椿の本陣 (つばきのほんじん)



 京都市内から高槻・茨木と辿り、あえて大阪市内へは向かわず西へ箕面・池田・伊丹と抜けて神戸方面へ向かうのが国道171号線。京都から直接神戸へ抜けるこの国道は、そのまま旧街道の西国街道をなぞったもので、大都市の大坂をパスすることから江戸期は大名の参勤交代が多かった街道でした。京を出て最初の宿場がサントリーの蒸留所がある山崎で、その次が芥川(高槻)となりここから東海道線を離れて箕面方面へ進み、万博記念公園の真北3kmの場所に今度は郡山という宿場町が現れます。このあたり茨木市郊外の丘陵地帯で、市中心部から遠く離れた場所のおかげか開発の荒波に遭遇せず宿場町の面影が残されおり、その街並の中心に本陣だった建物が残されています。今でも当主の梶家が住居として生活しており、5名以上グループの予約制で公開されていますが、春秋に10日間程特別公開もされています。
 街道沿いに広い主屋と御成門を構えるこの本陣は、江戸中期の1718年(享保3年)に以前の建物が消失した後に1721年に再建されたもので、敷地内には主屋・御成門・米蔵・茶室等が建ち並んでおり、国の史跡に指定されています。主屋は屋根が切妻造りの桟瓦葺による木造二階建てで、御成門の正面奥に接客用の平屋の座敷部と、街道沿いに低い二階建ての居室部が連なる構成。居室部の2階には虫籠窓が開いています。

 

 

 御成門は公家や大名等の賓客が宿泊する際にだけ開かれ、その正面には唐破風屋根の大玄関が式台として迎えます。この御成門の内側に五色の美しい花を咲かせる椿の名木があり、「椿の本陣」の名としても流布させましたが、今は代替わりして二代目が植わっとります。また式台内部は床の間の大きな鶴の障壁画がまず最初に目に飛び込んできて、他の本陣では見られないゴージャスぶり。

 

 

 この座敷部は8部屋が並び、その中で一番奥の北西隅が殿様の座る上段の間。式台同様にゴージャスな襖絵が目立つ、文字通り框により段が上がった座敷ですが、なんでも縁の下からの槍等の襲撃を避けるために畳を二重に敷いて寝ていたとか。長押や床に違い棚も無く格式高い書院造りとは異なるもので、欄間の意匠もやや数寄屋風の趣が感じられます。忠臣蔵で御馴染みの浅野内匠頭も御贔屓筋だったそうで、最後の旅となった1700年(元禄13年)5月にここに宿泊し江戸へ旅立ったようです。

 

 一角には風呂も残されており、風呂桶は全く無く中央に細い排水溝のある板張りの部屋となります。参勤交代では風呂桶も一緒に持参するとか。また帳場には緊急時の為に火縄銃も配備されていました。

 

 居室部は中央に広い土間を配し、板の間の台所や作業場等の質素な設えの部屋が並びます。土間にはカマヤも復元されており、木太い梁や柱で構築した高く吹き抜けた天井も見られ、農家の土間に近い陣容です。それもそのはず明治期以降は本陣廃止後に農耕経営に力を入れたそうで、地主として当地に居住したことがこのように本陣の建物が残った大きな要因だったのでしょう。

 

 

 敷地内には米蔵・中蔵・納屋等が並び、豪農だった名残も見られます。また一角には茶室もあり、これはこの本陣のやはり御贔屓筋だった丸亀藩の京極家から拝領されたものです。

 



 「郡山宿本陣」
   〒567-0055  大阪府茨木市宿川原町3-10
   電話番号 072-643-4622
   開館時間 要予約 5名以上 AM10:00〜PM4:00
   休館日 月・火 国民の祝日 12月20日〜1月10日