Title9-3.GIF (2758 バイト) アケメネス朝ペルシア <王朝概説>  

haxāmanišiya

開祖 キュロス1世 支配民族  ペルシア
興亡 BC559年~BC330年 首都  ペルセポリス

建国

エジプト、リディア、新バビロニアとともに四王国分立時代において、隆盛を極めたメディア王国は、結局2代で潰えた。2代目の王アステュアゲスの時代、孫であり、後にペルシア帝国を建国したキュロスによって滅ぼされることになる。
アステュアゲスにはマンダネという娘がいた。あるとき、彼はマンダネが放尿してアジア全土を氾濫させる夢を見た。神官と相談し、マンダネをペルシア人に嫁がせることにした。メディア人に嫁がせると、将来自分の存在を脅かす存在になると考えたからである。
マンダネの結婚相手は、カンビュセスというペルシア人で、二人の間に生まれたのがキュロスである。ところが、生まれる前、アステュアゲスはふたたび夢を見る。今度はマンダネの陰部から一本の葡萄の木が生え、それが全土を覆うというものだった。あらためて神官と相談したところ、生まれてくる子がアステュアゲスを退けて王になるという。アステュアゲスは直ちに殺す決断をした。妊娠したマンダネをペルシアから呼び戻し、厳重な管理下に置き、出産とともに子ども側近のハルパゴスに預けて殺すように命じた。ハルパゴスは自宅へ子どもを連れ帰るが、殺害を躊躇する。殺せばマンダネの恨みを買うし、殺さなければアステュアゲス王から咎められる。そこで、牛飼いのミトラダテスという男に、人気のない山中へ捨ててくるよう命じた。ちょうどわが子を死産で失っていたミトラダテスは、捨てずに育て、死産した子を森へ捨てた。しかし、10年後にその事実がアステュアゲス王の知るところとなり、激怒した王は、ハルパゴスの子どもを殺し、その肉を宴を開いて当人に振る舞うという過酷な罰を与えた。
一方、マンダネとカンビュセスは子どもの生存を知って喜び、引き取って育てることにした。キュロスはペルシアの宮廷で立派に成長していった。それを待っていたのが、ハルパゴスで、メディア国内で王に反感を抱く者を募った上で、キュロスに手紙を送って、メディアに対する挙兵を促した。キュロスはメディアへの進軍を開始し、メディア軍内部では次々と離反者がでて、アステュアゲス王は敗れ、メディア王国は滅亡した。
キュロスは、ハルパゴスに指揮を取らせて、リディア王国のクロイソス王を攻め、これを滅ぼした。リディアがアケメネス朝ペルシアの支配下に入ったことで、リディアのあったアナトリア半島にあったギリシアの植民市もペルシアの支配下に入った。その勢いで、新バビロニアの首都バビロンも陥落させ、四王国のうちのエジプトを除く3つを支配下に治めることとなった。
しかしその後、キュロスはスキタイ人と同系統の勇猛なマッサゲタイ人との戦闘で落命した。

中興

紀元前525年にキュロスの息子カンビュセス2世(カンブジャ)はエジプト(エジプト第26王朝)を併合して古代オリエント世界を統一した。
ダレイオス1世とその子クセルクセス1世(クシャヤールシャン)は古代ギリシア征服を計画してペルシア戦争(紀元前492年-紀元前449年)を起こしたが、失敗した。紀元前490年にダレイオスが派遣した軍はマラトンの戦いでアテナイ・プラタイア連合軍に敗れ、紀元前480年のクセルクセス自らが乗り出した遠征はサラミスの海戦やプラタイアの戦いなどでの敗北を受け、失敗した。その後は紀元前5世紀中頃までペルシアはギリシア人の反撃に苦しんだが、クセルクセスの次の王アルタクセルクセス1世は紀元前449年のカリアスの和約で講和した。
ギリシア人が羨んだ莫大な富、ダレイオスによる新都ペルセポリスでの大殿造営など、ペルシアは繁栄を謳歌し、ペロポネソス戦争(前431年-前404年)後、ペルシアはその富を用いてギリシア世界に干渉し、ギリシア人同士の戦いを煽ってその共倒れを狙うという対ギリシア政策を取った(紀元前395年から紀元前387年のコリントス戦争がその典型である)。 その一方で、内政面では紀元前4世紀にあい続いた小アジアのサトラップの反乱(紀元前372年-紀元前362年)に悩まされていた。

滅亡

紀元前404年に、ダレイオス2世の死後、アルタクセルクセス2世と小キュロスの間で、皇位継承争いが起こった。ペロポネソス戦争の退役ギリシャ軍人を傭兵とした小キュロス軍が敗北して、アルタクセルクセス2世が王位に就いた。クセノフォンは、ギリシャ敗残兵一万人の脱出紀行を『アナバシス』に残している。
宦官で大臣のバゴアスによりアルタクセルクセス3世とアルセスが相次いで暗殺され、傍系のダレイオス3世が擁立された。ダレイオス3世の代にアレクサンドロス大王とのガウガメラの戦いに敗れて紀元前330年に滅んだ。ただし、アレクサンドロスはダレイオス3世の息女(スタテイラ、パリュサティス)と結婚し、アケメネス朝の統治制度をほぼそのまま継承しようと試みていた。なお、アレクサンドロスもそうだったが、アケメネス朝の君主たちも古代エジプトを征服した後にファラオを任じていた。

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アケメネス朝ペルシア 歴代国王
キュロス2世 BC550年 -BC529年
カンビュセス BC529年 - BC521年
3 ダレイオス1世 BC521年 - BC486年
4 クセルクセス1世 BC486年 - BC465年
5 アルタクセルクセス1世 BC464年 - BC424年
6 クセルクセス2世 BC424年 - BC423年
7 ソグディアノス BC423年
8 ダレイオス2世 BC422年 - BC404年
9 アルタクセルクセス2世 BC404年 - BC343年
10 アルタクセルクセス3世 BC343年 - BC338年
11 アルセス BC338年 -BC336年
12 ダレイオス3世 BC336年 - BC330年

資料  『世界史大年表』(山川出版社)石橋秀雄 他。
 『教養としてのギリシア・ローマ』(東洋経済新報社、中村聡一著)