内山邸 (うちやまてい) 登録有形文化財



 富山駅からバスに乗って10分あまり、富山市郊外の宮尾地区に近在の豪農だった内山邸があります。宮尾地区は神通川の河口付近の平坦な水田地帯で、内山家は16世紀にこの神通川の氾濫原野の新田開発にあたったのがその由来。江戸期には十役という代官を兼ねた地主として当地を管轄していましたが、明治期以降の地主制度により大いに繁栄し、現在のような豪邸を構えるようになりました。今は富山県に敷地そっくり寄贈されて、県民文化会館の分館として公開されています。
 敷地は3700坪あまり、西に立派な薬医門を建てて、その門奥100mほどの所に主屋、それに蔵・茶室・炭小屋等が点在する配置構成で、その周りを鬱蒼とした木々が並ぶ広大な屋敷林に覆われています。主屋は大部分が幕末の1868年(慶応4年)に建造され、その後明治中頃に増改築がありました。木造平屋建ての一部二階建てで屋根は瓦葺き、広さは約440坪で正面に式台が付いた格式の高いものです。特徴として庇が深くタタキの広いことで、雪の多い地方特有の構造です。

 

 

 内部は式台の奥に21畳の座敷が二間続いた42畳の大広間で、その隣に15畳と12畳半の表座敷が並びます。表座敷は明治期に改築されており、特に欄間の透かしは桐の絵を彫りこんだもので、お抱えの職人の手によるものとか。

 

 表座敷の奥に書院の間があり、これも明治期に増築されたもの。床の間に違い棚を架け付書院を設けた端正な書院造の小間で、柱には立山杉の緻密な北半分から切り出した物を採用した、選び抜かれた良材で造られた典雅な空間です。隣の控えの間にも高名な絵師の手による杉戸の絵や襖絵が遺されています。

 

 

 書院の間の裏手に茶室があります。この茶室も明治期に増築されたもので、藪内流の宗匠の指導により造られた織部風の意匠。間取りは四畳半本勝手で1畳半の相伴席が付き、持仏堂が設けられています。藪内家らしく窓が多い端正な茶室です。

 

 書院の間の庭側に突き出すように月見台が造られています。屋根つきの不正四辺形の外観で、床は芭蕉の葉を図案化したもの。「翠鳳飜軒」と名付けられた、中国の山水画に描かれるような風雅な建物です。

 

 

 居室部も趣向を凝らした意匠を持ち、特に「桜香の間」と呼ばれる座敷は押入れの絵に琳派調の絵が描かれ、飾りガラスの入った書院窓を設けた典雅な意匠。日常の居間空間とは思えない程のグレードです。
 居室部には二階があり、ここも厳選された良材で設えた座敷なのですが、面白いのは廊下が鶯鳴きで、その奥に隠し部屋として中二階があること。主人の書斎だった模様で、いざというときは階段で裏口に逃げられるようになっています。

  

 豪農の御屋敷にしては土間空間はあまり広くなく、作業部屋としてのハシニワと台所が別になっており、幕末から明治期のかけての時期に地主としてよりも政治家として活躍した当家の特色なのかもしれません。台所の天井は長年の炊事により黒く煤けています。

 

 当家は文学者を幾人か輩出しているせいか文化レベルが高く、茶道にも精通し茶室も全部で3つ。書院の間の茶室以外に庭の一角に、「夜雨廰」「三入庵」と名付けられた茶室があります。「夜雨廰」は元々書斎だった建物を改造したもので書院風の造り。「三入庵」は昭和に入ってから建てられた本格的な茶室で、やはり藪内流によるもの。
 庭園は名木・名石が配されていますが奇をてらわない自然な印象で、どこか穏やかでのんびりとした風情があります。木々の梢からこぼれ落ちる陽光を受けて、杉苔は瑞々しく光輝いています。

 

 



 「内山邸」
   〒930-2211 富山県富山市宮尾903
   電話番号 076-432-4567
   開館時間 AM9:00〜PM4:00
   休館日 毎週火曜日 年末年始