矢掛本陣石井家住宅 (やかげほんじんいしいけじゅうたく) 重要文化財



 倉敷駅から山陽線と分かれ、中国山地から山陰へ抜ける伯備線に乗って最初に到着する駅が清音駅。その清音駅から今度は第三セクターの井原鉄道に乗り、一両編成によるワンマンディーゼルカーに乗って鄙びた農村を縫うように進み、やがて山間に少しばかり開けた小さな宿場町に到着します。ここは矢掛宿という古街道の山陽道18番目の宿場町で、人口が一万五千人の静かな田舎町。駅周辺は何もありませんが、南へ10分程下ると旧街道沿いに妻入りによる白壁の美しい町屋が続く、中々風情ある街並が残されています。山陽道はいわゆる裏街道にあたるので交通の便が悪く、井原鉄道(大赤字)も近年開通したぐらいで沿線は相当に寂れまくっているのですが、かえって開発の波に遭わずにすんだせいか江戸期の街並がよく残り、街並景観が重要視される近頃では逆に利点になっているようで、毎年11月第二日曜日の大名行列には大勢の観光客が訪れて賑わいを見せているようです。その殆どの町屋が今でも住宅・商店として現役で住まわれており、動態保存としても成功しているようです。特にこの矢掛宿が特筆されるのが本陣と脇本陣が両方残されている点で、全国でここ一箇所のみ。しかも双方ともに国の重要文化財の指定を受けており、全国でも10棟しかない重文建築の本陣としては貴重な場所です。宿場町のやや西側に本陣であった石井家住宅が残されていて公開されています。

 

 石井家は本陣として参勤交代に赴く大名や宮様・勅使等の封建時代アッパークラスの宿泊所だったわけですが、その一方で「佐渡屋」の屋号で酒造業を家業とする豪商でした。旧街道沿いにこの矢掛では珍しい平入りの表屋を構えていますが、裏手には大きな酒倉や搾り場に麹室等の造り酒屋としての遺構が沢山残されており、4千uに及ぶ広大な敷地の大半は家業関係で占められています。主屋は江戸後期の18世紀末から19世紀初頭にかけて建造されたものと見られ、木造二階建ての屋根は入母家造りで本瓦葺。街道沿いに間口10間にも及ぶ長大なファサードは、1階に格子窓、2階に虫籠窓を開けた正統的な町屋造りですが、この間口分が実は家業の領域となっており、本陣としての領域はこの隣の御成門の奥に広がる座敷棟となります。

 

 主屋の西側に隣接する本陣座敷は主屋より50年程早く建造されたもので、主屋同様に屋根が入母家造りの本瓦葺による木造平屋建て。御成門の正面に唐破風屋根の式台があり、中へ入ると「帳場」「広間」「三の間」「二の間」「次の間」と順番に座敷が続き、一番奥に「御成の間」が配置されるという、さすが本陣だけあって部屋数が多く広く取られています。各座敷とも床や長押を嵌めて襖絵も描かれており、特に「帳場」には蘇鉄の題材によるものも。

 

  

 上段の間である「御成の間」は公家や大名の宿泊室で、次の間との間に段差を設けて文字通りに格式の高さを示しています。床に違い棚そして付書院を備えた一見すると正統的な書院造りの部屋なのですが、床柱に杉皮付きの絞り丸太を使い、狆潜りにもユニークな形状のものを嵌め、金箔の襖に葡萄と栗鼠を図案とした欄間の透かし彫りと、凝った意匠が散りばめられた数寄屋風の造りともなっており、江戸後期の町人衆が力をつけた時期に建造された建物らしい、ゴージャスな書院座敷となっています。次の間と二の間との欄間には屋久杉の一枚板も嵌められています。ちなみに襖の引き手には菊の御紋と葵の御紋が両方とも掘り込まれており、公武の賓客どちらでもOKのウェルカムバージョン。

 

 

 「御成の間」からは縁側で湯殿と化粧の間と雪隠があり、その周囲は石灯籠や手水の置かれた落着いた雰囲気の中庭となっています。縁側には板戸に絵も描かれており、民家の座敷というよりは御殿のような意匠です。

  

 

 家業と家人の生活空間だった主屋は広い土間を中心に構成されており、正面中央の大戸口から内部に入ると天井の高い通り土間が奥まで続き、その西側に「みせのま」「主人のま」「かってへや」等が並びます。部屋数が非常に多く配置構成も複雑で、1階だけでも13部屋もあり、時には一部の部屋は大名一行の下々の宿泊にも使われたようです。本陣座敷に比べると当然ですが質素な部屋ばかりで、冬場は相当に薄ら寒そうな空間。

 

 この土間は途中で格子戸により区分けされ、表側は商店として奥側は台所を中心とした家人の生活空間として使われていました。特にこの奥側の「かってへや」の2階に使用人の寝室である厨子があり、そこへ上がる隠し階段の踊り場がバルコニーのように土間にせり出しており、まるで舞台のセットのような劇的な空間となって印象深いものがあります。民藝運動で知られるバーナード・リーチも絶賛したことで知られています。背景の白壁と梁・柱の濃い茶とのコントラストも目に鮮やかで美しいものです。
 またこの「主人のま」「かってへや」「台所」と続く箇所は天井を高く吹き抜け、天井には採光用の天窓を開け、自然木を生かしたダイナミックな梁組みを見せており、本陣座敷のノーブルで優雅な空間とはまた違った、民家建築の醍醐味が強く感じられる空間です。

  

 この台所から通り土間を抜けると、夥しい数の土蔵群が行く手に立ちはだかります。内倉・米倉・酒蔵・西倉と並び、またその奥には搾り場。麹室と家業の酒造業の仕事場が続きます。ちなみにこれも全て国の重要文化財指定。

  

 その土蔵群のさらに奥には裏門にあたるとても大きな長屋門があります。この建物は備中西江原の森候から拝領したもので、2階には数奇屋風の座敷が並ぶ森御殿とも呼ばれる座敷長屋。以前はもっと南の川沿いに建てられていたようで、川を眺めながら酒宴なども開いていたとか。道路拡張の為に今の位置に移築されましたが、これだけでもリッチなものです。もちろんこれも国の重要文化財指定。面白いのが門がセミオートマチックになっていることで、分銅の重りにより自動的に閉まるようです。

 

 この石井家から東へ300m程旧街道を進むと脇本陣の高草家があります。こちらは今でも家人の生活空間となっているようで、金曜日と日曜日のみ公開中。本陣よりは小規模ですが天保期に建造された脇本陣で、4つある茶室や大きな丸窓のある仏間など、本陣と違って数寄屋風の凝った意匠が見物。高山の吉島家や野々市の喜多家と並ぶ数奇屋風民家の代表的な建物です。元航空自衛隊の話の面白い管理人さんが楽しく案内してくれます。

 



 「矢掛本陣石井家住宅」
   〒714-1201 岡山県小田郡矢掛町矢掛3079
   電話番号 0866-82-2700
   開館時間 3月〜10月 AM9:00〜PM5:00
          11月〜4月 AM9:00〜PM4:00
   休館日 月曜日