西暦 |
月日 |
日本およびアジア・太平洋の主なできごと |
欧州等のできごと |
1933年
(昭和8年) |
1月31日 |
|
1/31 ヒトラー、首相に就任。(ナチス・保守派の連立政権) |
2月21日 |
日本軍、熱河総攻撃。 |
2/27 ベルリンで国会議事堂放火事件;共産党員を多数逮捕。 |
2月24日 |
国際連盟、リットン報告書を採択。満州国不承認。 |
3/4 米ルーズベルト大統領就任。 |
|
|
3/7 墺ドルフース首相、国会排除・独裁権獲得。オーストリア・ファシズム体制。 |
4月1日 |
満州国、非承認国に門戸閉鎖。 |
3/9 米ニューディール政策開始。 |
4月10日 |
関東軍、長城を越えて華北に侵入。 |
3/23 独授権法可決。ナチス独裁確立。 |
5月24日 |
日本軍、寧波を占領。 |
|
5月26日 |
滝川事件;鳩山文相、京大滝川教授休職発令、法学部長ら38人辞表提出。 |
|
5月31日 |
日中、塘沽停戦協定調印。 |
|
7月11日 |
神兵隊事件発覚;民間右翼・軍人のクーデター未遂。 |
6/19 墺、ナチ党を禁止。 |
7月14日 |
印、ガンディー、個人的不服従運動を提唱。 |
7/14 独、ナチを唯一の政党とする。 |
7月20日 |
日本政府、満州移民計画大綱を発表。 |
7/15 英仏独伊、ローマ協定調印;国際連盟規約・ロカルノ条約尊重。 |
9月2日 |
伊ソ友好・不可侵・中立条約に調印。 |
8/7 米軍、1934年10月までにハイチからの撤退を決定。 |
|
|
8/12 キューバ、マチャト大統領の独裁打倒される。バティスタ実権を握る。 |
|
|
11/16 米国、ソ連を承認。 |
12月2日 |
日本、ドロンに内モンゴル自治区を設立。 |
|
12月9日 |
ソ連軍、盛世才の馬仲英攻撃を援助。 |
12/19ソ連、党政治局、国際連盟加入・集団安全保障などの新外交原則を決定。 |
12月23日 |
皇太子明仁親王誕生。 |
12/26 第7回汎米会議;不戦条約に調印、米国務長官ハル、対ラテン=アメリカ内政干渉権を否定。 |
|
|
12/29 ソ連リトヴィノフ、独の脅威を批判;独ソ関係冷却化。 |
1934年
(昭和9年) |
1月1日 |
中国中央軍、福建人民政府へ総攻撃、福建人民政府崩壊。 |
1/1 ソ連、第2次5ヵ年計画を発表。 |
2月7日 |
国民政府、張学良を3省掃共副司令とする。 |
2/9 ギリシア・ルーマニア・トルコ・ユーゴの4国協商調印;ブルガリア・ハンガリーに対抗。 |
2月10日 |
日本軍、山海関を接収し、満州国領とする。 |
2/11墺、労働者蜂起鎮圧される。祖国戦線を除く政党禁止される。 |
|
|
2/12仏、労働総同盟と統一労働総同盟、反ファッショゼネストを実施。社共共同行動。 |
3月1日 |
満州国帝政へ。溥儀、皇帝に即位。 |
|
3月5日 |
永田鉄山、陸軍省軍務局長に就任;統制派の進出。 |
|
3月24日 |
米議会、10年後のフィリピン独立を決定。フィリピン議会承認。 |
|
4月10日 |
中国共産党、反日統一戦線・抗日救国など6大綱領を提示。 |
4/4ソ連、バルト3国と不可侵条約締結。4/7フィンランドとも締結。 |
4月17日 |
盛世才、新疆における反帝、親ソなどの基本方針を宣布。 |
4/17仏、英に対し、独との交渉の余地なしと通告。 |
4月17日 |
天羽外務省情報部長、列強の対中国共同援助に反対。 |
|
4月18日 |
帝人事件;帝人人絹会社の株式買受けで疑獄事件。 |
|
6月8日 |
英ファシスト連合、元陸相モズレーのもと、ロンドンで集会。 |
6/14 ヒトラーとムッソリーニの最初の会談、ヴェネツィアで。オーストリア問題など。 |
7月3日 |
斎藤内閣、帝人事件で総辞職。7/8 岡田啓介内閣成立。 |
6/30 ヒトラー、第二革命をめざすレームら突撃隊(SA)など反対派を粛清。 |
|
|
7/25オーストリア=ナチス蜂起、ドルフース首相暗殺される。 |
|
|
7/27 仏 社会党と共産党、反ファッショ統一行動協定に調印。 |
|
|
8/2 独ヒンデンブルク大統領死去。 |
|
|
8/17 伊 社会党と共産党、行動統一協定に調印。 |
|
|
8/19 ヒトラー、ナチス=ドイツの首相兼総統の地位を国民投票で承認される。 |
9月18日 |
印 ガンディー、国民会議派からの引退を表明。 |
9/18 ソ連、国際連盟に加入。 |
10月15日 |
瑞金一帯の紅軍、長征を開始。10/22国民政府軍の包囲を突破し移動開始。 |
10/9 ユーゴ国王アレクサンダル1世と仏外相バルトゥー、クロアチア人に暗殺される。 |
11月10日 |
国民政府軍、瑞金を占領。戒厳令を公布。 |
11/8 仏ドゥ―メルク内閣総辞職;右翼の主導権失墜;ピエール・フランダン首相就任。 |
11月20日 |
士官学校事件;陸軍青年将校によるクーデター計画発覚。 |
12/1ソ連 党書記キーロフ、レニングラードで暗殺される。大粛清の端緒。 |
12月29日 |
日本、ワシントン条約廃棄を米国に通告。 |
12/1 仏領モロッコ、仏に自治を要求。 |
1935年
(昭和10年) |
|
|
1/4米ルーズベルト大統領、第2次ニュー=ディール計画を提起。 |
|
1月7日 |
中国共産党紅軍、貴州の遵義を占領。 |
1/7 仏、伊のエチオピア進出を認める。 |
|
1月15日 |
中国共産党政治局、遵義で拡大大会、極左主義を批判、毛沢東の党・軍での指導的地位確立。 |
1/13 独ザール地方の人民投票で、ドイツへの復帰を決定。 |
|
2月18日 |
美濃部達吉の天皇機関説、貴族院で問題化。 |
2/1 英仏、対独政策についてロンドンで協議。 |
|
3月4日 |
岡田首相、貴族院で天皇機関説反対を言明。 |
|
|
3月12日 |
中国国民政府軍、遵義を奪回。 |
|
|
3月23日 |
日ソ、東京で中東鉄道譲渡協定に調印。 |
|
|
3月27日 |
ヴェトナムのインドシナ共産党第1回大会、マカオで開催。 |
3/29 英ソ(イーデン外相・スターリン)と対独政策について会談。 |
|
|
|
4/11 英仏伊、独の再軍備宣言に反対。 |
|
|
|
4/17 国際連盟、独を正式に批判。 |
|
|
|
4/23 ポーランド、大統領の独裁権強化。 |
|
|
|
5/2 仏ソ相互援助条約締結。 |
|
5月31日 |
河北省政府、保定への移転を開始。 |
6/7 仏ピエール=ラヴァル首相に就任。 |
|
6月10日 |
梅津・何応欽協定成立;日本の最後通牒を受諾。 |
6/7 英マクドナルド引退、保守党のボールドウィン首相就任。 |
|
|
|
6/17 仏社会党・共産党・急進社会党の人民連合委員会発足。 |
|
6月27日 |
土肥原・秦徳純協定;チャハル省の満州国国境付近からの宋哲元軍の撤退などを中国承認。 |
6/18 英独海軍協定;英、独の再軍備を追認(独の海軍力を英の35%)。 |
|
7月15日 |
日本・満州国経済協定成立。 |
7/13 米ソ通商条約を締結。 |
|
8月12日 |
陸軍省軍務局永田鉄山局長、皇道派相沢中佐に刺殺される。 |
7/25 コミンテルン第7回大会;反ファシズム統一戦線と人民戦線路線を採択。 |
|
|
|
9/15 ナチス、ニュルンベルク法公布;ユダヤ人の市民権を剥奪。 |
|
10月2日 |
国民政府、蒋介石を西北掃共総司令、張学良を副司令とし、西安に司令部を置く。 |
10/3 伊、エチオピアに侵入。 |
|
|
|
10/7 国際連盟、伊を侵略者と認定。伊制裁を決議。 |
|
10月20日 |
毛沢東ら中央紅軍、陝北紅軍と合流;長征終わる。 |
10/17 墺、シューシュニク、無血クーデターでナチ党を抑える。 |
|
11月1日 |
汪兆銘、抗日派に狙撃される。行政院長を辞任;親日派後退。 |
|
|
11月25日 |
殷汝耕、日本の援助下に通州で冀東防共自治委員会を樹立;国民政府から離脱して独立(冀東政権)。 |
|
|
12月1日 |
汪兆銘行政院長辞任。蒋介石が行政院長を兼任。 |
12/9英仏、伊のエチオピア占領・保護国化を承認。世論批判高まる。ホーア英外相辞任。 |
|
12月9日 |
第2次ロンドン軍縮会議;日本、米英と同率を要求し、拒否され脱退。 |
|
|
|
12・9運動;北平学生の冀東自治政権反対・抗日救国の請願デモ。 |
|
1936年
(昭和11年) |
1月1日 |
新疆の盛世才、ソヴィエトと援助協定を締結。 |
|
|
1月8日 |
宋元哲、河北省政府主席に就任。 |
1/12 仏人民連合綱領、発表。 |
|
|
|
1/20国王ジョージ5世没。エドワード8世即位。 |
|
1月 |
蒋介石、学生運動禁止令。 |
1/22 仏ラヴァル内閣、対伊政策批判を受け辞任。サロー内閣成立。 |
|
|
|
2/16 スペイン、総選挙で人民戦線派勝利。連立内閣成立。 |
|
2月17日 |
中国共産党、抗日東征を宣言。山西方面に進出し、閻錫山・中央軍と激戦。 |
2/17 スペインのフランコ大佐、パラグアイで軍事クーデターによりアヤラ大統領を追う。 |
|
2月26日 |
ニ・ニ六事件;皇道派将校ら挙兵、斎藤内大臣らを殺害。東京市に戒厳令施行。 |
2/21 フランコ、カナリア諸島方面司令官に左遷。 |
|
2月29日 |
ニ・ニ六事件の反乱軍帰順。岡田内閣総辞職。 |
2/29米、第2次中立法成立;交戦国への借款供与を禁止。 |
|
2月 |
国民党政府、治安維持緊急治罪法発布;抗日運動の取り締まり。 |
3/7 独、ラインラントへ進駐。ヒトラー、ロカルノ条約を破棄。 |
|
3月4日 |
貴族院議員近衛文麿、組閣を命じられ辞退。広田弘毅内閣成立。 |
3/25 英米仏、ロンドン海軍軍縮条約に調印。 |
|
|
|
4/25パレスティナで反英暴動激化。 |
|
|
|
5/3 仏 人民戦線派、総選挙に勝利。 |
|
5月5日 |
中国国民政府、中華民国憲法草案を発布。 |
5/5 イタリア、エチオピアを併合。 |
|
|
中国共産党紅軍、山西から撤退し、国民政府に停戦議和一致抗日を通告;反蒋スローガンを放棄。 |
|
|
6月1日 |
中国全国各界救国連合会成立;抗日救国初歩綱領を発表。 |
|
|
6月5日 |
広西の李宗仁・白祟禧、広東の陳済棠、反蔣抗日を掲げて湖南に進軍。 |
6/19 米、ニューディール批判派、ユニオン党を結成。 |
|
6月28日 |
日本軍の支援の下、徳王を首班とする内モンゴル軍政府成立。 |
6/30 仏右翼諸リーグ、解体を決議。 |
|
8月1日 |
第11回ベルリンオリンピック開催。平泳ぎの前畑秀子優勝。 |
|
|
8月11日 |
蒋介石、広州に入る。中国の事実上の統一。 |
8/19 モスクワでトロツキー・ジノヴィエフ派合同本部事件の公開裁判;ジノヴィエフ・カーメネフら16名に死刑宣告。 |
|
8月25日 |
中国共産党、国民党中央への書簡;共同抗日・建設民主共和国・回復国共合作を提唱。 |
8月英仏独伊ソ、国際連盟を尊重しスペイン内乱に不干渉を宣言。 |
|
9月21日 |
日本海軍陸戦隊、漢口に上陸。上海で戒厳令を布告。 |
|
|
|
|
10/14ベルギー、独との紛争を恐れ、仏との軍事協約を破棄。 |
|
|
|
10/16ソ連、スペイン共和国援助を表明。 |
|
|
|
10/22スペイン共和国政府、国際義勇軍の創設を承認。 |
|
10月29日 |
南次郎朝鮮総督・植田関東軍司令官会談;鮮満一如、抗日運動の共同弾圧を討議。 |
10/25独伊外相会談、ローマ=ベルリン枢軸協定成立。 |
|
11月25日 |
日独防共協定調印。 |
11/7 スペインの反乱軍、マドリード攻撃;国際義勇軍参加。共和国政府、バレンシアに移転。 |
|
12月12日 |
西安事件;張学良が蒋介石を監禁。内戦停止・一致抗日を求める。 |
11/29英仏、独伊のベルギー侵略に対する防衛保障を声明。 |
|
12月16日 |
中国共産党の周恩来・葉剣英ら、西安で張・蔣間を調停。 |
12/10 英エドワード8世、離婚問題で退位。ジョージ6世即位。 |
1937年
(昭和12年) |
1月21日 |
政友会浜田代議士、衆議院で陸相と腹切り問答。 |
|
|
1月23日 |
広田内閣総辞職、宇垣一成に組閣命令下るも、陸相を得られず、辞退。 |
|
|
2月2日 |
陸軍大将林銑十郎内閣成立。 |
2/20 印総選挙、国民会議派が過半数を獲得。 |
|
3月31日 |
林首相、衆議院を抜き打ち解散。(食い逃げ解散) |
4/23 イタリア、オーストリアから離脱。 |
|
5月28日 |
民政・政友両党、林内閣の退陣要求。5/31林内閣総辞職。 |
4/26 独コンドル軍団、スペインのゲルニカを爆撃。 |
|
6月4日 |
近衛文麿内閣成立。 |
5/6 米国で独飛行船ツェッペリン炎上。 |
|
|
|
6/14 アイルランド新憲法採択;英総督制を廃止し、独立主権国家となる。 |
|
日中戦争 始まる |
|
|
7月7日 |
盧溝橋事件;日中両軍衝突 |
7/7英、パレスティナ分割案を公表。汎アラブ会議、勧告を拒否、ユダヤ人のパレスティナ移民中止を要求。 |
|
7月8日 |
中国共産党、対日抗戦宣言を発表。 |
|
|
7月15日 |
中国共産党、国共合作を発表。 |
|
|
7月28日 |
日本軍、北平(北京)包囲、8/7入城。 |
|
|
8月9日 |
日本海軍陸戦隊、上海上陸。 |
|
|
8月15日 |
日本海軍機、九州・台湾から南昌・南京の渡洋爆撃開始。 |
|
|
8月22日 |
中国共産党紅軍、国民革命軍第八路軍に改編、抗日に参加(朱徳指揮)。 |
|
|
8月25日 |
日本海軍、中国東南海岸を封鎖。 |
|
|
9月5日 |
日本海軍、全中国沿岸の封鎖を宣言。 |
|
|
9月12日 |
中国、日本の侵略を国際連盟に提訴。9/21国際連盟、日中紛争諮問委員会開催。 |
|
|
9月22日 |
中国国民政府、共産党の国共合作宣言を受諾;第2次国共合作。 |
|
|
9月24日 |
八路軍、日本軍を平荊関で撃破。 |
9/27国際連盟、日本の中国都市爆撃非難決議提出。 |
|
10月10日 |
日本軍、石家荘・包頭を占領。 |
10/5ルーズベルト大統領、日独を批判、中立主義を放棄。 |
|
10月17日 |
全日本労働総同盟、戦争支持を決議。 |
10/13独、ベルギーの不可侵を保障。 |
|
10月26日 |
日本軍、金門島を占領。 |
|
|
10月29日 |
カルカッタで国民会議派運営委員会開催;日本の中国侵略非難・日本品ボイコットを決議。 |
|
|
11月5日 |
日本軍、杭州湾に上陸。 |
11/3国際連盟、9ヵ国条約会議;日中戦争について日本を非難。 |
|
11月9日 |
日本軍、太原を占領。 |
11/6 イタリア、日独防共協定に参加。 |
|
11月11日 |
日本軍、上海を占領。 |
11/7 英ハリファックス卿、ヒトラーを訪問。英独協調を打診。宥和政策開始。 |
|
11月19日 |
日本軍、蘇州を占領。 |
11/18仏王党派の反共和制暴動計画暴露される。 |
|
12月12日 |
米砲艦パネー号、揚子江で日本機に撃沈される。 |
11/26独経済相シャハト、軍拡テンポをめぐりヒトラーと対立し辞職。 |
|
12月13日 |
日本軍、南京を占領。南京虐殺事件起こる。 |
12/11伊、国際連盟脱退。 |
|
12月14日 |
日本の指導下に北平で中華民国臨時政府成立。(行政委員長 王克敏) |
12/2 ソ連、新憲法下での第1回総選挙。 |
|
12月24日 |
日本軍、杭州を占領。 |
|
|
12月25日 |
中国共産党、対時局宣言を発し、遊撃戦の展開・大衆動員を主張。 |
|
1938年
(昭和13年) |
1月1日 |
中国国民政府改組;戦時行政機構を確立。 |
|
|
1月3日 |
岡田嘉子と杉本良吉、樺太国境からソ連に亡命。 |
|
|
1月10日 |
日本海軍陸戦隊、青島を占領。 |
|
|
1月16日 |
近衛内閣、中国国民政府を対手とせず、と声明。 |
|
|
2月1日 |
冀東自治政府、北平臨時政府と合併。 |
2/4ヒトラー、ブロンベルク国防相ら軍首脳を解任。自ら統帥権を掌握。外相にリッベントロップを任命。 |
|
|
|
2/12墺シューシュニク首相、ヒトラーを訪問。拘留中のナチ党員を釈放。ナチスの墺政府参加を了承。 |
|
2月18日 |
日本海軍機、重慶を初爆撃。 |
2/18オーストリア・ナチス指導者インクヴァルト、墺内相に就任。 |
|
|
|
2/20英外相アンソニー=イーデン、対伊政策に抗議して辞任。ハリファックス卿が外相就任。 |
|
3月3日 |
国家総動員法案審議中、陸軍省軍務課員佐藤賢了が「だまれ」と放言し、問題化。 |
3/9墺シューシュニク首相、オーストリア独立維持の国民投票を企図。 |
|
|
|
3/11 ナチス=ドイツより投票延期の最後通牒を受け、シューシュニク辞職。 |
|
3月28日 |
中華民国維新政府、日本の指導下に南京で成立(行政委員長は梁鴻志)。 |
3/12 独軍、オーストリア侵入。3/13独、オーストリアの併合を発表。4/10墺国民投票で承認。 |
|
3月29日 |
中国国民党、武昌で臨時全国代表大会を開く;抗戦建国綱領の制定;総裁に蒋介石、副総裁に汪兆銘。 |
|
|
4月1日 |
日本で国家総動員法公布。(4/2農地調整法、4/6電力管理法公布) |
4/10仏第3次ダラディエ内閣成立;人民戦線、事実上崩壊。 |
|
4月3日 |
中国軍、山東省台児荘の会戦で日本軍に勝利。 |
4/16英伊協定締結;伊、スペインからの撤退に同意し、エチオピアでの主権を承認される。 |
|
4月7日 |
大本営、徐州作戦を命令。 |
4/23チェコスロバキア、ズデーテン=ドイツ人党、完全自治を要求。 |
|
5月10日 |
日本軍、厦門に上陸。 |
4/30国際連盟理事会、スイスの中立を確認;独伊も尊重を声明。 |
|
5月12日 |
独ヒトラー、満州国を承認。 |
5/17米海軍拡張法成立。 |
|
5月19日 |
日本軍、徐州を占領。 |
5/20米、非米活動調査委員会設置。 |
|
5月26日 |
毛沢東、延安で持久戦論を講演。 |
5/20 チェコスロバキア、独の兵力集結に対して部分動員を発令。 |
|
7月29日 |
張鼓峰事件(~8/11);ソ連軍、ハサン湖付近の日本軍を撃破。 |
8/3英、チェコ政府とズデーテン=ドイツ人党を仲裁。 |
|
8月22日 |
大本営、漢口攻略作戦の実施を命令。 |
818 独陸軍参謀総長ベック、ヒトラーと対立し辞任。 |
|
9月14日 |
三菱重工、零式艦上戦闘機の試作完成。 |
9/15 英チェンバレン首相、ベルヒテスガーデンでヒトラーと会談。 |
|
9月22日 |
日本の指導下に北京で中華民国政府連合委員会成立(王克敏・王 唐・梁鴻志ら委員となる)。 |
9/26 ヒトラー、ベルリンでチェコへの強硬姿勢演説。 |
|
|
|
9/27 英、伊ムッソリーニにズデーテン問題解決の仲介を要請。 |
|
|
|
9/27 米ルーズベルト大統領、英仏独チェコによる会談を促す。 |
|
|
|
9/29 チェンバレン・ダラディエ・ヒトラー・ムッソリーニ、ミュンヘンで会談。ズデーテン地方の独への割譲決定。 |
|
|
|
9/30 独英不可侵条約に調印。 |
|
|
|
9/30 ソ連、スペイン共和国政府への援助を中止。 |
|
10月1日 |
日本、石炭配給東征規則施行。 |
10/1 独軍、ズデーテン地方に進駐。 |
|
|
|
10/2 ポーランド、チェコのテッシェンを占領。 |
|
10月12日 |
中国共産党第6期拡大6中全会、延安で開催。陳紹禹らの右翼投降主義路線を批判。 |
10/5 チェコのベネシュ大統領辞職・亡命。スロヴァキア、自治領となる。 |
|
10月12日 |
日本軍、広東省バイアス(大亜)湾に上陸。 |
|
|
10月21日 |
日本軍、広州を占領。 |
10/21 ヒトラー、残部チェコスロバキアの軍事占領準備を指示。 |
|
10月24日 |
蒋介石、武漢放棄を決定。10/27日本軍、武漢三鎮を占領。 |
10/25 ムッソリーニ、リビアを伊領とすることを宣言。 |
|
10月28日 |
第1期国民参政会第2次大会、重慶で開催;撤退抗戦を決議。 |
10/27 仏急進社会党、共産党との絶縁を決定。 |
|
11月5日 |
近衛首相、東亜新秩序建設を声明。 |
11/2第1次ウィーン裁定;枢軸国の仲介によりハンガリー、スロヴァキア南部を獲得。 |
|
|
|
11/7 独の駐パリ大使館員、独のユダヤ政策に抗議するユダヤ青年に撃たれ死亡。 |
|
|
|
11/9 水晶の夜事件;独全土で大規模なユダヤ人・ユダヤ教会襲撃が組織される。 |
|
|
|
11/24 ヒトラー、ポーランド作戦準備を軍に指示。 |
|
11月 |
雲南・ビルマ援蒋ルート完成。 |
11/26 ソ連・ポーランド不可侵条約を更新。 |
|
12月15日 |
中国、英米との借款成立。 |
12/6 独仏善隣協定調印;独、アルザス・ロレーヌ請求権を放棄。 |
|
12月18日 |
汪兆銘、重慶から昆明を経て、ハノイに脱出。 |
|
|
12月22日 |
近衛首相、日中国交調整3原則を声明(善隣友好・共同防共・経済提携)。 |
|
|
12月26日 |
蒋介石、近衛首相声明への反対宣言。 |
|
1939年
(昭和14年) |
1月1日 |
中国国民党、汪兆銘の党籍永久剥奪を決定。 |
|
|
1月4日 |
近衛内閣総辞職、平沼騏一郎内閣成立。 |
1/27 ポーランド、独のダンツィヒ返還要求を拒否。 |
|
1月21日 |
中国国民党第5期5中全会開催;反共強化。 |
2/7 パレスティナ円卓会議(ロンドン);アラブ諸国、ユダヤ人の各代表別個に英政府と協議。 |
|
2月9日 |
日本、閣議で国民精神総動員強化方策を決定。 |
2/24 ハンガリー、日独伊防共協定に参加。 |
|
2月10日 |
日本軍、海南島に上陸。 |
2/26 フランコ軍、バルセロナを制圧。 |
|
|
|
3/14 チェコ ハーハ大統領、ヒトラーから独の保護下に入るよう強要され、同意。 |
|
|
|
3/15 独軍、プラハに入城。ハンガリー軍、ルテニアに侵入、併合。 |
|
3月27日 |
日本軍、南昌を占領。 |
3/16 独、ボヘミア、モラヴィアを保護領とする。チェコスロヴァキア解体。 |
|
3月29日 |
汪兆銘、第3次和平声明を発表。 |
3/18 英、チェコ解体に対し独に抗議状。 |
|
|
|
3/28 スペイン、日独伊防共協定に加盟。 |
|
|
|
3/30 フランコ軍、バレンシアを制圧。4/1 スペイン内戦終結宣言。 |
|
|
|
3/31 英仏、ポーランドへの保障を公表。 |
|
|
|
4/1 米、スペインのフランコ政権承認。 |
|
|
|
4/3 ヒトラー、対ポーランド戦準備を指示。 |
|
|
|
4/7 伊、アルバニア侵入、併合。 |
|
|
|
4/11 ハンガリー、国際連盟脱退。 |
|
|
|
4/13 英仏、ルーマニアとギリシアの独立を保障すると宣言。 |
|
|
|
4/15 米ルーズベルト大統領、ヒトラーに対し平和請願を送るが失敗。 |
|
|
|
4/17 ソ連、英仏への同盟提案、失敗。 |
|
|
|
4/27 英、一般兵役制導入。 |
|
5月3日 |
日本海軍機、重慶を大空襲。 |
4/28 ヒトラー、英独海軍協定、独ポーランド不可侵条約の無効を通告。 |
|
5月11日 |
ノモンハン事件(~8/11);ソ連軍とモンゴル人民共和国軍、ハルハ川で日本軍を撃破。 |
5/3 ソ連(西側寄りの)リトヴィノフ外相解任、後任はモロトフ。 |
|
|
|
5/17 英、パレスティナ新白書を発表(10年以内にパレスティナ国家樹立、ユダヤ移民と土地購入を制限) |
|
|
|
5/19 仏ポーランド、新軍事協定;独の動員後15日以内の参戦を約束。 |
|
|
|
5/22 独伊軍事同盟に調印。 |
|
|
|
5/31 独デンマーク、不可侵条約に調印。 |
|
6月10日 |
蒋介石、周恩来・葉剣英と国共間の問題で会談。 |
6/7 リトアニア・エストニア、独と不可侵条約締結。 |
|
6月12日 |
中国共産党の新四軍と国民政府軍、湖南平江で衝突。 |
|
|
6月13日 |
ソ連、対中国借款(1億5千万ドル)協定調印。 |
|
|
6月14日 |
日本軍、天津の英仏租界を封鎖。 |
|
|
6月15日 |
モスクワで中ソ通商条約に調印。 |
|
|
6月21日 |
中国共産党の八路軍と国民政府軍、河北深県で衝突。 |
|
|
6月24日 |
シャム、国号をタイに変更(1945.9~1949.5シャムに復帰) |
|
|
6月30日 |
中国国民政府、限制異党活動弁法を公布;反共推進。 |
|
|
7月26日 |
米、日米通商航海条約廃棄を通告。 |
7/24 英仏ソ相互援助条約合意。但し、軍事協定締結をもって発効とする。 |
|
|
|
8/11 英仏ソ軍事協定の協議。ポーランド・ルーマニアがソ連軍の通過を拒否し、不成立。 |
|
8月16日 |
日本軍、香港を封鎖。 |
8/19 独ソ経済協定調印。 |
|
8月23日 |
日本、独ソ不可侵条約は防共協定違反と独に抗議。平沼内閣「欧州情勢は複雑怪奇」と声明して総辞職。阿部信行内閣成立。 |
8/23 独ソ不可侵条約締結;秘密議定書で東欧の勢力範囲を決定。 |
|
第二次世界大戦 始まる |
|
|
|
9/1独軍、ポーランド領内に侵入。9/3 英仏、独に宣戦布告。 |
|
9月4日 |
日本政府、欧州戦争不介入を声明。 |
9/3 伊、中立を表明。 |
|
9月15日 |
日ソ蒙;ノモンハン事件休戦;国境紛争の平和解決で一致。 |
9/17 ソ連軍、ポーランド東部へ侵入。 |
|
10月1日 |
日本の支那派遣軍総司令部を南京に設置。 |
9/27 ワルシャワ、独軍に降伏。 |
|
|
|
9/28 独ソ国境友好条約に調印。 |
|
|
|
9/28 ソ連エストニア相互援助条約締結;ソ連、エストニアに軍事基地を獲得。 |
|
|
|
9/30 独ソ間でポーランド分割境界条約調印。 |
|
10月1日 |
日本軍機、西安を爆撃。 |
9/30 ポーランド亡命政府、パリに成立。 |
|
10月2日 |
日本軍、長沙進攻に失敗し敗退。 |
10/5 ソ連、ラトヴィア、リトアニアと相互援助条約締結;ソ連軍の駐留権を得る。 |
|
10月18日 |
価格等統制令・賃金臨時措置令・地代家賃統制令公布。 |
10/6 ヒトラー、国会演説で既成事実を前提に英仏に平和を呼びかける。10/10英仏拒否。 |
|
|
|
11/1ソ連、西ウクライナと西ベロロシアをソ連に編入。 |
|
11月4日 |
野村外相・グルー米大使の日米会談始まる。 |
11/4 米第4次中立法可決;交戦国への武器輸出禁止条項を修正。武器輸出承認。 |
|
|
|
11/8 ミュンヘンでヒトラー暗殺未遂事件。 |
|
|
|
11/9 ソ連フィンランド交渉決裂。ソ連、フィンランドとの中立条約を破棄、断交。 |
|
|
|
11/16 ソ連西部のドイツ人とドイツ占領下のロシア人の相互帰国を認める協定。 |
|
|
|
11/17 独、チェコスロヴァキアの知人迫害始まる。 |
|
|
|
11/21 独・スロヴァキア国家条約;ポーランドの一部領土をスロヴァキアへ。 |
|
11月30日 |
日本政府、仏大使に対し、仏印経由の中国援助停止を要求。 |
11/30 ソ連、フィンランドを攻撃;冬季戦争 |
|
|
|
12/7 伊、当面参戦せずと決定。 |
|
12月21日 |
閻錫山、共産党指導による抗日決死隊を弾圧。十二月事件;国共の対立増大。 |
12/14 ソ連、フィンランド侵入を理由に国際連盟から除名される。 |
|
12月22日 |
グルー米大使、新通商条約または暫定取り決めの締結を拒否。 |
|
|
12月26日 |
朝鮮総督府、朝鮮人の創氏改名を公布。 |
|
|
12月30日 |
汪兆銘、和平救国の談話を発表。 |
|
|
12月30日 |
日本海軍、雲南鉄道爆撃を決定。 |
12/17 独ポケット潜水艦グラーフ・シュペー、プラタ河口沖で英海軍と交戦、自沈。 |
|
|
|
|
1940年
(昭和15年) |
1月14日 |
阿部内閣総辞職、米内光正内閣成立。 |
1/5 ソ連ブルガリア、通商航行条約調印。 |
1月21日 |
浅間丸事件;英艦、千葉県沖で臨検、ドイツ人を引致。 |
4/15オランダ軍、独に降伏。 |
4月25日 |
日本海軍機、重慶を爆撃。 |
4/26英軍、ダンケルクから撤退。 |
|
■■■ |
6/10ノルウェー軍、独に降伏。 |
|
■■■ |
6/10伊、英仏に宣戦。 |
|
■■■ |
6/14独軍、パリに無血入城。 |
|
■■■ |
7/3英艦隊、アルジェリアのオラン港で仏艦隊を撃沈。 |
|
|
7/5仏ペタン政府、英との外交関係断絶。 |
7月16日 |
米内内閣総辞職。 |
7/16ヒトラー、英上陸作戦を指示。 |
7月22日 |
第二次近衛内閣成立。閣議で基本国策要綱を決定;大東亜新秩序・国防国家の建設。 |
|
7月27日 |
時局処理要綱を決定;武力行使を含む南進政策。 |
7/31ヒトラー、対ソ戦決意を軍に提示。 |
8月15日 |
民政党解党。全政党の解党終了。 |
8/13独空軍、英本土へ大空襲開始(バトル・オブ・ブリテン)。 |
8月20日 |
華北5省の八路軍115団、百団大戦を開始;抗日大抗戦。 |
8/25英空軍、独工業都市への爆撃開始。 |
9月25日 |
日本軍、北部仏印に進駐。 |
9/17ヒトラー、英本土上陸作戦延期を指示。 |
9月27日 |
三国同盟。海軍は反対。陸軍は防共のためであり、戦争を回避する(抑止力)ための同盟と主張。実際には、独と協調してソ連を打つことが目的。反対派の山本五十六(軍令部次長)には、脅迫文や暗殺計画の噂も。独オットー大使の陸軍、外務省(外務大臣松岡洋右)、内務省などへの頻繁な働きかけがあった。*1 |
|
10月12日 |
大政翼賛会発会式。 |
|
10月26日 |
米、屑鉄の対日禁輸。 |
10/28伊軍、ギリシアに侵入するが苦戦。 |
11月10日 |
紀元2,600年記念式典、皇居前で挙行。 |
|
11月13日 |
支那事変処理要綱を決定 |
|
11月23日 |
大日本産業報国会創立。 |
12/9伊軍、英軍によりリビアより駆逐される。 |
|
|
12/18ヒトラー、翌年5月中旬までに対ソ戦完了を指示(バルバロッサ計画)。 |
1941年
(昭和16年) |
3月1日 |
重慶で国民参政会開催。共産党毛沢東・周恩来は出席を拒否。 |
3/1ブルガリア、三国同盟に加入。3/25ユーゴ加入。 |
|
|
3/26英仏秘密協議;対独、対日で、独打倒を優先。 |
|
|
3/27ユーゴ、三国同盟反対派によるクーデター。 |
4月13日 |
モスクワで日ソ中立条約調印。 |
4/12独軍、ユーゴ侵攻、占領。 |
4月16日 |
ハル国務長官・野村駐米大使による日米交渉開始。 |
5/19ホー・チ・ミン、ヴェトナム独立同盟会(ヴェトミン)を結成。 |
6月22日 |
独ソ開戦。 |
|
7月2日 |
御前会議;帝国国策要綱;対ソ戦の準備・南部仏印進駐。大本営;関東軍特殊演習を発動;満州に70万兵力を集結。 |
|
7月16日 |
第二次近衛内閣総辞職;米ルーズベルトと会談しようとしたが、うまくいかず、松岡外相をはずすためにも総辞職した。*1 |
7/12スターリンとチャーチル、モスクワで相互援助協定締結。 |
7月18日 |
第三次近衛内閣成立。 |
7/19スターリン、国防相に就任。 |
|
|
7/21独、初のモスクワ空襲。 |
7月25日 |
米、在米日本資産凍結令公布。英・蘭も続く。 |
7/26フィンランド・ハンガリー、対ソ宣戦布告。 |
|
|
7月独特別部隊によるユダヤ人大量虐殺本格化。 |
この頃 |
山本五十六「石油を禁輸されたら、海軍戦力は2年しか続かない。禁輸から4か月以内に開戦しなければ、不利になる。」 |
7/30米大統領特使ホプキンズ、モスクワでスターリンと対ソ援助について会談。 |
この頃 |
軍令部「作戦本位に考えるなら、モンスーンの時季になれば、マレー東岸の上陸作戦は不可能となり、ハワイ攻撃の洋上補給も至難となるので、おそくとも11月末にはやらねばならない。東洋における敵戦備も着々完成し、11月以降となれば、第一作戦(第一撃)さえも成功を期待し得ない。」*1 |
|
7月28日 |
日本軍、南部仏印進駐。 |
8/1米、石油の対日全面禁輸。 |
|
|
8/12 チャーチルとルーズベルト、大西洋上で会談;大西洋憲章を発表。ソ連など15ヵ国憲章を支持。 |
|
|
8/28ソ連、ヴォルガ=ドイツ人をシベリア移送;ヴォルガ・ドイツ人共和国消滅。 |
9月6日 |
御前会議;帝国国策要綱;10月下旬を目処として対米英蘭戦争準備を完成。 |
9/8独軍レニングラード包囲。キエフを占領。 |
10月5日 |
日本軍連合艦隊に作戦準備下命。 |
|
10月15日 |
ゾルゲ事件;尾崎秀実ら検挙。 |
|
10月16日 |
第三次近衛内閣総辞職。10/18 東条英機内閣成立。 |
|
11月5日 |
御膳会議;対米交渉最後案と帝国国策要綱を決定。来栖大使を米へ派遣。 |
|
11月26日 |
米国よりハルノート提示。日本海軍、開戦を決意。ハワイ作戦機動部隊、択捉島ヒトカップ湾を出発。 |
11/21独軍、ドン川下流ロストフを占領。11/28放棄。 |
12月1日 |
御前会議にて、外交交渉打ち切り決定。対米英蘭開戦を決定。 |
|
12月8日 |
ハワイ真珠湾を攻撃。対米英宣戦の詔書を布告。タイ進駐、マレー半島上陸。 |
12/6ソ連軍反攻開始。12/8ヒトラー、モスクワを放棄。 |
太平洋戦争 始まる |
12/16ヒトラー、東部戦線での退却禁止命令。 |
1942年
(昭和17年) |
1月2日 |
戦時大増税案発表。 |
1/1連合国26ヵ国、ワシントンで共同宣言。日独と単独不講和、大西洋憲章確認。 |
1月2日 |
日本軍、マニラを占領。 |
1/2蒋介石、中国戦区連合軍最高司令に就任。 |
1月3日 |
米英蘭豪、連合司令部設置。 |
|
1月14日 |
日本軍、ビルマに進駐。 |
1/12米、国家戦時労働委員会設立、戦時下の労働対立を防止。 |
1月23日 |
日本軍、ビスマルク諸島ラバウルに上陸。 |
1/15南北アメリカの外相会議、リオで開催。枢軸国との国交断絶を決定。 |
1月18日 |
日独伊軍事協定締結。 |
1/16米、戦時生産局を設立;軍需生産の増大を図る。 |
1月25日 |
タイ、英米に宣戦布告。 |
|
1月29日 |
イラン、英ソと軍事同盟締結。 |
|
2月15日 |
日本軍、シンガポールを占領。 |
2/18中印協定成立。 |
2月20日 |
日本軍、ティモール島に上陸、占領。 |
2/20仏ヴィシー政府、ブルムら第三共和政指導者に敗戦責任を追及。 |
2月27日 |
スラバヤ沖海戦。 |
|
3月1日 |
日本軍、ジャワ島に上陸。3/5バタヴィア(ジャカルタ)を占領。 |
|
3月8日 |
日本軍、ラングーン占領。3/9蘭印軍、日本に降伏。 |
|
3月17日 |
米、労働総同盟(AFL)と産業別組合会議(CIO)、戦争中のストライキ不実施を表明。 |
|
3月17日 |
米で太平洋岸の日系人約11万人、強制収容所へ送られる。 |
3/21米中借款条約に調印;米、5億ドルを中国に供与 |
3月18日 |
マッカーサー将軍、南西太平洋地域の連合軍司令官に就任。 |
3/22英、米中の圧力でクリップス使節団をインドに派遣。インド独立会議開始。英印いずれもが拒否。 |
3月23日 |
日本軍、インド洋アンダマン諸島を占領。 |
3/29フィリピンの抗日人民軍結成される。 |
4月1日 |
日本軍、ニューギニアのラエ=サラモアへ上陸。 |
3/29中国、国家総動員法を公布。 |
4月5日 |
日本海軍機動部隊、セイロン島のコロンボなどを攻撃。英海軍に打撃。 |
|
4月9日 |
フィリピンのバターン半島の米軍、日本軍に降伏。 |
|
4月18日 |
米空母から発進したB25爆撃機16機、東京・名古屋・神戸を初空襲。 |
|
4月24日 |
尾崎行雄、舌禍事件の不敬罪で起訴。 |
|
4月29日 |
日本軍、ビルマルートを遮断。5/1ビルマのマンダレーを占領。 |
|
4月30日 |
翼賛選挙;翼賛政治体制協議会推薦者大量当選。 |
5/11NYのシオニスト会議;ユダヤ国家建設を要求;ビルトモア綱領。 |
5月1日 |
日本軍、ビルマのマンダレーを占領。 |
5月5日 |
英軍、マダガスカル島北部に上陸。 |
5/13フィリピンのケソン、ワシントンで亡命政府樹立。 |
5月7日 |
日本軍、マニラ湾コレヒドール島を陥落させる。米極東軍の完全降伏。 |
5/15ワシントンでルーズベルトとチャーチル会談;仏上陸作戦協議。 |
5月7日 |
珊瑚海海戦;日本軍、ポート=モレスビー攻略を延期。 |
5/26英ソ20年間同盟条約;戦後の共同行動、領土不獲得、内政不干渉を規定。 |
6月3日 |
日本軍、アリューシャン列島に進攻。 |
5/29ソ連モロトフ外相、ルーズベルトと会談。 |
6月5日 |
ミッドウェー海戦(~6/7);米軍、日本軍に大勝。戦局の転機となる。 |
5/29ヒトラー、印独立運動指導者チャンドラ・ボースと会見。 |
6月7日 |
日本軍、キスカ島を占領。6/8アッツ島を占領。 |
6/8アイゼンハウアー将軍、米軍ヨーロッパ戦線最高指揮官に就任。 |
|
|
6/11米ソワシントン協定調印。戦争遂行上の相互扶助。 |
7月11日 |
大本営、南太平洋進攻作戦中止を決定。ポート=モレスビーの陸路進攻を命令。 |
7/11新疆省主席盛世才、ソ連の新疆侵略企図を中央に報告。 |
8月7日 |
米軍、ソロモン諸島のツラギ・ガダルカナル島に上陸。 |
|
8月8日 |
第1次ソロモン海戦 |
8/8印国民会議派、英の印からの退去要求を決議。 |
8月24日 |
第2次ソロモン海戦 |
8/9ガンディー、ネルーら逮捕される。 |
8月13日 |
原爆製造のためのマンハッタン計画始動。 |
8/12英米ソ3国会談、モスクワで開催。 |
8月20日 |
蒋介石、蘭州で盛世才にソ連対策を指示。 |
8/30独、ルクセンブルク併合を宣言。 |
9月12日 |
日本軍、ガダルカナル島で攻勢。9/14失敗。 |
9/3スペインのフランコ、外相に新英派のホルダーナを任命。 |
9月16日 |
盛世才、新疆の共産党員などを逮捕・弾圧。 |
9/24ヒトラー、陸軍参謀長ハルダーを解任。 |
9月26日 |
日本軍、ポート=モレスビー進攻を中止。後退開始。 |
9/27ソ連、ド・ゴール政権を承認。 |
10月1日 |
朝鮮語学会事件;言語学者ら、治安維持法違反容疑で検挙される。 |
10/1独、北スロヴェニアの併合を宣言。 |
10月13日 |
蒋介石、西安で共産党代表林彪と会談。 |
10/10英米、対中国不平等条約の撤廃を発表。 |
10月16日 |
蒋介石、ソ連大使と会談、新疆問題の解決案提示。 |
|
10月17日 |
ソ連、キューバとの国交樹立。以後、南米各国と国交回復。 |
|
10月24日 |
ガダルカナル島での第2師団総攻撃。10/25失敗。10/26ガダルカナル島をめぐる南太平洋海戦。 |
|
10月28日 |
重慶で米英ソ中、東アジア作戦会議を開く。 |
11/8ヒトラー、スターリングラードをほぼ占領と演説。 |
11月14日 |
第3次ソロモン海戦。 |
11/9ヴィシー政権、対米国交断絶。 |
|
|
12/11ソ連・チェコスロバキア、同盟を結ぶ。 |
12月31日 |
大本営、ガダルカナル島撤退を決定。 |
12/24ダルラン仏領北アフリカ総督、ド・ゴール派に暗殺される。 |
1943年
(昭和18年) |
1月2日 |
ニューギニアのブナで日本軍全滅。 |
1/3 独軍、カフカース地方から撤退開始。 |
1月9日 |
汪兆銘政権と日華共同宣言。英米に宣戦布告。 |
1/14 ルーズベルトとチャーチル、カサブランカで会談。枢軸国の無条件降伏要求を決める。 |
|
|
1/23 連合軍、リビアのトリポリを奪回。 |
|
|
1/27 米軍、英から独のヴィルヘルムスハーフェンを昼間初爆撃。 |
2月1日 |
日本軍、ガダルカナル島撤退開始。2/7完了。 |
1/30英、トルコの参戦を要請。 |
2月16日 |
日本軍、広州湾に上陸。 |
2/18独ゲッペルス、ベルリンで総力戦呼びかけ大集会。 |
|
|
3/9蘭領インドネシアでスカルノら、民衆総力結集運動開始。 |
|
|
3/17 アルバニアで共産党第1回全国協議会開催。 |
|
|
4/7 連合軍、チュニジア北部包囲。独伊軍降伏;北アフリカの戦闘終わる。 |
|
|
4/13ポーランドのカチンの森で4,000人以上のポーランド軍将校の射殺体発見。独はソ連の行為と宣伝。 |
4月18日 |
連合艦隊司令長官山本五十六、ソロモン上空で撃墜される。(甲事件) |
4/19独、ワルシャワ・ゲットーのユダヤ人の移送を開始。ユダヤ人蜂起。 |
5月12日 |
米軍、アッツ島に上陸。5/29日本軍全滅。 |
5/15コミンテルン解散。 |
|
|
5/23 インド共産党第1回大会、第二次世界大戦への協力・印多民族の自決を決議。 |
|
|
5/24 独海軍「大西洋の戦い」を打ち切る;この月、Uボートの損失43隻。 |
|
|
5月独軍の対パルチザン作戦によりユーゴスラヴィアで激戦続く。 |
|
|
6/3ド・ゴールら、仏国民解放委員会、アルジェに本拠を置く。 |
6月30日 |
米軍、ニューギニア及びソロモン群島のレンドヴァに上陸。 |
6/23英、ティトー派パルチザンを支持。 |
|
|
7/5 独軍、中部ロシアのクルスク突出部での攻撃、失敗。 |
|
|
7/10 連合軍、シチリア島に上陸。シラクサを占領。 |
|
|
7/17 ソ連軍、ロシア南部で総反撃開始。 |
|
|
7/20ムッソリーニの援助要請をヒトラーが拒否。 |
7月29日 |
キスカ島の日本守備隊、無血撤収。 |
7/22 連合軍、パレルモを占領。 |
|
|
7/24 最後のファシスト党大評議会、グランディのムッソリーニ不信任案可決。 |
|
|
7月 英米軍、ハンブルグ市を連続集中夜間空襲。死者3万人、市街壊滅。 |
|
|
8/5 ソ連軍、オリョールとベルゴルト市を奪回;モスクワで最初の祝砲。 |
|
|
8/17 独軍、シチリア島から撤退。 |
|
|
9/3 連合軍、イタリア本土南部に上陸。 |
9月4日 |
連合軍、ニューギニアのラエ=サラモアに上陸。 |
9/3 伊、連合軍との休戦協定に調印。9/8伊、降伏。 |
|
|
9/8 独軍、伊のバルカン占領地に進攻。 |
|
|
9/9 連合軍、サレルノに上陸。 |
|
|
9/10 独軍、伊北部とローマを占領。 |
|
|
9/20 独軍、サルディーニャ島から撤退。 |
|
|
10/1 連合軍、ナポリを占領。 |
|
|
10/5 独軍、コルシカ島から撤退。 |
|
|
10/7 ソ連軍、ドニエプル川渡河。 |
11月1日 |
米軍、ブーゲンビル島に上陸。 |
11/6 ソ連軍、キエフを解放。 |
11月21日 |
米軍、ギルバート諸島のマキン・タラワに上陸。11/25日本軍の両島守備隊全滅。 |
11/18 英空軍、ベルリンへの連続爆撃開始(~12/5)。 |
12月15日 |
米軍、ニューブリテン島のマーカス岬に上陸。 |
|
1944年
(昭和19年) |
1月7日 |
大本営、インパール作戦を認可。 |
1/1独軍、ウクライナから撤収。 |
|
|
1/14 レニングラード、ソ連軍により解放される。 |
|
|
1/21 独ロンドン大空襲(41年5月以来) |
1月29日 |
『中央公論』『改造』の編集者を検挙(横浜事件)。 |
1/22米軍、ローマ南方アンツィオに上陸。 |
2月1日 |
米軍、マーシャル諸島クェゼリン・ルオット両島に上陸。2/6日本守備隊全滅。 |
|
2月17日 |
米機動部隊、トラック島の日本海軍基地を攻撃;日本軍、大打撃を被る。
陸軍参謀総長・海軍軍令部長が辞任。東条陸軍大臣・嶋田海軍大臣が兼務。*1 |
2/15モンテ=カシノ修道院、連合軍の爆撃で破壊。 |
2月23日 |
米軍、アドミラルティ―諸島ロスネグロス島を占領。 |
|
|
毎日新聞「竹槍では間に合わぬ」報道に東条首相怒る。記者を特例召集。*1 |
|
3月3日 |
学童給食・空地利用徹底、一般疎開促進を決定。 |
3/17米軍、ウィーンを爆撃。 |
3月8日 |
日本軍、インパール作戦開始。 |
3/19独軍、ハンガリーを無血占領。 |
3月29日 |
中学生の勤労動員大綱決定。 |
3/26ソ連軍、ルーマニア国境に到達。 |
3月30日 |
日ソ漁業協定5ヵ年延長。北樺太利権返還協定成立 |
|
3月31日 |
米機動部隊のパラオ島空襲で、ダバオへ移動中の古賀峯一連合艦隊司令長官行方不明。福留参謀長 機密書類紛失「乙事件」。4/5古賀長官殉職と発表。*1 |
この時紛失した機密は「Z作戦」に関するものであり、日本海軍が長年練ってきた日米決戦戦略だった。ラバウルなどでのパイロットの消耗により実現不可能に。 |
4月 |
日本軍、中国大陸打通作戦開始。 |
4/10ソ連軍、オデッサを解放。 |
|
|
5/12ソ連軍、クリミア半島全域を解放。 |
|
|
5/12 連合軍、独燃料施設への組織的爆撃。 |
5月26日 |
日本軍、洛陽を占領。 |
5/12 連合軍、イタリア戦線で攻勢開始。 |
5月27日 |
米軍、ニューギニア西部のビアク島に上陸。 |
6/4 連合軍、ローマを解放。 |
6月15日 |
米軍、サイパン島に上陸。 |
6/6 連合軍、ノルマンディーに上陸。 |
6月16日 |
米軍、中国大陸からB29で九州北部初空襲。 |
6/15 独、V1号によるロンドン攻撃。 |
6月18日 |
日本軍、長沙を占領。 |
|
6月19日 |
マリアナ沖海戦;日本、空母の大半を失う。 |
6/22 ソ連軍、夏期攻勢開始(独軍28師団失う) |
6月30日 |
大都市の学童集団疎開を決定。 |
|
7月4日 |
大本営、インパール作戦の中止を命令。 |
7/3ソ連軍、ミンスクを解放。 |
7月7日 |
サイパン島の日本軍全滅。 |
7/24 ソ連軍、プスコフを奪回。ソ連領から独軍を駆逐。 |
7月10日 |
『中央公論』『改造』に廃刊命令。 |
7/26 ソ連軍、フィンランドへの攻勢開始。 |
7月18日 |
東条内閣総辞職。7/22 小磯国昭内閣成立。 |
|
7月21日 |
米軍、グアム島に上陸。8/11占領。 |
|
8月1日 |
砂糖の家庭用配給停止。 |
7/31 連合軍、アヴランシェで独軍戦線を突破。独軍、仏から退却開始。 |
8月5日 |
最高戦争指導会議設置。 |
|
|
|
8/15 連合軍、南仏に上陸。 |
8月22日 |
沖縄から九州へ向かう疎開船対馬丸、米潜水艦の魚雷攻撃で沈没。1,500名死亡。 |
8/20 ソ連軍、ベッサラビアで独・ルーマニア軍に攻勢。 |
8月23日 |
学徒勤労令・女子挺身勤労令公布。 |
8/25 連合軍、パリ解放。 |
8月24日 |
米軍、テニアン島に上陸。 |
8/26 ベロルシア解放される。 |
|
|
8/30 連合軍、シェルブールを解放 |
|
|
8/31 ソ連軍、ブカレスト入城。 |
|
|
9/2 独V2号(ロケット)によるロンドン攻撃。 |
|
|
9/3 ブリュッセル解放される。 |
9月5日 |
最高戦争指導会議、対重慶和平条約を決定。 |
9/4 アントワープ解放される。 |
|
|
9/4 フィンランド、ソ連との戦闘を停止。 |
|
|
9/11米軍、独西部国境に到達。 |
9月16日 |
ソ連に特派大使派遣を提示するが、拒否される。 |
9/18 ソ連軍、ソフィアを占領。 |
9月29日 |
グアム・テニアンの日本軍全滅。 |
9/19 アルンヘムの戦い;連合軍の進攻阻まれる。 |
|
|
10/4 英軍、ギリシアに上陸。アテネ解放される。 |
10月10日 |
米機動部隊、沖縄を空襲。 |
10/13 ソ連軍、リガを解放。 |
10月18日 |
満17歳以上を兵役編入。 |
10/16 ソ連軍、東プロイセン州に到達。。 |
10月20日 |
米軍、レイテ島に上陸開始。 |
10/20 ソ連軍とユーゴスラヴィア軍、ベオグラードを解放。 |
10月24日 |
レイテ沖海戦;日本連合艦隊主力壊滅。 |
10/21 ドイツのアーヘン、米軍に占領される。 |
10月25日 |
神風特攻隊、レイテ沖で初出撃。 |
10/25 ルーマニア軍、ソ連軍と国内から独軍を一掃。 |
|
|
11/4 独軍、ギリシアから撤退。 |
|
|
11/18 独軍、アルバニアのティラナを撤収。 |
11月24日 |
サイパン島基地からB29 70機、東京初空襲。 |
11/23 連合軍、シュトラスブール・メッツを占領。 |
12月7日 |
東海地方、大地震・津波に襲われる。死者998名。 |
12/8 ソ連軍、ハンガリーで攻勢。ブタペスト包囲。 |
|
|
12/16 独軍、西部戦線最後のアルデンヌで攻勢にでるが、失敗。 |
1945年
(昭和20年) |
1月9日 |
米軍、ルソン島リンガエン湾に上陸。 |
1/12ソ連軍、東プロイセンを占領。 |
1月18日 |
大本営、本土決戦の戦争指導大綱を決定。 |
1/17ソ連軍、ワルシャワを解放。 |
1月26日 |
ビルマ=ロード開通。 |
1/23独軍、バルト地方から兵士・農民を本国に移送開始。 |
2月3日 |
米軍、マニラ市に進攻。 |
|
2月16日 |
米機動部隊艦載機1,200機、日本本土各地を初空襲(~3/29)。 |
2/13ドレスデン、英空軍による爆撃で死者数万。 |
2月19日 |
米軍、硫黄島に上陸。3/17日本守備隊全滅。 |
2/13ソ連軍、ブタペストを解放。 |
3月3日 |
米軍、マニラを占領。 |
3/4連合軍、ライン川に到達、渡河。 |
3月9日 |
日本軍、仏印処理要綱により仏印軍を武装解除。 |
|
3月10日 |
米軍のB29、東京夜間大空襲。 |
|
3月26日 |
米軍、沖縄の慶良間列島に上陸。 |
3/30ソ連軍、ダンツィヒを占領。 |
4月1日 |
米軍、沖縄本土に上陸開始。 |
4/1ソ連軍、ハンガリー全土を解放。 |
4月5日 |
ソ連外相、日ソ中立条約不延長を通告。小磯内閣総辞職。鈴木貫太郎内閣成立。 |
4/11ユーゴのチトー訪ソ。ソ連との友好協力相互援助条約締結。 |
|
|
4/12 米ルーズベルト大統領死去。副大統領トルーマン大統領就任(第33代)。 |
|
|
4/13ソ連軍、ウィーンを占拠。 |
|
|
4/16ソ連軍、プラハを解放。 |
|
|
4/16ソ連軍、ベルリン攻略作戦を開始。 |
|
|
4/21 ソ連・ポーランド、戦後協力に関する条約に調印。 |
|
|
4/23 中国共産党7全大会、延安で開催。毛沢東、「連合政府論」を報告。 |
|
|
4/25米ソ両軍、エルベ河畔で出会う。 |
|
|
4/28ムッソリーニ、パルチザンに銃殺される。 |
|
|
4/29在伊独軍降伏。 |
|
|
4/30ヒトラー、ベルリンの総統官邸で愛人と自殺。後継総統にデーニッツ海軍最高司令官。 |
5月3日 |
連合軍、ビルマのラングーンを占領。 |
5/1ゲッペルス一家、官邸で自殺。 |
|
|
5/2伊戦線の独軍降伏。 |
|
|
5/6トルーマン大統領、パレスティナにユダヤ人移民10万人導入を提案。 |
|
|
5/10ソ連軍、プラハ解放。 |
|
|
5/23連合軍、デーニッツ政府全員を逮捕。ヒムラー警察長官自殺。 |
6月1日 |
スティムソン委員会、日本への原爆投下を大統領に勧告。 |
6/1英軍、レバノン・シリアを占領。 |
6月7日 |
戦艦大和などの沖縄支援の海軍部隊、壊滅。 |
6/5ベルリン協定調印;米英仏ソのドイツ敗北と最高権力掌握について宣言。 |
6月23日 |
日本の沖縄守備隊全滅。 |
6/21米英ソ3大国賠償委員会、モスクワで開催。 |
7月3日 |
米海軍機、呉軍港などを空襲;日本海軍、事実上壊滅。 |
6/22米英仏ソ、ドイツの4地区分割占領。 |
7月5日 |
マッカーサー、フィリピン全土解放を宣言。 |
|
7月13日 |
ソ連に近衛派遣を打診するが、拒否される。 |
|
7月16日 |
米ニューメキシコ州アラモゴードで、最初の原子核爆発実験成功。 |
|
7月26日 |
英米ソ、ポツダム宣言発表。 |
7/26英総選挙で労働党大勝、チャーチル内閣退陣。 |
8月6日 |
米軍、広島に原爆投下。 |
|
8月9日 |
米軍、長崎に原爆投下。 |
|
|
ソ連軍、対日宣戦。 |
|
8月12日 |
ソ連軍、朝鮮の羅津・清津に上陸。 |
8/10中国共産党の朱徳、対日大反攻命令を発布。蒋介石は朱徳に原駐地駐防待命を指令。朱徳は拒否。 |
|
|
8/13世界シオニスト会議、ユダヤ人100万人のパレスティナ移住を要求。8/31トルーマン大統領、英アトリー首相に10万人の即時入国を要求。 |
|
|
8/13ヴェトナムでインドシナ共産党大会、一斉蜂起を決定。 |
8月14日 |
御前会議、ポツダム宣言受諾を決定 |
8/14仏ペタン元帥、対独協力で死刑宣告(のち終身刑に減刑)。10/9元首相ラバル処刑。 |
8月15日 |
昭和天皇、「終戦」の詔勅放送。鈴木貫太郎内閣総辞職。 |
8/15朱徳、米英ソに解放区の人民代表権、対日平和会議参加権、米の対蔣援助停止など要求。 |
日中戦争・太平洋戦争・第二次世界大戦 終了 |
8月17日 |
東久邇宮稔彦内閣成立 |
8/16ヴェトナム民主共和国臨時政府成立(ホー・チ・ミン大統領)。 |
|
|
8/17インドネシアでスカルノら独立宣言。 |
|
|
8/18米軍、上海、広州、天津、青島に上陸。 |
|
|
8/20溥儀、ソ連軍に捕らえられる。 |
|
|
8/20朝鮮共産党再建委員会、ソウルで結成。 |
|
|
8/22ソ連軍、旅順・大連を占領。 |
8月29日 |
ソ連軍、北緯38度以北の北朝鮮全域を掌握。 |
8/25中国共産党中央、「対目前時局宣言」発表。 |
8月30日 |
連合国軍総司令官マッカーサー、厚木到着。 |
8/26中国国府軍、重慶等後方地区から南京・上海・北平へ進駐。 |
9月2日 |
ミズーリ号艦上で、降伏文書調印。GHQ司令第一号。9/11連合軍総司令官、東条ら戦犯容疑者逮捕を指令。 |
8/28重慶で蔣・毛国共会談。 |
|
|
9/2米ソ、朝鮮を支配下に置く。 |
|
|
9/6朝鮮人民共和国樹立を宣言。米軍政長官、人民共和国を否認。 |
|
|
9/8英蘭軍、日本軍の武装解除のため、ジャカルタ到着。10/末 インドネシア人民軍との間に戦闘始まる。 |
|
|
9/13イラン、英米ソ軍の引き上げを要求。 |
|
|
9/17インドネシア共和国独立を宣言。 |
9月27日 |
昭和天皇、マッカーサーを訪問。 |
9/19米軍政庁、ソウルに設置。南部朝鮮での軍政開始。 |
|
|
9/23仏・ヴェトナム軍衝突。仏軍、サイゴン占領。 |
10月9日 |
幣原喜重郎内閣成立。 |
|
10月15日 |
治安維持法廃止。 |
|
10月24日 |
国際連合発足。 |
10/20エジプトほかアラブ3国、イスラエル国家建設は戦争を招くと米に警告。 |
12月6日 |
GHQ、近衛文麿らに逮捕命令、12/16 近衛、服毒自殺。 |
|
12月7日 |
マニラ戦犯裁判で山下奉文元大将に死刑判決。 |
|
1946年
(昭和21年) |
1月1日 |
昭和天皇の人間宣言。 |
|
|
2月3日 |
マッカーサー、天皇制存続・戦争放棄・封建制撤廃の三原則に基づく憲法草案をGHQに指示。 |
|
|
4月5日 |
連合国、第1回対日理事会開催。 |
|
|
5月22日 |
第一次吉田茂内閣発足。 |
|
|
6月18日 |
米主席検事キーナン、天皇を戦争犯罪人として裁判を行わずと言明。 |
|
|
11月3日 |
日本国憲法公布。 |
|
|
5月3日 |
日本国憲法施行。 |
|