吉田家住宅 (よしだけじゅうたく) 重要文化財



 北総地域は古来軍馬の放牧場だったようで、今でも競走馬のトレセンがありますし、三里塚には皇室の御料牧場もありました。水はけが悪く農作には不向きですし、起伏が少なくやたらとだだっ広いこの郊外の土地が、上層階級の持ち物を遊ばせておくのに都合が良かったのでしょうね。当然その持ち物を管理させる当番が必要なわけで、柏市の花野井地区にある吉田家も近在の牧士を務めた家柄でした。牧士は農民でありながら苗字帯刀も許された士分格なので、その邸宅は広大な敷地を鬱蒼とした屋敷林が取り囲み、正面に長大で重厚な長屋門を構えたまさしく豪邸。

 

 なんでも吉田家の歴史を紐解くと平安期にまで遡るようで、当主でなんと四十三代目。代々名主を務める豪農なのですが、江戸期には金融や穀物を取り扱う在郷商人でもあり、また当地方の特産品である醤油醸造にも乗り出して収益を上げ、1826年(文政九年)に幕府より牧士を任命されるという、多角化経営の近代資本主義的な実業家でもありました。今に残る邸宅はその日本の近代化が始まりだす黎明期の幕末に整えられたもので、その概要は近世上層農家の民家建築であるもののタイプとしては近代和風住宅建築に近く、豪農・豪商・製造業・士分格と様々な複合的な側面を持っていた旧家の御屋敷です。

 

 まず最初にお目見えする長屋門が邸内最も古い建物で、1831年(天保二年)に建造されています。全長25m幅5mにも及ぶ長大な門で、屋根が寄棟造りの桟瓦葺。総欅造りで門扉は欅の一枚板となり、東西両脇の内部は米蔵として使われていました。天井は高く太い丸太が五重に組まれており、内壁は白漆喰の真壁造りで米俵に傷つかない保護用として、斜めに板が張られています。今は醤油醸造時の設備品が展示中。

 

 

 この長屋門の奥にあるのが新蔵で、長屋門の西隣にある向蔵共々に1833年(天保四年)の建造です。新蔵は柱に厚板を落とし込んだ板倉構法で、向蔵は邸内唯一の土蔵造り。

 

 長屋門・新蔵・向蔵は幕府から牧士を任命された直後に次々と造られたもので、邸内の他の建造物は幕末期のものです。この時期に醬油醸造場の普請が行われており、同時に居宅の再整備が進められたもので、その中心となるのが1854年(嘉永七年)に建造された主屋。寄棟造りの茅葺屋根で、大きさは桁行20.4m奥行10.1mによる平屋建てです。棟上には雁振瓦を並べ、中央やや左に切妻造り桟瓦葺の煙出しをチョコンと乗せ、軒下には出桁を取り回して茅葺を支えています。一見すると伝統的な農家建築に見えますが、増築等もあって通常とはちょっと異なる内部構成を持っておりそこが見所。

 

 

 まず正面から右手に桟瓦葺屋根の式台が取り付きますが、同じ屋根続きで左手前面に小屋のような座敷が突き出してあります。これは明治期に増築された帳場座敷で、主屋の西側に醤油醸造場がありここで経理担当が詰めていたのでしょうね。内部は三畳間で皮付き丸太の床の間があるなどちょっと数寄屋風に崩してあります。畳も縁なしの琉球畳で、夏場になると床下に水を張って仕事中のクーラー変わりにしていたようです。面白いのが障子窓に緑色のガラスが嵌っていることで、内部の様子を隠す為だとか。

 

  

 主屋内部の西半分は広い土間となり、東半分の床上に田の字で部屋が並ぶ四間取りですが、本来はザシキとなる一番東側の部屋が玄関と納戸となっているので、接客空間が一つもありません。また水廻りも一切なく、北側にコの字型で水廻棟が突き出しており、北西隅には1864年(元治元年)に増築された煉瓦敷きの釜屋が取り付いています。ということで通常だと土間天井は高く吹き抜けて豪壮な梁組が見られるものですが、確かに囲炉裏が切られた土間北側は野太い梁による架構が覗けるものの、他は床上部も含めて全て天井板が張られており、竈もないので一般的な豪農民家らしくない土間空間です。

 

 

 土間に接する板の間は南側が「ミセ」、北側が「チャノマ」で、「ミセ」には蟇股も乗せた横長の大きな神棚が備え付けてあります。この二つの部屋が邸宅の中心となりますが、「チャノマ」の東側の納戸は主人の書斎兼金庫室として使われていたようで、外部からは侵入し難い仄暗い部屋。裏の仏間との間に「鼠戸」と呼ばれる小さな切り欠きがあり、ここで書類のやり取りを行っていたとか。このあたりは豪商屋敷の箇所です。

 

 

 その仏間は式台付きの玄関と納戸との境にあり、手前の玄関は十畳間の欅造り。隣の「ミセ」との境には、玉杢の板戸も嵌められています。奥の襖にも芭蕉布が貼られて山に雲海の図案による絵も描かれ、鴨居には刀掛けが付き、釘隠しには鶴と柏のデザインも見られるなど、まるで武家屋敷のような空間です。これも士分格という格式の高さを見せているわけですけれど。

 

 

 その玄関から舟底天井の渡り廊下で繋がるのが、主屋と同時に建造された書院。外観は屋根が寄棟造り桟瓦葺で、下屋が深く取り付きその下に四尺幅の広縁が取り回しています。主屋の玄関と一体化したような空間で、特にお互いの建物の間には袈裟型手水鉢や石灯籠も置かれた坪庭のような設え。

 

  

 内部も十二畳が二間並び付書院や違い棚も設けられた正統的な書院造の座敷で、欄間には精緻な花菱の格子も入ります。柱には四方柾の杉材や栂材が多く使われており、釘隠しも主屋よりさらに格式の高いものへと変更されています。

 

 

  

 眼前には苔に飛び石を配し石灯籠を置いた築山のない平庭が広がっており、これもまた端正な佇まいの武家屋敷風。

 

 主屋の「チャノマ」から北へ渡り廊下で繋がるのが、1865年(慶応元年)に建造された新座敷。こちらも屋根が寄棟造りの桟瓦葺で、内部は八畳+六畳の二間続きの座敷が相の間を挟んで矩折に二組並ぶ構成となり、それぞれの主室には床の間や付書院が備えられてあります。家族の居住空間ですのでシンプルな意匠の空間ですが、よく見ると奥座敷の欄間や前座敷の付書院窓には透かしが入っていて、外にも枯山水の庭園が広がるなど改めてブルジョワジー階級の御屋敷だなと再認識されます。このように主屋から離れて接客空間や座敷を別棟で建てるのはこの下総地方に数多く見られるスタイルで、お隣の野田市の高梨本家や松戸市の徳川戸定邸に佐倉市の堀田邸と同様の趣向。

 

 

 

 主屋の西側にあった醤油醸造場への入り口にあるのが西門で、1856年(安政三年)の建造。醬油醸造場は関東大震災で打撃を受けて大正期に廃業しています。長屋門の東にあるのが道具蔵で、1867年(慶応三年)の建造。主屋・書院・新座敷・長屋門・向蔵・新蔵・道具蔵・西門の以上八棟が国の重要文化財の指定で、庭園が国の登録記念物に指定されています。

 

 



 「旧吉田家住宅歴史公園」
  〒277-0812 千葉県柏市花野井974-1
  電話番号 04-7135-7007
  入園時間 AM9:30~PM4:30
  休園日 月曜日 12月29日~1月3日