滄浪泉園 (そうろうせんえん)



 国木田独歩がプラプラ散歩し、下村湖人が青少年の育成に努め、上林暁が発狂した妻を看取り、大岡昇平が人妻の火遊びの話を書いた舞台が、東京多摩地区の小金井市一帯。関東ローム層特有の黒土がプンプンに漂い、狸とムジナが跳梁跋扈する雑木林が広がり、市内あちらこちらに湧水や小川が流れる長閑な環境が文学者や芸術家の琴線にでも触れるのか、作品の題材とすることが多かったようですね。
 そんな緑豊かなカントリー臭さがお大尽達にも好評だった模様で、田園趣味のアーバンライフを楽しむ為にか別荘地ともなっており、お隣の国分寺駅真ん前の三菱財閥岩崎家の御屋敷や、市内貫井町にある大正時代の実業家の別荘である三楽荘なんてのもあったりします。武蔵小金井駅近くの新小金井街道そばの滄浪泉園(そうろうせんえん)も戦前の実業家の別荘跡で、建物はありませんが庭園はそのまま残されています。

 

 ここは明治・大正期に三井銀行等の役員や外交官に衆議院議員も歴任した波多野承五郎氏の別荘があった場所で、その後昭和期に人手に渡り、さらにマンション建設の話が勃発して地元住民の反対運動なんかもあってすったもんだの末に、1977年(昭和52年)に市が用地買収して整備し公開している庭園です。
 当初は33000u(一万坪)もある広大な敷地だったようですが、現在は宅地化の波に押されて三分の一程の広さの12000u。園内は三部構成になっており、入口である長屋門と、緩やかなスロープの石畳を進むと広がるかつての建物跡の芝地、そしてその下にひっそりと紺碧の清水を湛える池と、傾斜地を上手く活かしたデザインで、その周囲を鬱蒼とした森で包みこんでいます。
 建物跡の芝地の一角には水琴窟もあり。

  

 特に一番下にある池は、高い木立によって昼なおほの暗く、一種独特の浪漫主義的な不思議な神秘性を醸し出しており、まるで深山幽谷の風情。ここは本当に東京か?と錯覚を感じるほど。
 園内の中程を国分寺崖線が走っており、武蔵野台地特有の”はけ”をそのまま取り込んだ構成で、その景観の変化をそのまま見せるのに主眼点が置かれているのでしょう。奇をてらう目障りな人工物(石組や刈込)はなるべく排除し、夾雑物の無い無垢な自然の美が息づいているようです。友人だった犬養毅が当地を訪れて、「手や足を洗い、口を注ぎ、俗塵に汚れた心を洗い清める、清々と豊かな水の湧き出る泉のある庭」と評して滄浪泉園と命名したのも頷けるもの。今でも湧水口の”はけ”が二ヶ所あり、こんこんと地下水が池に注ぎ込まれて行きます。

 

  

 池の周囲を廻る園路には、地蔵尊・井筒・馬頭観音が路傍に点在しており、かつての武蔵野の風景を再現させて侘びた佇まいを見せています。当主はこの深閑とした森を中を逍遥して、日頃の激務を癒していいたのでしょうか?

  

  



 「滄浪泉園」
   〒184-0014 東京都小金井市貫井南町3-2-28
   電話番号 042-385-2644
   開園時間 AM9:00〜PM5:00
   休園日 火曜日 12月28日〜1月4日