東大寺鐘楼 (とうだいじしょうろう) 国宝



 大勢の観光客とその観光客の呉れる餌目当ての鹿で始終喧しい南大門から大仏殿へと至る正面の参道を避けると、不思議と東大寺の山内は静かな落着いた風景が広がっていたりします。京都と違って大規模な建造物が距離を置いて配され、その周りを森や芝生が覆うせいか、どこか大陸的でおおらかなゆったりとした風景が作り出されているのがその原因なのでしょう。特に大仏殿の裏手から二月堂へ向かうあたりは寂寞として中々風情があります。大仏殿の東回廊の途切れるあたりから東へ向かって広い石段があり、深い木立に覆われたこの石段をトントン登りつめると、開けた丘の天辺に巨大な鐘楼が待ち構えています。大仏殿からここに至る道程もやはり人影は疎ら。

 

 この鐘楼、重さ約26トンもの天平時代の梵鐘(国宝)を吊る為に建造されたもので、現在のは鎌倉時代の承元年間(1207年〜1210年)に再建された二代目。1間四方の一重による建物で、屋根が入母屋造りの本瓦葺。国宝に指定されています。重い梵鐘を吊る為に柱や梁などの部材が太い点に特徴があり、四隅の太い円柱と梁を貫でガッシリと組み、その梁に東西に2本の大虹梁を載せ、さらにその大虹梁にもう一段南北に大虹梁を載せてその大虹梁に梵鐘を吊るという、構造全体で荷重を支えるシステム。この時期は大陸から大仏様(天竺様)と呼ばれる巨大建造物向けの構造様式が輸入された頃で、東大寺の勧進役だった重源上人がその推進役だったことから、この鐘楼にも採用されたのでしょう。どの部材も著しく木太いものが使われ、その風貌は太古的で土着的であり、パワフルかつマッチョな逞しい構成美を見せています。

 

 

 この鐘楼のもう一つの大きな特徴は、柱上の組物が詰組と呼ばれる木細く複雑な構造のシステムが採用されている点で、禅宗様式の建造物に多く見られるもの。詰組とは軒を支える為に斗組を柱上以外にも並べた技法で、装飾性も持たせる為に軒下は賑やかになり、華やかで繊細な面を伴っているあたりがその特徴。この鐘楼も禅寺の様な反りの強い屋根を、細工の細かい複雑な肘木で軒先を持ち上げています。柱上は下のダイナミックな大仏様と違い後の禅宗様に近い構成で、二つの様式が上下ドッキングしたような建物です。これは重源の後を次いで管主になった栄西の存在が大きく影響していて、栄西は宋に留学して日本に禅を始めて伝えた僧であり、後に京都の建仁寺を開き臨済宗を興したことから、先代の重源とは異なる禅宗様式の技法を大陸から持ち帰ったのがその要因。この鐘楼の構成が大仏様に禅宗様が採用されたものなのか、またはこの様式自体が大仏様・禅宗様に続く第三の様式なのかは謎です。この様式で建造されたものは他に無く、極めて貴重で比類なき優れた建造物です。

 

 

 そういえばその昔この国宝の鐘楼に、許可も取らずに勝手に釘を打った馬鹿者がおりました。某国営放送の年末恒例番組のスタッフの仕業だそうで、他人の物に平気で釘を打てる、ましてや国宝建造物を損傷させるという常識を欠いた幼稚な人間が、メディア業界にはいるということです。この鐘楼の奥を進むと、お水取りで有名な懸造りの二月堂と、天平仏の宝庫で優美な外観の三月堂があります。ともに国宝。

 



 「東大寺」
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