に分布していた。トルコ人の系列民族がウラル語族やアルタイ語族と呼ばれるのは、この2つの山脈の名に由来している。
 1-2-4  オーストロアジア語族  東南アジアのインドシナ半島の原住民。クメール人のみがカンボジアで純血を保ち、その他のベトナムやタイには、中国人やインドネシア人が多数移住し、混血していった。
     
 1-2-7  インド・ヨーロッパ語族  ヨーロッパ人、小アジア人、イラン人、インド人など。インド・ヨーロッパ語族は、紀元前15世紀頃、騎馬や鉄器の優位性をもって、中東に進出してセム語族を支配し、インドでは先住民を支配した。彼らは自らを「高貴な者」(アーリア人)と呼んだ。「高貴なる者の国」アーリア人の国を意味するのが「イラン」。

1-3 ・日本人 -漢字文化圏にありながら、ひらがなも使う日本人は「半中国人」ともいえる。4世紀から7世紀にかけて、大量の朝鮮からの渡来人(数百万という説明も)がやってきて、人口増加があり、混血が進んだとも。
北方系の薄いの顔の渡来人は北海道や沖縄にはほとんど入らなかったため、濃い顔の日本人が残った(「二重構造説」)。アイヌなどは、白人コーカソイドに属するという説もあったが、今日の調査では、アイヌもモンゴロイドに属することが判明している。(*3)
*3.『民族で読み解く世界史』(宇山卓栄著)P38、P60

1-4 ・中国人(漢民族) ‐古代中国は黄河流域から発祥し、黄河文明を形成した。この文明が発展し、紀元前16世紀に殷王朝が現れる。漢字が作られたのもこの王朝。漢字は長江流域にも普及し、黄河と長江にまたがる南北の巨大な言語文明圏を形成した。もともと長江流域は黄河流域とは異なる社会・文化を有し、民族系統も異なっていた。しかし、漢字の普及が両地域の共通の言語基盤となり、中国というものの原形を生み出した。
-「漢人」は純粋な中国人を指すといわれる。中国はモンゴル人、チベット人、トルコ人などを含む多民族国家である。実際には他民族との混血を繰り返しており、漢人の純粋な血が保たれていたのは、三国時代の少し後、4世紀ころまで。それ以降は周辺民族との混血が一気に進んでいく。(*4)
*4.『民族で読み解く世界史』(宇山卓栄著)P40

1-13 ・朝鮮人と満州人 ‐朝鮮人のルーツは主に2つの流れがあり、ひとつは韓人、もうひとつは満州人。韓人がもともと朝鮮半島にいた原住民で、1世紀頃から馬韓、弁韓、辰韓という国をつくる。総称して、三韓と呼ぶ。5世紀頃、馬韓は百済に、弁韓は任那に、辰韓は新羅に発展する。一方、満州を原住地とする満州人はツングース系民族であり、広義ではモンゴル人になるが、満州、朝鮮半島北部から南シベリアに住んでいた。ツングースとは「豚を飼育する人」という意味を持つとの説がある。韓人と満州人は、もともと言語系統からも血統の面からも異なる民族とされ、韓人は農耕民族で、満州人は狩猟民族であった。ソウルの南を流れる漢江(ハンガン)を境にして、主に北側が満州人のエリア、南側が韓人のエリアだった。満州人が1世紀頃最初に建国した王国が、高句麗。4世紀末から5世紀に最大版図に達し、満州全域、遼東半島、朝鮮半島北部の広大な領土を支配した。高句麗第19代の王、広開土王は朝鮮半島南部に遠征し、百済を攻めた。百済と同盟を結んでいた日本(大和朝廷)は軍を朝鮮に派遣し、広開土王と戦った。百済の人民は韓人が多かったが、王族は満州人で高句麗の王族出身であったとも。中国の唐は660年新羅と同盟を組み、百済を滅ぼし、百済の遺民と同盟国であった日本を663年白村江の戦いで破った。その後、唐は高句麗に派兵し、668年に平壌を占領して、高句麗を滅ぼした。唐は平壌に安東都護府を置いて統治した。新羅は唐の援助を受け、韓人の王朝が朝鮮を統一したが、実際は唐の属国だった。
(*5)
*5.『民族で読み解く世界史』(宇山卓栄著)P72

1-15 ・トルコ人(タタール人) ‐トルコ人は古代中国で「狄(てき)」と呼ばれていた。2世紀頃漢の武帝が匈奴(モンゴル人)を討伐して以降、モンゴル高原で匈奴が衰退し、トルコ人がしだいに勢力を拡大させた。魏晋南北朝から隋唐時代にかけてモンゴル高原全体に広がり、中国は突厥と呼ばれていた。突厥とは「テュルク(トルコ)」に漢字を当てたもの。トルコ人に追い出されるようにして、モンゴル高原から華北へ南下したのが、匈奴と同じモンゴル人の鮮卑で、4世紀末に北魏を建国する。4世紀末以降製鉄技術を発展させた突厥は、大王国を形成し、強勢を誇った。しかし、6世紀に隋・唐が成立し、中国の力が強まると押し戻され、西方へ移動する。8世紀に突厥はウイグルと名前を変えた。唐王朝で755年に安史の乱が起こると、それにつけ入り、唐をゆさぶったこともある。
18世紀清王朝がタリム盆地、ジュンガル盆地を征服し、「新しい土地」を意味する「新疆」と呼んだ。
9世紀さらに西進し、ウイグルからキルギスに呼び名が変わった。「40」を意味するロシア語で、40のトルコ人部族からなっていたことが由来である。さらにトルキスタンに西進し、10世紀にはイスラム化され、カラ・ハン朝をつくった。トルキスタンは「トルコ人の住む地域」の意味。パミール高原を中心とする中央アジアの大部分を指し、今日の国名では、トルクメニスタン、ウズベキスタン、キルギス、カザフスタン、タジキスタン、アフガニスタン北部にあたる。トルキスタンは多くのオアシス都市を有し、東西交易の利権を一手に握った。
11世紀、さらにトルコ人は西に拡大し、イラン、イラクに進出、セルジューク・トルコを建国した。弱体化したアッバース朝から実権を奪い、スルタンとしてイスラム圏を統治した。さらに、小アジア、アナトリア半島に領土を広げ、現在のトルコ共和国の民族的基盤が作られる。ビザンティン帝国にも勝った強勢を誇ったが、内部分裂で崩壊し、13世紀にトルコ人のオスマン・ベイがオスマントルコを建国し、20世紀まで続く。
(*6)
*6.『民族で読み解く世界史』(宇山卓栄著)P149

1-16  ・フィン人  7世紀頃スカンディナビア半島に入り、トルコ人の王国を作ったのがフィン人で、現在のフィンランドをつくる。


1-17 ・マジャール人  フン人を率いたアッティラ王はヨーロッパに進撃し、451年フランス、パリ東方のカタラウヌムの戦いで西ローマ帝国に敗北し、東ヨーロッパまで撤退。そこに定住し、以後この地域はフンガリア(Hungaria)と呼ばれる。アッティラとともに共同王であった兄のブレダの名に由来するブダ城が今日のブダペストの起源。
一方、これを否定する見解もある。ハンガリーという国名はフン人やフンガリアとは関係なく、後に侵入してきたトルコ人が自分たちのことをオノグル(Onogur)と名乗ったことが起源であるとされる説もある。オノグルは「十本の矢」「十の部族」を意味する。これが「Ungarn」というドイツ語になり、無性語頭の「h」を補い、ハンガリーと変化した説。
マジャール人がフン人の末裔であると考える派は前者を取り、9世紀にウラル山脈以西にいたトルコ人が移住し、マジャール人となったと考える派は後者をとります。

1-18 ・ブルガール人  7世紀頃、バルカン半島に入ってトルコ人の王国をつくったのがブルガール人で、現在のブルガリアを形成。



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