横浜市開港記念会館 よこはましかいこうきねんかいかん) 重要文化財



 2004年2月に開業した第三セクターみなとみらい線(東急東横線ではない)の日本大通り駅周辺はレトロ建築満載の地域で、戦前の庁舎・領事館・銀行・商店・教会などが密集して建てられており、しかも今でも当時のままに現役で使われている物件も珍しくなかったりします。同じ神奈川県内の丹沢山系で関東大震災が発生した為に、横浜も壊滅的な被害が出て明治期の洋館群は全て壊滅しましたが、その後の復興計画によって昭和初期のモダンな建築物が次々と建造されて街が再生されていき、内部は強靭で外観は趣のあるレトロな街並みが出来あがったわけで、それが今でも現役として使われて続けている理由なのでしょう。たとえ震災があったとしても必ず復興して行くという一つのモデルになるのではないのでしょうか?
 で、その日本大通り駅の一番出口を出た交差点の対面に、赤レンガを積んだ高い時計塔がお目見えします。これも戦前に建てられた洋風建築の一つで、今でも現役として使われている公会堂です。

 

 そもそもこの場所には1874年(明治7年)に建てられた洋風建築の町会所があり、正面に時計塔を懐く洋館として”時計台”の愛称で市民に親しまれていましたが1906年(明治39年)に焼失してしまっており、その跡地に開港50周年を記念して市民から寄付を募って建造されたのがこの公会堂で、名称が横浜市開港記念会館となっているのもその由来から。公開コンペが行われて一等となった福田重義案が採用され、長崎から設計技師の山田七五郎が招聘されて1914年(大正3年)に着工し、3年後の1917年(大正6年)竣工しています。
 地上二階地下一階に時計塔が北東隅に付いた構成で、地下部は鉄筋コンクリート、地上部が煉瓦造、そして塔部が鉄骨煉瓦造と構造体が混在しており、特に地上部は煉瓦壁の要所に帯鉄を敷き連ねた「碇聯鉄構法(ていれんてっこうほう)」が採用されて、強固な耐震工法が導入されています。実際に竣工5年後に起きた関東大震災でも倒壊せず、外観はキープされています。

 

 その外観はいわゆる辰野式と呼ばれるフリークラシックスタイル。東京駅でも御馴染のコントラストの効いた赤煉瓦と白い花崗岩を混成させ、スレート屋根のドームや小塔・高屋根を並べた特徴のある姿は当時全国に大流行した建築様式で、ここでも装飾性の豊かな意匠が各所に散りばめられています。ちなみに南東隅のドームだけは大震災の際に焼失しており、1989年(平成元年)に復元されたもの。

  

 この建物のシンボル的な存在の時計塔は高さが36mあり、内部は急勾配の螺旋階段が延ばされています。港が近いから燈台の様な役目もあったのでしょうかね。御近所の神奈川県庁と横浜税関にも塔があり、三本並べて「横浜三塔」なんて呼ばれてもいるようです。国際航路の船員たちがそれぞれ愛称を付けていたそうで、この塔は「ジャック」と命名。ちなみに神奈川県庁が「キング」で、横浜税関が「クイーン」。

  

 内部は北側に一二階吹き抜けの広い講堂があり、南側に会議室が並ぶ構成ですが、大震災の際に内部は全て焼失しており、後年復元されていますがどこまで当初のものかは不明。特に会議室は現在でも使用されているので、よくある普通の部屋です。ただ玄関ホールやその上の広間、吹き抜けの階段などには往時を偲ばせる意匠が見られ、特にステンドグラスは見所の一つで、階段部にある黒船の図案はいかにも横浜らしいモチーフ。

 

 

  

 公会堂としてのメイン会場は講堂。ジュークボックス型のコンサートホールで、屋根を支える構造体の天井アーチをそのまま白漆喰塗りで美しく見せて広い空間を造り出しています。大正期のアールヌーボー調の装飾性豊かな照明器具も印象的。この講堂は毎月15日に一般公開されています。国重要文化財指定。

 

 

  



 「横浜市開港記念会館」
  〒231-0005 神奈川県横浜市中区本町1-6
  電話番号 045-201-0708
  開館時間 AM10:00〜PM4:00
  休館日 第4月曜日 12月29日〜1月3日