東寺大師堂 (とうじたいしどう) 国宝



 弘法大師こと空海が、高野山を開創して自然との融合を図る真言密教の瞑想道場を開いた後に、京都市内の東寺を天皇から下賜されて、朝廷や民衆に密教教義を修法する根本霊場を開きました。高野山には厳しい修験場の顔が見えますが、一方の東寺(教王護国寺)には大衆的な面が強くなり、庶民の信仰が厚く今でも近在の人たちが「弘法さん」と呼んで親しまれているお寺です。
 境内には京都のランドマーク的な存在の五重塔や、大仏様で組まれた豪壮な金堂などの桃山期の巨大建造物が立ち並ぶ壮大な伽藍を構成されており、観光客や修学旅行の学生達で始終大賑わいを見せていますが、西北隅に塀で囲われた西院周辺は何時でもひっそりとした落着いた一郭を成しています。この西院は大師堂又は御影堂もと呼ばれており、空海の住房であったとの説もある建物。金堂や講堂や五重塔といった雄大な建造物と違って、あくまでも繊細で優美な佇まいを見せています。国宝に指定されています。

 

 建造されたのは南北朝の頃の1380年(康暦2年)のこと。旧堂が前年に焼失してしまい、翌年から順次再建が進められて1391年(明徳2年)に今に残る姿となったようです。
 この大師堂は複雑な構成を持っていて、元々は空海の住房と言われる後堂に礼堂や中門が後から付加されて一つの建物として出来ており、その為に各方向からの外観は全て異なり屋根も変化に富むのですが、不思議なことに空から見た場合は正方形となるユニークな建物です。西北隅には中門廊が突出しています。
 屋根は総檜皮葺で、北側の前堂(礼堂)と南側の後堂がともに入母屋造りとなり、後堂に縋破風造りの庇が北西に取り付き、切妻屋根の中門が前堂西側に付く構成。大きさは前堂が桁行4間奥行5間、後堂が桁行7間奥行4間、中門が桁行2間奥行1間で、全体としては桁行7間奥行9間となります。

 

 

 丈が低く傾斜の緩やかな檜皮葺の屋根や、蔀戸や引違格子戸を多用した壁面、さらには二軒の疎垂木に舟肘木の見られる軒下に、細い円柱や組高欄を付けた縁側を巡らすなど、平安期の王朝風の寝殿造りによる優雅な意匠で組まれており、仏堂と言うよりは高貴なお方々の住宅建築の趣です。

 

  

  

 堂内には空海が念持仏としていた不動明王(秘仏・国宝)を安置しており、さらに弘法大師坐像(重文)も祀られていることから、近在の人々を中心に参詣が多いようです。特に近在の人は朝晩の散歩の途中でも、この大師堂の前では必ず帽子を取り深々と頭をたれて、敬意の念を欠かしません。そんな民衆信仰の強さは連綿と続く長年の灯明によって、黒く煤けた柱や壁にも物語られています。





 「東寺大師堂」
   〒601-8473 京都府京都市南区九条町1
   電話番号 075-691-3325
   FAX番号 075-662-0250
   拝観時間 日中随時