島崎藤村邸 (しまざきとうそんてい)



 明治・大正・昭和と三代に渡って近代文学に大きな足跡を残した文豪島崎藤村は、漂泊する流浪の文学者でもありました。生まれ故郷の信州馬籠宿から始まって、東京・フランス・小諸・アルゼンチンと旅をし続け、最後に落ち着いたのは湘南の大磯。71年の生涯の最後の2年半を大磯の別宅で過ごしここで亡くなりました。東海道線近くの閑静な住宅街に残されています。

 

 当時藤村は東京の麹町に住居を構えていましたが、太平洋戦争勃発に備えて安全な場所に退避する理由と、かねてから温暖で風光明媚なこの大磯を気に入っており、1941年(昭和16年)2月25日にこの邸宅を訪れ、翌年8月に購入し別宅として用い、麹町の本宅と往還して過ごしました。この大磯は三井家や三菱の岩崎家の別荘がある当時の高級リゾート地で、三井八郎右衛門も1938年(昭和13年)に麻布にあった国宝の茶室「如庵」をこの大磯の別荘に移築しました。

 

 元々この邸宅は、通常の貸家というよりは別荘として大正後期から昭和初期にかけて建てられたものとされ、純和風の瀟洒な建物。敷地がおよそ150坪で、木造平屋建てに庭の一角に離れがあります。母屋の八畳の主室には、東南に広い縁側が付けられていて、壁がないので開放感が高く、深い庇によって光を柔らかなトーンに変えて、夏でも涼しげな空間が造られています。
 藤村が特に気に入っていたのが四畳半の書斎で、狭いながらも床の間が付いた端正な小室。縁側越しに見られる苔むした緑陰の庭が、作家の心を和ませたのでしょうか。

 

 

 藤村はこの邸宅で、最後の長編小説となるはずだった「東方の門」執筆中に脳溢血で倒れ、1943年(昭和18年)8月22日に死去しました。藤村の生涯や代表作を見ると、抒情性(「千曲川のスケッチ」)と社会性(「破戒」)、ロマン主義(「若菜集」)とリアリズム(「夜明け前」)、と二律背反した作風を兼ね備え、教師になって教え子と関係を持ったり、姪に手をつけて孕ませたりと波瀾万丈な人間性を持つ、あらゆる意味で日本のせせこましい範疇を超えるスケールの大きな作家でしたが、最後を向かえた地は意外と究極の純和風の空間であったのが面白いところです。

 この邸宅の近くの東海道脇に、三夕の歌で知られる西行法師の「こころなき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮」が読まれた鴫立沢があり、そこに草庵の鴫立庵が建てられています。この裏手はもう海。藤村もお散歩コースにしていたのでしょうか。

 



 「島崎藤村邸」
   〒255-0004 神奈川県中郡大磯町東小磯88-9
   電話番号 0463-61-4100(大磯町経済観光課)
   開館時間 AM9:00〜PM4:00
   休館日 毎週月曜日 年末年始(12月29日〜1月3日)