横浜税関 (よこはまぜいかん)



 横浜港が開港されたのは幕末期の安政年間のことで、黒船来航による一連の開国騒動の渦中に、江戸と浦賀の中間地点ということでさびれた寒村だった横浜村に白羽の矢が立ち、今の神奈川県庁あたりで日米和親条約が締結されたというわけです。1859年(安政六年)に箱館・長崎と共に国際港として開かれ、波止場を整備し奉行所や運上所等の行政施設が次々に造られていきましたが、この運上所が現在の横浜税関の前身にあたり今に見る庁舎は三代目。埠頭際に聳え立つその特徴のある外観は、大桟橋から見るとまるで灯台のようですね。

 

 初代の庁舎は1873年(明治六年)に建造されましたが県に譲渡し、二代目は1886年(明治十九年)に再建されたものの関東大震災で崩落し、現役の三代目は1934年(昭和九年)に完成しています。初代や二代目が明治期らしい洋館のような外観を持つのに対して、この三代目は昭和初期のモダニズム建築の影響を受けており、容積率の大きい直方体のフォルムは同時期の東京中央郵便局舎と共通するもので、鉄骨鉄筋コンクリート造りも大震災の影響から強靭な構造の建築物が次々と登場する当時の流行に合致しています。五階建てで塔屋は六階建て。平面で見ると長方形の角を大きく面取りしたような五角形で、その面取りした箇所が埠頭側となりその上に塔屋を乗せていて、正面玄関は裏手を走る海岸通り側にあります。こちらのほうが県庁等の官庁街の中心に近いですしね。

 

 一見すると頭に乗っけた塔以外はシンプルな外観に見えますが、よく見ると中々凝った意匠が散りばめられており、特に正面玄関廻りは様々な意匠が混在していて見所。三連の半円アーチを描く車寄せ部は、そのアーチを支える円柱がインド風で、アーチ回りがムーリッシュ風の装飾、そして扉の表面と把手がアールデコ風と、エキゾチズムとモダニズムが同居しています。外観も含めてこの建物の傾向がすべてこの流れで、戦前のモダニズム文化が強まった時期に、国際航路を対象とする業務からか異国趣味の影響が加味されており、例えば正面上方の壁面に穿たれたイスラム風の星型もその表れなのでしょう。玄関前の棕櫚の並木も考えてみれば不思議ですし。

 

 

 

 その棕櫚ですが装飾としても使われており、壁面に連続で付着しています。それから正面玄関を始めとして各入口部に必ずあるカップ型の装飾は元々ガス燈だったらしく、今は電燈が入ってライトアップの一つになっています。壁はベージュサンドの磁器タイルが貼られていますが、海の青や棕櫚の緑と映える計算なのでしょうかね?

  

 別名”クイーンの塔”とも呼ばれている塔屋は高さ51mあり、竣工当時では横浜市内で最も高い建築物だったとのこと。イスラム風の外観を持つこの塔も細部は装飾性が豊かで、ステンドグラスの入った二連アーチ窓の外枠には柱頭付きのねじり円柱が付けられ、その下にも5連のオーダーが走ります。屋根は銅板一文字葺きですが、当初の赤褐色が腐食して今はエメラルドグリーンに変化。ここにもカップ式の装飾照明が全部で8個設置されています。

  

 

 内部は当然のように大幅にリノベーションされて往時の姿は留めていませんが、五階の旧長官室等は展示室として復元されています。エレベーターホールに面する「特別会議室」は貴賓室として使われた大広間で、格天井にシルクの壁紙や細部に凝ったデザインの工芸品が埋め込まれた華やかな空間ですが、よく見ると菊の御門もあるので皇室の方々もお使いになられたのでしょうか?

 

 

 その隣が「旧総務部長室」で、昔は貴賓室の次室でした。その隣が「旧税関長応接室」で、こちらは税関長の付属室だった部屋。どちらも少しシンプルな意匠の空間ですね。その奥が「旧税関長室」となり、こちらは床が寄木造りで、ローズ・チーク・サクラ・ブナの堅木が嵌め込まれた重厚な空間。なんでも終戦直後はGHQに接収されて、マッカーサー元帥も一時期執務に当たった謂れがあるそうです。

 

 



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