仙洞御所 (せんとうごしょ)



 京都市中心部に広大な面積を持つ京都御苑内には、全部で3つの御所があります。天皇の御座所だった京都御所と皇太后のお住まいであった大宮御所、それに天皇を引退した上皇のお住まいである仙洞御所で、大宮御所と仙洞御所は同じ敷地内にあります。この大宮御所自体が今でも皇室の方々や外国人VIP用の宿泊施設としても使われているので、その為か参観回数も京都御所・桂離宮・修学院離宮に比べると非常に少なく、宮内庁で予約が最も取りにくい御所です。参観も大宮御所側から入ります。

 

 仙洞御所・大宮御所合わせて面積は9万1640uで、東京ドーム2個分とほぼ同じ広さ。このうち仙洞御所が7万5千uあります。この仙洞御所の造営が始まったのが江戸初期の1628年(寛永五年)のことで、完成したのがその2年後。この頃に後水尾天皇と徳川幕府との確執があり、幕府側が懐柔策として御所の造営を図ったのがその経緯で、切れた天皇がとっとと退位し娘に家督を譲って、上皇として移り住んだのがこの御所です。
 同時に造営された大宮御所とは長い廊下で連絡され、御車寄・公卿の間・殿上の間・弘御所・常御殿など諸殿が建ち並ぶ壮麗な姿を見せていたようですが、なにしろ大火の多い京都のことですから幾たびもの火災に遭い、その都度に再建されたものの1854年(嘉永七年)の大火で京都御所もろとも延焼して以降は、この仙洞御所のみ再建されず庭園だけ残されたのが今に見る姿。御殿のあった場所は現在は松林が広がっています。
 大宮御所は幕末の1867年(慶応三年)に再建されていますが、現在は御常御殿のみが残されており、外観は雅な佇まいを見せているものの、内部は外国人VIP向けと言うこともあって洋風に改造されているようです。
 この大宮御所の御殿の前を抜けて、低い築地塀に開けられた門を潜って仙洞御所の庭へと入ります。

 

 仙洞御所は小堀遠州が作事奉行として指揮にあたっていて、当然作庭家としても知られる遠州ですから引き続き泉水作事奉行として庭園の造営も担当しており、御所完成6年後の1636年(寛永13年)に庭園が完成しています。造営当時は御殿群の北東側に南北に二つの池を配し、周囲を芝地による低い築山でたおやかな稜線を見せ、緩やかな曲線を描く池岸の汀には自然石と切り石をリズミカルに置いてアクセントを与える、おおらかで伸びやかな風情を見せていたそうですが、その後大改造が行われて南北の池が繋がるなど池全体のアウトラインが今とは大きく異なっており、遠州の頃の姿を伝えるものは少ないようです。それでも広大な敷地の中に、人工物を極力排した豊かな森に囲まれて満々と水を湛える池の風景は、他の日本庭園では中々味わえないもので、ゆったりとした清明な姿は王朝風でもあり、宮廷文化のサロン的な場所でもあった往時の残り香が感じられます。

 

 

 後水尾上皇と言えば修学院離宮や円通寺等の造営でも知られる芸術家でもありましたから、ここでも同様に茶室を設計しており、庭園内出島東岸の護岸の側に御茶屋を造っています。今は伏見稲荷大社内に移築されており、国の重要文化財の指定も受けています。
 この庭園内には茶室が二軒だけ残されていて、そのうち北池の西側に佇むのが「又新亭(ゆうしんてい)」。元々は公家の近衛家にあった茶室で、1884年(明治17年)に当地へ移築されています。この又新亭が移築される前には修学院離宮上茶屋にあった止々斎が移築されていましたが大火で延焼しており、その後釜としてこの茶室が置かれたようですね。それだけこの場所は池の風景が美しいビューポイントですから。
 茅葺屋根の美しい茶室ですが、中は裏千家家元の名席「又隠(ゆういん)」のコピーで、円窓が開けられている点が違います。この円窓から池が良く見えるようです。

 

 もう一つの茶室は、南池の南岸の南側にある「醒花亭(せいかてい)」。こちらは元からあるお茶屋で、上皇の頃にはあったのではないかとも考えられていますが、どっちにしろ大きく改造されているので往時の姿では無いでしょう。柿葺の軽快な屋根が特徴の横長の数寄屋で、東側の四畳半の書院を主室として北側に広がる庭の姿を愛でるスタイルは、桂離宮の笑意軒と似ています。おそらく煎茶用の茶屋だったようで室内には炉が無く、建物西側の土間台所の炉で湯を沸かせていたようです。このあたりも笑意軒と似た手法。書院の付書院の戸袋にある違い棚のモダンで斬新な意匠は秀逸。

 

 で、この醒花亭の眼前に広がるのが、有名な洲浜。小田原から取り寄せた白灰色の平たい丸石をびっしりと池岸に並べており、池に浮かぶ島と合わせて明るい海浜の風景を表現しています。この夥しい数の石は約11万1千個あるそうで、石一個につき米一升と交換したことから「一升石」とも呼ばれており、一個一個吟味して選び真綿にくるんで京都に運んだ価値の高いもの。月夜の晩にはほのかに青白く幻想的な光を放つそうです。

 

 その南池に浮かぶ島は「葭島(よしじま)」「蓬莱島」「中島」で、中島には池岸より八つ橋が架けられています。以前は板橋だったそうですが老朽化した為に明治期に石橋に変更されており、その頭上に藤棚が造られています。以前はこの中島に滝殿や釣殿があったようですが、これも大火で延焼してありません。

 

 焼失した滝殿は池越しに見られる雄滝の観賞用の為で、南池の北岸の紅葉山の下に高さ180p幅80pの滝があります。ちなみに雌滝はこの雄滝の裏側にあり、苑路からは見られません。
 滝のすぐ左手に大きな平たい石がドンと岸辺にありますが、これは舟遊び用の舟着場の護岸で、小野小町伝説による「草紙洗いの石」と呼ばれているもの。このあたりの石組は庭園造営往時のものとかで、遠州の意匠なのでしょう。

 

 この滝のある紅葉山一帯はその名の通り楓の多い場所で、元々は北池と南池を分ける分水嶺みたいな築山だったようです。北池が大宮御所の、南池が仙洞御所のものだったので、その間の緩衝地帯として造られたものですが、その後の大改造により池を繋ぐ水路が出来ており、その水路に紅葉橋と呼ばれる橋が架けられています。この緩やかな反りの紅葉橋は、修学院離宮上茶屋の土橋に似ています。

 

 紅葉山の隣には蘇鉄山もあります。苑内は起伏の少ないとても平坦な土地ですが、ところどころにモニュメンタルな形で様々なスポットがあり、特に南池南岸西側にこんもりと盛りあがった場所があります。さざえを伏せたような形からさざえ山と呼ばれているようで、なんでも古墳跡ではないかとのこと。

 

 北池・南池にそれぞれ島が浮かびそれらを巡る様に苑路が走るので、多種多様な意匠の橋が点在しています。八つ橋や紅葉橋以外にも「六枚橋」「土佐橋」「鵲橋(かささぎばし)」など。石橋が多いようですね。

  

 

 石灯籠も非常に多く、雪見灯籠や織部灯籠などが要所要所に配されて、風景を締めています。特に南池中島の雪見灯籠は水戸黄門献上、醒花亭露地の朝鮮灯籠は加藤清正献上とそれぞれ伝承されています。

  

  



 「仙洞御所」
   〒602-0081 京都府京都市上京区京都御苑
   電話番号 宮内庁京都事務所参観係 075-211-1215
   参観は事前予約 参観希望日の3ヶ月前の月の1日から往復はがき・宮内庁webサイトで予約し抽選
   すぐ締め切られる 18歳以上
   参観休止日 土・日曜日 国民の祝日 12月28日〜翌年1月4日
   但し第3土曜日と、4・5・10・11月の土曜日は参観可