篠原家住宅 (しのはらけじゅうたく) 重要文化財



 JR宇都宮駅は東北新幹線も停まる栃木県内最大規模の駅ですから、当然駅の周囲はビル・ホテル・商業施設が林立し、餃子店やらパチンコやら牛丼チェーンが軒を並べる、ゴチャゴチャした目に煩い風景が広がるのは当たり前。そんな県庁所在地にごく普通に見られる近代的な街並みの中で、駅西口の一角に黒々とした土蔵造りの建物が、重量感溢れる姿で大通り沿いに君臨しています。周囲からは思いっきり浮きまくっているこの建物は、篠原家住宅と呼ばれる豪商の店舗兼邸宅だったもので、宇都宮市に寄贈されて公開中。ちなみに周囲に巡らせた大谷石の塀は国の重要文化財指定。

 

 宇都宮の駅前には奥州街道が走っており、この篠原家がある旧博労町はその市内北側の玄関口にあたる場所。ここで代々醤油の醸造や肥料の販売を行っていた商家で、広大な敷地には醸造蔵・米蔵・離れ座敷等が建ち並ぶ豪商ぶりを見せつけていましたが戦災により焼失し、また道路の拡張工事により7m曳家されて往時の半分以下の広さに縮小しています。ちなみに元跡地は某ビジネスホテルチェーンのホテル。
 焼夷弾による空襲に耐えた主屋と3つの蔵は江戸期から明治期にかけて造られた土蔵造りの建物群で、特に1895年(明治28年)に建造された主屋と新蔵は黒漆喰と地元大谷石を使った防火に優れた建物となり、共に国の重要文化財に指定されています。

 

 主屋は屋根が切妻造りの桟瓦葺で、広さは52坪の二階建て。この住宅の大きな特徴である重厚な外壁は、約8cmの大谷石を貼って鉄釘で打ち込み、その上に目地や釘頭を黒漆喰で塗り込めた工法で、この頑丈堅牢な構造で災禍にも生き残ったというわけです。
 店舗となる道路に面した一階の正面は町家らしく格子戸が並び、重厚さと繊細さとが対比するマスクです。


 

 内部は一階の南半分が広い土間で、北側に田の字で部屋が並びます。この土間が店舗部となり、床上には三方囲いの帳場格子を置いて背後に欅の一枚板による押入れを並び、その上に神棚が設置して商いに勤しんでいました。
 明治期の町家らしく二階建てなので土間部にも天井があり、特にその天井を支える欅と赤松による太い見世梁の強靭な梁組も重厚な外観と相応しい造りです。

 

 

 またこの広い土間を支える意味もあるのでしょう中央に厚さ45cmにも及ぶ太い欅の大黒柱がおっ立ててあり、二階の床の間にも床柱として天井をブチ抜き、屋根裏の棟木まで達しています。
 この住宅はどの箇所も太く逞しい部材で組んでおり、京風の町家に見られる洗練された軽やかな優美性とは程遠いものですが、北関東の風土にも通じる土臭い地方色が感じられ、それがこの住宅の大きな魅力にもなっています。

 

 帳場の隣の茶の間は11畳の広さに箱階段が付いた間取りで、東側は小さな庭があります。庭は以前はこの二倍の広さがあったようですが、今は幻。
 見所なのが欅による箱階段で、引手には獅子の紋様も入った精巧な造り。3つに分解出来るようで、いざとなったら取っ払って二階に軟禁も可能です。
 茶の間の奥は10畳の仏間で、年寄り夫婦の居間だった模様です。ここに屋号の暖簾が掛かっており、「堺友」の屋号で商売していたそうです。

 

 

 二階は居室部となり、大広間や客間など5部屋の座敷が並びます。特に20畳の大広間は冠婚葬祭用に設えたハレの場。当然各箇所は上質の材料・意匠で統一されており、床の間の床板は幅4.5cmの欅の一枚板、床柱は一階土間から延びる欅の大黒柱、障子の枠は黒漆が塗られ、鴨居と敷居には7.2mの一本の檜から、さらに天井には檜の一枚板が張られるなど、豪商ぶりを見せつけています。ただし質実剛健な家風か物は一級品だけど、成り金的な華美なゴージャス空間ではありません。

 

 廊下を挟んで10畳の客間があり、こちらは少人数向けの接客空間。この部屋も各部材は良質の物が採用されており、欅の床板や漆塗りの障子枠など端正で落ち着いた造りの座敷です。地袋には狩野派の絵師による鯉の絵もあり。

 

 座敷の外側は14.4mの廊下が走り、この廊下の床板も檜二枚で張られています。庭側には全面ガラス窓が嵌っており、座敷に座って庭園を眺める乙な趣向。が、今は隣のホテルの客室しか見えません。ガラスは手すきなので歪んでいます。

 

 主屋の北側に西から新蔵・文庫蔵・石蔵と並び、文庫蔵と石蔵がそれぞれ嘉永年間・安政年間の幕末期の建造。いずれも大谷石で外壁を組んだ防火用の造りで、文庫蔵だけ内部公開されて構造体が展示されています。

 



 「旧篠原家住宅」
   〒321-0966 栃木県宇都宮市今泉1-4-33
   電話番号 028-624-2200
   開館時間 AM9:00〜PM5:00
   休館日 月曜日 祝日の翌日 12月29日〜1月3日