瀧尾神社 (たきおじんじゃ) 京都市指定文化財



 東福寺駅を降りた場合、大抵の観光客は駅前を南北に走る伏見街道を南にとって、東福寺やら泉涌寺の方へと向かいます。北へ向かっても何かあるわけでもなく、三十三間堂には遠すぎるし、東本願寺の大谷学園があるくらいで、地元民向けの商店街がただ延々と続くのみです。
 その伏見街道沿いの商店街が途切れるあたりにちょいとばかり開けた空間があり、広場のような一角に鳥居を並べた神社があります。瀧尾神社というこじんまりとしたお社で、地元民の盆踊り会場のような風情を漂わせていたりしますが、実はとてもユニークな物件を懐くちょいとばかり風変わりな神社でもあったりします。

 

 この瀧尾神社の創建は定かでなく、中世の頃には洛東の聾谷という場所にあったようなのですが、桃山期の秀吉による方広寺大仏殿建造に関連して当地に移ってきたとか。京都市中に多い謎めいた寺社なのかもしれません。伏見の藤森神社の所属で、御旅所(神輿の中継地)でもあるようですから、盆踊り会場のように見えてしまうのは、あながち間違いではないのかもしれませんね。
 今に見る社殿は江戸後期に大丸(現百貨店)経営の豪商であった下村家から寄進されたもので、1839年(天保10年)から翌年にかけて建造されたものです。境内奥まった位置に本殿を置き、その前方南側に切妻屋根の幣殿を繋げ、さらにその前方に唐破風屋根の拝所を付け、幣殿の左右から翼のように入母屋造りの回廊を伸ばした複合建築で、いわゆる”御霊造(ごりょうづくり)”と呼ばれる建築様式で組まれています。この御霊造は藤森神社や下御霊神社にも見られる京都市内に点在する特異な神社建築の一つで、様々なタイプの屋根が幾層にも交錯させて複雑に構成される外観に大きな特徴があります。

 

 その外観だけではなくこの社殿をさらに特異なものとしているのは、過剰とも思えるその彫刻の多さ。幣殿・拝所・回廊のありとあらゆる箇所に、これでもかとリアルな夥しい数の彫刻で埋め尽くされており、比較的シンプルな寺社の多い京都市内では異色の存在です。蟇股や懸魚はもはや原型を留めておらず、まるでパリのノートルダム大聖堂のように怪物や魔物達が参拝客を睥睨しています。
 江戸中期以降の寺社建築は衰退する大名達に変わって力を付けてきた町衆達の援助を受けて装飾性が非常に強くなり、ましたや江戸末期になると彫刻大工の技術がピークに達した頃ですから、その腕を思う存分に奮って組み上げられたのでしょう。浮世絵や歌舞伎と同様に町人向けの娯楽的な要素が発揮されている建物です。

 

 

 

 この幣殿・拝所・回廊に比べて奥の本殿は非常にシンプルな造りで、彫刻物が殆どありません。檜皮葺屋根の一間社流造による小規模の標準的な社殿で、他の社殿群とはえらい落差です。この本殿のみ鞍馬に近い貴船神社奥院旧殿を移築したとかで、後からこの周囲にド派手な社殿群を並べたというのが実情のようです。

 

 もふう一つユニークな物件として、拝所の前方には拝殿があり、吹き放しの舞台のような建物ですが、内部の天井には大きな龍の彫刻が取り付けられています。”瀧尾”という名に由来した彫刻なのでしょうが、長さ8mにも及ぶ木彫りの龍が身をくねらせて睨みを利かせており、出来た当時は「怖くて眠れない」「夜な夜な川へ水を飲みに行っている」と都市伝説が流布した為に、下に網を張ったというエピソードもあったりします。やはり娯楽的な要因が強い物件なのでしょうね。
 これらの本殿・幣殿・拝所・回廊・拝殿はそれぞれ京都指定有形文化財。

 

 



 「瀧尾神社」
   〒京都府京都市東山区本町11丁目718
   電話番号 075-561-2551
   境内自由