旧山田家住宅 (きゅうやまだけじゅうたく) 重要文化財
大阪市北方に広がるなだらかな千里丘陵の服部緑地内に、日本で最初に設営された民家園である日本民家集落博物館があります。高度経済成長の昭和30年代に次々と消失していった伝統的な民家を保存し移築した施設で、その後に続く川崎の日本民家園や飛騨の里の先駆けとなるもの。先行したおかげかその移築した民家は全国的なレベルのもので、後発組が地域性に偏った内容となるのに比べて特筆すべき点であり、またその環境も復元されているので、大都市の近郊でありながら山深い田舎に簡易トリップ出来ます。移築民家は7棟と数多くは無いのですが一つとして同タイプのものは無く、南部曲屋や白川郷の合掌造りに関西の摂丹型と各地方を代表する特徴的なものが移築されており、コンパクトながら内容の濃い施設です。その移築民家群の中で最も特異なものが「信濃秋山の民家」と呼ばれる物件で、正式名は「山田家住宅」。江戸後期の宝暦年間(1751年〜1764年)の建造で、国の重要文化財に指定されています。
外観は曲屋と同じL字型の平面ですが、東北地方の日本海側から新潟にかけて見られる中門造りで、豪雪地帯特有の玄関を前面に出した形式。この山田家の建てられていた信州秋山郷は日本でも有数の豪雪地帯で、平家の落人伝説も残る深山幽谷の地。長野県にありながら道路が新潟県津南町しか通じず、しかもか細い一本道で冬季になると通行止めになることも珍しくなく、緊急事態でニュースになることもあるという辺境もあってか、この中門造りの家が多かったようです。またこの秋山郷は江戸期の頃より餓死・間引き等の貧困に苦しんだ寒村の為に生活レベルも低かったようで、住宅も質素な造りとなり、この山田家も壁が無く茅で被った茅壁となっています。秋山郷ではこの茅壁の民家が昭和30年代まで幾つか見られていたようですが、今ではこの山田家のみが現存するのみです。夏は薄く冬は厚く葺くそうで、住めばそれなりに快適だったようで、特に夏は風通しが良いので高温多湿な環境にはうってつけだったのでは。冬は地獄でしょうけれど・・・。
内部も当然壁は無く、広い土間に柱が並ぶだけの真にプリミティブな造り。しかも床板や天井も無く全てが剥き出しで、建具もありません。特に床はムシロを敷き詰めた「土座」と呼ばれるスタイルで、竪穴式住居の名残がそのまま見られるもの。奥の隅に「ネマ」と呼ばれる寝室があり、ここだけは板壁で囲んだ造りで、藁を重ねてベッドのようにして寝ていた模様。馬屋のような寝室です。また柱も地面に埋めただけの掘立て柱で、このあたりにも古代的な香りが漂います。
土間は入り口側が「ニワ」と呼ばれる台所兼作業場となり、その奥に「チャノマ」「デイ」「ネマ」と並ぶ3間取りの平面で、「チャノマ」には囲炉裏も切られています。この囲炉裏により直に床面を暖めて寒さを凌いだようで、床板を張るよりはダイレクトに熱が伝わるので暖かさが保てるのだとか。「ニワ」にも石の竈があり、これも床自体を暖める効果があるようです。いわゆる「かくれ里」にある為に文明とは隔絶した洗練とは無縁の環境が、このような太古的な住宅がそのまま残された原因でもあり、高度経済成長が始まる昭和30年代まで実際にこの住宅が使われていたということに、現代の住宅設備がわりと新しいものだという証しでもあります。
「日本民家集落博物館」
〒561-0873 大阪府豊中市服部緑地1-2
電話番号 06-6862-3137
開館時間 AM9:30〜PM5:00
休館日 月曜日 12月27日〜1月4日