堀辰雄文学記念館 (ほりたつおぶんがくきねんかん)



 旧街道中仙道は、難所の碓氷峠を越えて軽井沢に入り、やがて沓掛宿(今の中軽井沢)を経て、追分宿にて北国街道と分かれます。ホテルやゴルフ場などで観光地として賑わいを見せる軽井沢や沓掛に比べて、この追分宿は通る人影もまばらな静かな田舎のさみしい宿場町です。
 そんなさみしさに惹かれたのでしょうか、はかなげな作家堀辰雄がこの地で執筆活動にいそしみ、この地で亡くなりました。先年まで未亡人が暮らしていた住居が文学記念館として公開されています。プロムナードは黄葉の散歩道です。

 

 あえて記するまでもないのですが、念の為堀辰雄のプロフィールを。明治37年(1904年)12月28日東京生まれ。旧制一校(現日比谷高校)在学中に室生犀星・芥川龍之介と知己、東大在学中に室生犀星らと雑誌を創刊し22歳の時に「ルウベンスの偽画」でデビュー。プルーストの心理主義文学に影響を受け、知的で尚且つ抒情的な作風で知られており、病弱なことから常に死のテーマが色濃い作品群となっています。代表作に「燃ゆる頬」「美しい村」「風立ちぬ」「曠野」「菜穂子」「大和路・信濃路」など。昭和28年(1953年)5月28日没。享年48歳。
 堀辰雄がこの地を始めて訪れたのは大正12年(1923年)、滞在中の室生犀星に会いに尋ねた時。以後毎年のように訪れて、油屋旅館を定宿として執筆を続け、晩年ここに住居を建てて過ごしました。
 結核に苦しんだ堀辰雄は何度もサナトリウムに入院しましたが、この追分の住居の周りも八ヶ岳あたりの自然林を思わせる唐松林の清新な空気を漂わせています。こじんまりとした平屋建ての家からは、今にも堀辰雄本人が出てきそうな佇まいです。
 堀辰雄の死後、未亡人が3棟ほどの建物を追加して建てさせました。一つは未亡人が堀辰雄の没後暮らしていた住居で、これは現在展示室になっており、堀辰雄の遺稿や写真・スケッチなどが公開されています。もう一つは閲覧室になっており、ここで全ての作品が読むことが出来ます。最後の一つは小さな書庫で、堀辰雄自身も早く完成を待ち望んでいた建物でしたが、間に合いませんでした。

 

 宿場町といっても、あるのは蕎麦屋が2件と、骨董品店と旅館が1件の寂しさです。骨董品店「時幻」はかつての旅籠で、内部は様々な珍品奇品が所狭しと並べられていて建物共々異次元的な世界です。油屋旅館は旧脇本陣にあたり、立派な和風旅館です。ここに堀辰雄が滞在して執筆活動に励んでいましたが、他にも立原道造や三好達治といった文人達も宿泊したそうです。
 

 

 あたりは閑静な別荘地、枯葉の敷き詰めた小径は、かつて堀辰雄が執筆の合間の骨休めに散歩した道なのでしょうか?
 信濃追分駅はうら寂しい無人駅です。バス停もタクシーもありません。駅近くに飲食関係や商店は一切ありません。駅前の荒れ野越しに浅間山が悠然と聳えていました。

 



 「堀辰雄文学記念館」
  
〒389-0115 長野県北佐久郡軽井沢町大字追分662
  電話番号 0267-45-2050 (FAXも同じ)
  開館時間 9:00〜17:00(入館は16:30まで)
  休館日 毎週水曜日 祝日の翌日 年末年始 (7月15日〜9月15日まで無休)