百穴とは「たくさん」という意味なのだそうだ。219個が確認されている   大正末期まで、先住民族「コロボックル」の居住跡と信じられていた。

吉見百穴     古代文字 「吉見文字」 桃木文字に酷似

戦時中は、軍需用に使用されていたのだそうだ。   「光苔」の群生地

空しい案内板   廃墟と化した「巌窟ホテル」 アイデアは素晴らしいと思うのだが…残念である

「岩室山観世音」眼前に岩山が立ちはだかる

 


吉見百穴 (埼玉県比企郡吉見町)


 さて、一路 東松山近く『吉見百穴』へと移動する。
ここは、凝灰岩の丘陵の側面に彫られた横穴墳墓と伝わる。
明治20年 坪井正昭五郎博士らが発掘し、先住民族(コロボックル)の住居跡等の説があったが、大正末期になり墓穴であることが明らかとなり現在に至る。
戦時中は軍需工業用に巨大な洞窟を掘り今でもその痕跡を見ることができる。中に入ると天然のクーラーで、おり日も炎天下にさらされた体が癒される。

 百穴というからには、100個の横穴があるのかというと、全部で219個確認されているそうだ。売店のお兄ちゃんの話では、100という数字は「たくさん」という意味なのだそうである。またここは、紀元前8世頃に核シェルターとして使われていた???その説もある。
ついでにここから出土の桃木文字に酷似の「吉見百穴文字」について尋ねてみた。(丘陵頂上近くの案内標識にも「古代文字」の案内があった。)
何でも、横穴の一部に彫られているそうで残念ながら学術的な問題とかで今では柵が貼ってあって見る事はできないそうだ。また、ハングル文字で書かれた石碑もあるとの事。が、こちらも見ることが出来ない。ハングルと言われれば、どうしても「アヒル文字」を連想するが実物を見ることが出来ないのでは確認しようも無い。
ただ、情報ではこの横穴を掘った労働者が韓国の人々とのことなので、ハングルで書かれた慰霊塔などのたぐいではないかと推測は、たつ。

 また、ある一部の横穴には、昨年 岐阜県恵那市 笠置山山腹で見た「光苔」と同じ物がここでも蛍光緑に神秘な光を発していた。特定の緯度と湿度でしか生息できない「光苔」が、まさかこんな低地の簡単に手が届くような場所に生息しているのも驚きであった。
帰り際「岩室山観世音」に立ち寄る。ここは松山城の裏門跡なのだそうだ。
門を抜けると、いきなり眼前が岩山となる不思議な造りの構築である。
その隣には、知るひとぞ知る「岩窟ホテル」のなれの果てがある。
岸壁をくりぬいてその中にホテルを建てる。発想はとてもユニークではあるが、資金難とかで途中で話は頓挫してしまったらしい。以前テレビで紹介された時は、なかなかおもしろいと思ったのだが、無残に錆付いた入り口の柵と傾いて朽ちた「岩窟ホテル」の看板が空しかった。


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