成福寺 (しょうふくじ)


 映画会社松竹が蒲田から大船に撮影所を移転したのは昭和11年(1936年)のこと、以来‘大船調‘と呼ばれる庶民生活に優しいまなざしを注ぐ、ハートウォーミングなホームドラマを数多く作り続けました。島津保次郎・五所平之助・清水宏・小津安二郎・渋谷実・木下恵介・森崎東・山田洋次といった幾多の巨匠・名匠たちが良質な作品を世に送り出し、田中絹代・上原謙・佐分利信・佐野周二・高峰秀子・佐田啓二・岸恵子・渥美清・岩下志麻といったスター達が人気を博しスクリーンで活躍しました。そんな歴史或る名門の撮影所も波寄せる映画産業の斜陽化には逆らえず、平成11年(1999年)には売却閉鎖され、現在はイトーヨーカドーと鎌倉芸術館とに姿を変えています。
この撮影所で歴代の名監督に愛され続けた名バイプレーヤー笠智衆のお墓が、撮影所に程近い成福寺にあります。横須賀線の大船・北鎌倉間の線路際にあるので、車窓から茅葺の山門を目にした方もあるのではないのでしょうか。

 

 笠智衆は明治37年(1904年)5月13日熊本県玉水町生まれ、実家が寺であることから仏教系の東洋大学に進学するも俳優を志し、松竹の俳優研究所第一期生に合格し入所しますが、父が急死した事から帰郷し実家の住職を継ぎました。がやはり映画の道を諦めきれず再び松竹に戻り、以来10年以上にわたって大部屋でひたすら下積みの仕事を黙々とこなしていきました。昭和10年(1935年)の小津安二郎監督の「大学よいとこ」に出演した縁から、それ以降小津監督の作品にはなくてはならない存在になり、「一人息子」「父ありき」「晩春」「麦秋」「東京物語」「秋刀魚の味」等の名作に相次いで中心的な役回りを演じ、国際的にも高い評価を得ました。小津作品以外でも、黒沢明「赤ひげ」「夢」木下恵介「カルメン故郷に帰る」「二十四の瞳」・稲垣浩「無法松の一生」などの名作傑作にも出演、晩年にかけては「男はつらいよ」シリーズの御前様の役でも広く親しまれました。平成5年(1993年)3月16日死去。享年88歳。
 笠智衆のあの飄然たるパーソナリティは、宗教者で苦労人だったことからか、どこか苦味が入り混じった諦観と慈愛とが巧妙にブレンドされた、凡百の俳優には得難いやさしさがありました。今で言う「癒し」とでも表現される人柄は、撮影所のどの人達からも愛されていたようです。風貌が小津監督に似ているので、監督自らの自己投影も反映して、特に「晩春」「東京物語」での素晴らしい名演に生きづいています。
 成福寺は鎌倉で唯一の浄土真宗のお寺なので、真宗の僧侶だった笠智衆のお墓もここにあります。そういえば「晩春」のロケ地もこの寺の近所で行われ、冒頭のお茶会シーンに使われた好々亭や北鎌倉駅も程近くにあります。

 



 「成福寺」
   〒247-0055 神奈川県鎌倉市小袋谷2-13-3
   電話番号 0467-46-3020