旧谷山家住宅 (きゅうたにやまけじゅうたく) 重要文化財



 和歌山市郊外の里山に広がる紀伊風土記の丘は、国特別史跡の岩橋千塚古墳群を保存公開指している考古学の博物館なのですが、戦後の高度経済成長期に開設した時期(昭和46年設立)もあってかフォークロアブームに乗って民俗学の蒐集も合わせて行われたようで、県内の古民家を4件ばかり移築しています。(昭和40年代に民家村開園が多い)
 そのうち町家の2件は資料館の並びにあり、手前の旧柳川家住宅の奥に移築されたのが旧谷山家住宅。商家の旧柳川家に対してこちらは漁家で、現在は海南市に併合された旧下津町にあった建物です。

 

 この谷山家のあった旧下津町の塩津浜地区は中世の頃から天然の良港として知られており、和歌浦湾の静かな入り江に沿って傾斜地特有の段々状の集落が見られる南国の漁村でした。谷山家は代々漁業と海運業を兼ねていたそうで、現在の建物は江戸中期の1749年(寛延2年)に建てられています。一見すると1棟の建物に見えますが、主屋の背後に突出するように倉が繋がって一体化しており、実は倉のほうが古く建てられています。
 外観は主屋の屋根が切妻造りの本瓦葺で、桁行12m奥行8.9m。土蔵造りの一部二階建て。倉も屋根が切妻造りの本瓦葺で、桁行4.8m奥行4m。傾斜地の民家が密集する制約の多い土地の為に平面に歪みがあり、また隣家との関係から庇は浅く、海沿いということで塩対策から土蔵造りとなり窓が小さく少なくなるなどとても閉鎖的。おそらくこういった外観の町家が込み入って浜辺に建て込んでいたのでしょうね。

 

 内部も主屋の大半は土間となり、広い「かって」「にわ」「東くら」が並びます。いずれも天井板は無く吹き抜けで、屋根裏が丸見え状態。「東くら」はそのまま倉の板敷きによる「西くら」と合体しており、建物の半分が倉庫となっています。「東くら」「西くら」は漁猟の道具が収納され、「にわ」は作業場、「かって」は炊事場で移築前には大きな竈が並んでいたようで、換気用に通気孔が屋根近くに開いています。(倉には無い)
 大戸口が狭く閉鎖的な為に室内は本当に薄暗く、機能性重視で装飾性も希薄な為に、同じ漁業に因む北海道の番屋のような風情です。

  

  

 このように建物の大部分が土間空間ですが、居室部としては「にわ」の隣に四畳半の「だいどころ」、その奥に六畳の「ざしき」が並び、二階に納戸代わりとして七畳半の「ざしき」が置かれます。一階の「ざしき」の窓の向こうには海が広がっていたようで、ここで海の状況をチェックしながら生業に勤しんでいたのでしょう。厳しい生活条件の中でサバイバルする為に、生業以外のものはバッサリ切り落としたコンパクトで無駄の無いプリミティブな住宅建築が出来たようです。主屋・倉ともに国の重要文化財指定。

 



 「和歌山県立紀伊風土記の丘 旧谷山家住宅」
   〒640-8301 和歌山県和歌山市岩橋1411
   電話番号 073-471-6123
   開館時間 AM9:00〜PM4:30
   休館日 月曜日 12月29日〜1月3日