扇湖山荘 (せんこさんそう)



 今では鎌倉山といえば高級住宅地として有名ですけれど、その昔は狸や猪などの野性の鳥獣が跳梁跋扈する辺鄙な里山でした。昭和の初期になって小津映画の常連でもあった菅原通済が宅地開発を始め、近衛文麿やら田中絹代らの著名人が別荘を構えてから一躍メジャーな存在となり、緑豊かな丘陵地帯に瀟洒な邸宅が点在する御屋敷エリアへと変貌したわけです。近年だと某アナウンサーの豪邸もちょっと話題になっていましたね。由比ヶ浜から七里ヶ浜にかけての海を見下ろす眺望がとても素晴らしく、南向きの温暖な環境が富裕層に殊の外支持されたのでしょう。そんなセレブな方々が御屋敷を構える一角に、扇湖山荘と名付けられた大きな別荘が残されています。現在は鎌倉市が取得し春秋に一部公開をしています。

 

 この別荘を構えたのは戦前の実業家だった長尾欽彌氏で、胃腸薬「わかもと製薬」で財を成した人物。東京世田谷の深沢に本邸があり、1934年(昭和九年)当地に土地を求めて別荘としたものです。敷地は緩やかな傾斜地に一万四千坪もの広さを誇り、飛騨高山から移築した民家や宮家の茶室などが点在し、名立たる庭師の手による庭園が広がるまさに絵に描いたような大豪邸。戦後は人手に渡って「鎌倉園」の名称で料亭となり、三和銀行の研修所を経て市に寄贈され現在に至ります。



 敷地の半分は原生林で宅地は三割弱程となり、中心に本館を置き北側の高台に茶室の伏見亭、南側の一段低くなった場所に仲秋亭が配置された構成です。邸内の中核となる本館は飛騨高山の民家を移築し改造したもので、設計にあたったのは明治神宮の造営で知られる大江新太郎。長尾欣也の本邸も大江の作品で、この扇湖山荘は岩崎小弥太邸・川喜多久太夫邸と並ぶ大江新太郎の住宅三名作の一つに数え上げられています。

 

 

 傾斜地に建てられてあるので変則的な三階建てになっており、土台として鉄筋コンクリート造りの洋風建築を築き、その上に木造二階建ての民家を乗せてあります。その為に北側の車寄せの付いた玄関からは木造二階建ての和風住宅建築に見えますが、南側から見ると和洋折衷複合型の不思議な外観を見せています。この洋風の地下室は美術展示室で、施主のコレクションが陳列してあったようです。一時は美術館でもあった模様。上はテラスとなり、砕けた陶磁器が敷き詰められています。

 

 

 その上に乗っかった民家もただそのまま移築したわけでなく、かなり大掛かりな改造が施されており、外観は切妻屋根の銅板葺に軒下を出桁で支えるせがい造りと古民家風の佇まいを見せていますが、内部は構造体以外には殆ど原型を留めていないようです。

 

 まず平面構成は、北側に取り付けられた玄関から中廊下が伸ばされて土間に変わり、その左右に居間・洋間・和室が整然と並ぶ配置で、特に土間は瓦敷きのタタキになっています。おそらく移築前の民家は東側の居間と洋間も含めて広い土間だったはずで、玄関の位置も違っていたのでは?土間もタタキではない本当の土間でしたでしょうしね。天井に渡された野太い梁や大黒柱は移築前の物でしょう、美しく春慶塗が施されています。それと欄間に透かし彫りが多いことが特徴の一つで、何れも大江独自のデザインによるものです。

 

 

 

 土間の西側に二間続きの和室が並びます。それぞれ十一畳の座敷で、手前が「銀の間」、奥を「金の間」と呼ばれています。土間を挟んで反対側にある洋間と共に眺望の良い空間なので接客用として使われたのでしょう、襖を取っ払うと二十二畳の大広間として使えますしね。「銀の間」には花頭窓の床の間が付き折上棹縁天井となり、床脇の障子窓には精緻なデザインの氷裂紋も入ります。「金の間」には書院窓が付き、欄間だけではなくその横にも植物紋様の透かし彫りが入り、天井も折上格天井と格式を高めています。この「金の間」が主室で、ここで海の眺望を楽しみながら酒宴でも催していたのでしょうか?それぞれの座敷の間の欄間にも、若草模様の透かし彫りが入ります。釘隠しには雛鳥の図案も。当初材が殆ど見当たらない空間だそうなので、これすべての意匠は大江の手によるものなのでしょう。

 

 

 

 居間は板敷きの一室で、天井には土間と同様に太い梁が渡されています。ここは比較的移築前の姿を留めているようで、板の間が土間に変われば比較的イメージ出来ます。中廊下との境に陳列ケースがあり、その上に竹の節欄間が取り付けられています。明治神宮宝物殿でも見られる大江得意の手法。何故かバーのようにカウンターもあります。施主は相当な左党だったので、胃腸薬の開発に取り組んだわけなの?

 

 敷地内で最も高い場所にある伏見亭は、旧宮家の伏見宮の別邸にあった明治期の茶室を移築したもので、本館と同じ時期に移されたようです。一部の瓦には菊紋があり、皇室の四親王家の格式の高さが伺えますね。

 

 

 間取りは少し複雑で、四つの茶室が渡り廊下に沿って枝葉のように連なる構成。渡り廊下の途中に待合も付属しています。一番手前にある三畳台目の席は逆勝手で舟底天井となっており、玄関でもあるのでおそらく寄付としても使われたのでは。次の四畳半の席は網代天井の上座床に档丸太の床柱と、裏千家又隠の写し。

 

 

 奥の八畳間は入側付きの広間で、付書院と花頭窓も開けられた格式の高い造り。床柱には絞り丸太が嵌められ、入側との境には櫛型欄間も入ります。その入側には円窓もあり、蔀戸が取り付く構成でこのあたりも宮様仕様ということなのでしょうか。

 

  

 庭園には戦前の代表的な庭師だった植治こと七代目小川治兵衛が担当しており、富士山を模した大刈込が見所。その庭園の向こうには由比ヶ浜から材木座にかけての見事な海浜の光景が望め、まるで扇のような湖に見えることから「扇湖山荘」と命名された素晴らしい眺望が広がります。

 

 



 「扇湖山荘」
  〒248-0031 神奈川県鎌倉市鎌倉山1-21-1
  電話番号 0467-61-3477(鎌倉市都市景観課)