等持院清漣亭 (とうじいんしょうれんてい)



 京都洛西にお饅頭のようにぽっこりと盛り上がった衣笠山は、その麓に名刹・古刹が多く点在する地域で、金閣寺や龍安寺に仁和寺と、京都観光の定番スポットが密集しています。いずれの寺も観光客が数多く来参する少々喧しい場所ですが、これらのメジャーな寺に比べるとややマイナーな等持院は、何時でも適当に疎らに拝観客がいるだけなので、わりとゆったりと過ごせる貴重な場所です。秋の行楽シーズンの昼日中でも数えられるほどの客しかおらず、書院に座って抹茶を啜りながら、静かに一時を過ごせたりします。
 等持院は1341年(暦応4年)に足利尊氏が夢想疎石を招いて創建した臨済宗の寺で、以後足利家の菩提寺となり広大な敷地を誇る大寺として繁栄しましたが、幾度かの火災と明治以後の尊氏逆臣の説から不人気となり荒廃し、今は敷地の大半を失い建物も方丈や庫裏・書院等を残すのみ。夢想疎石は庭造りの名手として知られていますが、この等持院もその由来を持つ庭園がありますが江戸期に大きく改変されたようで、往時の面影は無いようです。ただこの庭園を見下ろす小高い築山の上に、清漣亭と名付けられた小さな茶室が残されています。

 

 

 清漣亭は室町幕府8代将軍の足利義政好みの謂れを持つ茶室なのですが、部材は江戸末期のものと見られていて、義政の頃にまで遡るのは困難。外観は茅葺の入母家造りで、大きさは桁行2間に奥行1間の小さな建物で、東南に障子を嵌めて小縁を廻らせています。

 

 内部は長4畳の広さなのですが構成が特殊で、東北の1畳が上段として框を廻らせ、その西側に踏込床を付け、さらにその裏側に台目畳を敷き向炉を切る、他では見られない特異なもの。上段の北側には中敷居窓が開けられており、これは裏手の衣笠山の眺望を楽しむ為に開けられたそうなのですが、今は立命館大学理工学部の校舎が遮って無理です。床には曲がりの強い赤松皮付きの柱と下地窓の開けられた袖壁が付き、炉が切られた台目畳の北側には色紙窓が開けられています。天井は上段が網代で下段は細繁桟、点前畳は茅の割竹押え竹竿縁の落天井。この茶室の最大の特徴はなんといってもこの上段の構えで、客人が亭主と向き合うのではなく、身分の高い貴人を迎えて庭園や裏手の衣笠山の眺めを楽しむ為に建造された東屋、又は見晴台のような建物。身分階級を明確化した茶室と言えるでしょう。貴族階級の茶室は仁和寺の飛濤亭や水無瀬神宮の燈心亭と同様に、開放的な田園趣味がお好きなようです。

 

 この清漣亭の西側に水屋に続いて切妻屋根の4畳半の小間があります。これは後に増築されたもので、清漣亭とは異なるよくあるパターンの茶室。

 

 清漣亭の東と南に踞蹲が3箇所ほど置かれていて、このうち東に設置された踞蹲は温公形の本歌の謂れがあります。東南には等持院形と呼ばれる燈籠も置かれ、露地の景観を引き締めています。

  



 「等持院」
   〒603-8346 京都府京都市北区等持院北町63
   電話番号 075-461-5786
   拝観時間 AM8:00〜PM5:00
   拝観休止日 無休 12月29日〜1月3日はPM2:00迄