全生庵 (ぜんしょうあん)



 巷でよく三大怪談として挙げられているのが「東海道四谷怪談」「番町皿屋敷」、それに「牡丹燈籠」。四谷怪談は歌舞伎、番町皿屋敷は戯曲、そして牡丹燈籠は落語となるのですが、この牡丹燈籠を始めとして幾多の怪談噺を手がけたのが、幕末から明治期にかけて活躍した落語家三遊亭園朝。その園朝の墓所があるのが東京谷中にある全生庵というお寺で、毎年8月になると園朝の没した8月11日を偲び園朝忌を行い、落語会や園朝の蒐集した幽霊画の公開などを行っています。

 

 谷中は震災や空襲でも罹災しなかったことから、戦前の長屋やしもた屋等の下町情緒の佇まいが残されているので、近頃はカムバック昭和ブームに便乗して観光スポットに変貌してしまい、土日あたりは少々五月蝿い感じになってしまいました。夕焼けだんだんから谷中銀座を経て、よみせ通りへ抜けるあたりが谷中観光のメインらしく、中高年中心にビギナーで繁盛中。その一方で谷中は寺町としての顔も持ちあわせており、特に三崎坂はその寺密集地域のド真ん中を貫く長い坂道で、このあたりは観光客はかなり少なめ。その三崎坂を谷中墓地から千駄木へ降りていく中途の北側に全生庵があります。やはり周囲はお寺しかなく、墓地の向こうはまた別の寺院の墓地だったりする寺銀座ゾーン。でこの全生庵、谷中でも屈指の広い敷地の寺域なのですが意外にも比較的新しい寺院で、1881年(明治13年)に山岡鉄舟が開基した臨済宗のお寺。富山の伏木にある虚無僧の本山として知られる国泰寺の末寺とのことなので、時代劇で御馴染みの謎の虚無僧軍団が逗留するのでしょうか?裏手には巨大なゴールド観音様が出迎えてくれます。

 

 園朝の墓所は案内板があるのですぐわかります。だいたい墓地の真ん中あたり。三遊亭園朝は本名出淵次郎吉。天保年間に湯島で生を受け、幕末の安政期に真打ちに昇進、創作落語を得意とし、「芝浜」「文七元結」「黄金餅」「死神」「鰍沢」と名作噺を次々と生み出して、落語以外のジャンルにまで影響を与えた、まさに天才落語家でした。特に怪談噺を得意とし、「牡丹燈籠」「真景累ヶ淵」「怪談乳房榎」は三大怪談噺として有名。円朝の怪談は幽霊が出てくる場面はそれほど怖くなく、例えば「牡丹燈籠」なら幸手堤の女房殺しや「累ヶ淵」の豊志賀の死などの、人間の業や欲望を赤裸々に抉り出したような場面に凄みがあり、同じように怪談噺ではない「黄金餅」や「鰍沢」にも共通する心の奥底に潜むデーモニッシュな部分に光を当てた、ダークでディープな世界が特徴。それは園朝の鋭く怜悧な観察眼の賜物なのでしょう。バルザックやモーム、それにワイルドのような文学的な香りも醸し出しています。ところで園朝の墓所がこの全生庵にあるのは、山岡鉄舟に師事して禅に励んでいたそうで、それでこの鉄舟所縁の寺に葬られたとか。墓石には「耳しひて 聞さだめけり 露の音」という辞世の句が刻まれています。

  

 この園朝の墓所近くに山岡鉄舟の墓があります。それから「叱られて」「小諸なる古城のほとりに」「雀の学校」等の童謡を数多く作曲した弘田龍太郎のお墓もあり、「叱られて」の楽譜と歌詞が刻まれたモニュメントが添えられています。

  



 「全生庵」
   〒110-0001 東京都台東区谷中5-4-7
   電話番号 03-3821-4715
   拝観時間 幽霊画公開は8/1〜8/31 AM10:00〜PM5:00