相国寺 (しょうこくじ) 重要文化財



 室町期に制定された臨済宗の五山十刹制度において、京都五山で第二位を占める相国寺は、他の五山メンバーである南禅寺・天龍寺・建仁寺・東福寺といったメジャーで観光客がウジャウジャ来ちゃう寺院と違い、知名度が今一つのせいか春秋の公開時でもわりと閑散していて、京都市中にありながら嘘の様に静寂が保たれている場所です。京都御所の北隣に位置することからも判断されるように本当に格式は高く、特に足利将軍家との関係が強い寺でした。「花の御所」と呼ばれた室町幕府の東側に造営されており、禅宗寺院の人事権を握る僧録職も兼ねたいわば禅宗の中枢的な存在で、現在でも金閣寺や銀閣寺といった超メジャー寺院もこの相国寺の管理下に置かれています。1382年(永徳2年)に3代将軍足利義満により創建され伽藍が整いましたが、京都市中を焼き尽くした応仁の乱により当然の如く灰に帰し、桃山期に豊臣秀頼の寄進により再興したものの、その後の「天明の大火」(1788年)によりまたもや消失してしまい、さすごにその頃になると幕府の財力も衰えたのか伽藍全ては復元されず今に到ります。京都市中にあるので戦火や大火による被害をもろに被ってしまい、方丈や庫裏は再興されましたが仏殿や三門は復元されず、礎石の跡だけが叢に無残に晒されています。

 

 山内は広大な面識を誇り、敷地は10万坪余り。御所側の南から勅使門・三門・仏殿・法堂(はっとう)・方丈が直列に配置された禅宗の大伽藍が広がりますが、このうち天明の大火を免れたのは勅使門と法堂のみ。特に法堂は手前の三門と仏殿が失われているせいもあってか赤松の木立の中に悠然とその姿を露にしており、重量感や厳粛性が強く感じられて中々迫力があります。建立されたのが1605年(慶長10年)と桃山期にあたることもあって、この時期に多く見られる巨大復興建築の一つですが、この法堂と呼ばれる禅宗独特の仏堂としては最大のものであり、最古のものでもあります。国重要文化財指定。

 

 法堂は禅宗における講堂のことで、教義や禅問答の勤行をする仏堂。禅宗では仏堂としてこの法堂と仏殿を両方建てることが多く、仏殿には本尊を奉って神聖な場とし、法堂はそれに次ぐ重要な空間として機能させており、特に多人数の僧侶を一同にすることがその役目にある為に仏殿に比べて法堂はより大型化する事が多く見られ、京都市内でも両方残る妙心寺や大徳寺でも同様に法堂が大型化しています。五山の寺院はよく罹災する為にか江戸期以前に建造された仏堂はここと建仁寺の法堂(江戸中期建造)しかなく、特に五山の仏堂としても最古のもので、中世に隆盛を極めた五山の権勢を窺い知る唯一の遺構です。

 

 大きさは桁行5間奥行4間で、メートルでは28.72mX22.80mに高さが22m。屋根が入母屋造りの本瓦葺で、屋根の下に庇の様に裳階(もこし)を付けた、禅宗様式に法った意匠。屋根の端部の反りやその裏における扇垂木と詰組、さらに桟唐戸に花頭窓等典型的な禅宗様による仏堂なのですが、中世の禅宗様の仏堂は円覚寺舎利殿の様に比較的コンパクトで華奢で繊細な印象なのに対して、この法堂は部材が木太く強固に組まれており、中世仏堂とは真逆な骨太で重厚な印象を受けます。参考に中世禅宗様式仏堂で最大の広島の不動院金堂も15mX16.8mしかないので、この法堂のスケールの大きさが判るというもの。内部では中世の禅宗様が屋根裏をそのまま見せていたのに対して、天井板を張って構造体を隠しており、このあたりも近世的な手法なのでしょう。またその上に巨大な八方睨みの龍図を描くこともわりと多く見られ(妙心寺・建仁寺)、ここは鳴き龍とかでポンと手を叩くと中々良い残響音。ここは仏殿が再建されなかったことから本堂として仏殿の役目も兼ねており、中央には運慶作の本尊である釈迦如来坐像も安置されていて、その内部の大空間は荘重性も強い比類なきものです。

  

 法堂のすぐ真北は方丈となり、東に連なって庫裏があります。1807年(文化4年)建造の天明の大火以降に再建された建物群で、方丈・庫裏としては五山寺院の中で唯一の江戸建築となり、京都府の指定文化財となっています。方丈の大きさは桁行25m奥行16m、屋根が入母屋造りの桟瓦葺。典型的な六間取りの平面構成なのですが、総畳数は168畳もあって大型化しており、中央の仏間を省略して原在中筆の障壁画・襖絵により装飾されているあたりは、五山二位の格式の高さを示すものなのでしょう。南側の表方丈には勅使門もあり、やんごとなき御歴々方もここで歓待されたのかもしれません。

 

 表方丈側は儀式用に白砂が目に眩しい庭園ですが、裏方丈側は対照的に深い空堀で流水を表現した枯山水の手法で、なによりも瑞々しい苔と木立が目に優しい造り。拝観者が少ないおかげで鳥の囀り以外は風の音しか聞こえないという、縁側でしばし静かな一時が過ごせます。京都市名勝指定。

 

 法堂の東側には開山塔があり、開山の夢窓国師の木像が安置されています。規模の大きな仏堂で、祀堂・相の間・昭堂の3つの建物が一体化した複合建築となり、桃園天皇の皇后である恭礼門院の黒御殿及び公卿之間の旧材を利用しています。一番北側の祀堂に夢窓国師像が置かれ、相の間と昭堂が中心線を揃えて左右対称に並ぶ構成で、神社建築の権現造りに似ています。おそらく方丈同様に1807年(文化4年)に建造されたことから、規模の大きな宗教建築に有利なこの様式が導入されたのかもしれません。
 南側には「龍渕水の庭」と呼ばれる石庭が広がりますが、かつては流水の庭だったとか。

 

 

 方丈の西側にあるのが浴室。1596年(慶長初年)に建造された法堂同様に天明の大火を免れた建物で市中最古の遺構となり、京都府の指定文化財を受けています。湯船は無くサウナとかけ湯による入浴システムですが、軸部以外は近年復元されたもの。

 

 

 また開山塔・鐘楼・経蔵・弁天社・勅使門・総門等が広い山内に点在しており、いずれも京都府の指定文化財。春秋の公開時は法堂・方丈・浴室の3ヶ所のみですが、静かな境内を歩くだけでも禅寺らしい雰囲気は味わえます。庫裏の隣に古美術のコレクションとしては屈指で施設としても素晴らしい承天閣美術館もあり、内部公開の時期に合わせて訪れるのがお薦め。

 



 「相国寺」
   〒602-0033 京都府京都市上京区今出川通烏丸東入
   電話番号 075-231-0301
   拝観時間 境内自由
          法堂・方丈・浴室の内部公開 毎年3月下旬〜6月上旬 9月下旬〜12月上旬
          AM10:00〜PM4:00