小泉八雲旧居 (こいずみやくもきゅうきょ)



 小泉八雲と言えば山陰の松江が所縁の場所として広く知られていますが、実際に松江で過ごしていたのは1年と3カ月ほどで、以後熊本・神戸と移り住み、1904年(明治37年)に54歳で急逝するまでの日本滞在14年間の内約8年間は東京で暮らしていました。元々ギリシャ出身ですし、19世紀の欧州による植民地支配下の南洋への憧憬から西インド諸島で数年間生活していたように寒冷地向きの人物ではなく、松江の冬の寒さに閉口していたようです。1889年(明治22年)に旧制五校(現熊本大学)が開校されて英語教師を募集していることを知り希望して、1891年(明治24年)11月に熊本へ転任しています。当時は同年の8月に熊本まで鉄道が開通した頃で、陸軍第六師団が置かれたように九州の中核都市として発展した南国の都会の生活が居心地が良かったのか、1894年(明治27年)10月に神戸へ移るまで約3年間過ごしています。このうち最初の1年間を暮らした家が市中心部の老舗百貨店鶴屋の裏手に保存されており、記念館として公開中。
 ちなみにこの旧居の周辺は歓楽街で、すぐ裏手は五大ソープの一つに掲げられる超高級会員制ソープ「ブルーシャトウ」も構える下通り地区。地方都市は色々な施設が密集しがちですね。

 

 建物は木造平屋建ての小さな住宅建築で、移築前は目の前の建つ鶴屋の東側にあるみずほ銀行あたりに建てられていたそうです。この熊本に着任した際に、五校の敷地内に外人宿舎があったにもかかわらず日本間が無いことから難色を示し、この純和風の家屋を借家として使っていたようで、内部には洋間がまったくありません。松江では城近くの武家屋敷で暮らしていたので、似たような環境を求めたのかこの家も熊本城に程近く、違い棚も付いた床の間のある座敷がお気に召したのでしょう。
 引っ越して早々に神棚も所望したそうで、毎朝出勤前にはポンポンと拍手を打って人力車で学校に赴いていたとか。出雲地方での暮らしの影響でしょうか?

 

 この来客用の座敷から矩折りに庭に面するように書斎が続きます。なんでも夕陽が好きだったようで、この書斎でも西向きに机を置いて執筆活動をしていたようです。普段は和式の生活を愛した八雲も、松江の旧居同様ここでも机は洋式の特注品を愛用。ここで「知られざる日本の面影」が書かれた模様です。
 この家での暮らしは丁度一年間で、1892年(明治25年)11月に熊本城北側の閑静な住宅街である外坪井町に転居しています。

 

 



 「小泉八雲熊本旧居」
   〒860-0801 熊本県熊本市中央区安政町2-6
   電話番号 096-354-7842
   開館時間 AM9:30〜PM4:30
   休館日 月曜日 12月29日〜1月3日