東岳寺 (とうがくじ)



 足立区北方、竹ノ塚駅近くの伊興町はお寺の密集地帯、規模が小さいながらも歴史の古い個性豊かなお寺が立ち並んでいます。三遊亭円楽(星の王子様)師匠の実家でなんと生前にお墓も造ってしまったという粋な図らいの易行院、昭和の爆笑王林家三平師匠のお墓がある常福寺、怪談牡丹燈籠の舞台になった法受寺など何故か落語絡みが多いのですが、元々下町浅草近辺にあった寺が関東大震災によって被災してこの地に転居したもの。落語以外でも花川戸助六&揚巻の歌舞伎方面や、桂昌院の時代劇方面も取り揃えております。この東岳寺には歌川(安藤)広重のお墓があります。

 

 尾竹橋通り沿いに面したこじんまりとした境内は中々に緑陰が濃く、苔むした庭に石橋やら灯篭が配されていて茶室の路地のようです。門を入って左手奥に歌川広重のお墓と石碑が建っています。
 広重は1797年(寛政九年)江戸八重洲の生まれ、家業の火消同心の仕事の傍らで絵を学び27歳で専業、36歳に上洛した際の東海道往復の旅が翌年から始まる代表作「東海道五十三次」になり、その後これでもかと次々と名所図絵シリーズを職人肌で連打し、晩年の60歳で名作「名所江戸百景」を刊行し62歳で当時大流行のコレラにより没しました。
 広重の浮世絵はその大胆なフォルム、構成力、優れた写実性、それに豊かなイマジネーションから発せられる造形力等が掲げられますが、一般庶民の嗜好性もガッチリ捕らえた職人としてのアンテナも兼ね備えていました。当時は今と違って気軽に旅など出来ない時代、全国各所の耳にはするけどおいそれとは中々お目にはかかれない風景を、優れた描写により見る物に擬似感覚を味わせてくれました。特に「東海道五十三次」「木曽街道六十九次」などは実際に旅を続けていく連続性があるので、擬似感覚はより強まったことでしょう。まあ今でいうとババア向けテレビの温泉グルメ番組みたいなもんでしょうね。
 海外の巨匠たち、特に印象派には多大な影響を与え、モネはジヴェールニーの邸宅に太鼓橋をこさえて悦に入ったようです。でも没したのが安政5年ということはもう少しで明治、文明開化の時代にまでもし生きていたとしたらどのような絵を残したのでしょうか?

 

 

 この広重のお墓の隣には広重に魅了され海外に紹介したジョン・スチュアート・ハッパー(米国人)のお墓があります。 46年間日本に移り住み、昭和11年12月に東京で没しました。さらに広重のお墓の対面には元宝塚女優だった香月弘美に捧げる柳原白蓮の歌碑があります。この女優は宝塚旧大劇場で昭和33年に上演された花組公演に出演中に、セリのシャフトに衣装を巻き込れ、セリと舞台との間に身体を挟まれて、胴体切断によりお亡くなりになりました。歌人柳原白蓮が追悼の歌を捧げてここに碑が建てられています。「目になみだこよひの月のなきものを 香ふさくらかうすあかりせり」

 

 境内の奥には池が作られていて、淵には東屋があって散歩の途中の休憩にはもってこいです。

 



 「東岳寺」
   〒121-0821 東京都足立区伊興町前沼1211