石泉荘 (せきせんそう)



 下越地方は海と山がとても近く、朝日連峰や飯豊連峰といったとてつもなく広大な山塊が、日本海の海岸線近くまでその裾野をたなびかせています。その山嶺の懐には豊かなブナの原生林を抱えており、大量に降り注ぐ雨や雪が森のダムに集められて、やがて湧水として清冽な渓流となって海へと向かいます。この清らかな水が美味しいお米やお酒になるのですが、逆に標高差が激しい為にか暴れ川にもなるようで、近世の頃から度々治水事業が行われてきました。標高2000mを越える飯豊本山から流れ出る加治川(飯豊川)もその一つで、旧新発田藩が改修工事を行い新たに開削して支流となる新発田川を造営しており、市内中心部を貫くように流れて行きます。
 この新発田川の水を利用して造られた「石泉荘」という庭園が清水園近くの住宅街の中にあり、以前は料亭として営業をしていましたが、今では誰でも見学が出来ます。

 

 明治期には「花菱」という名の料亭だった場所で、大正初期に新津の製油業者だった石崎家に売却されて、今でもその石崎家が所有して居住しています。特に清水園に近い北側に板塀を並べ門を構えた姿は料亭時代のものだそうで、うっすらとベンガラの後が残るちょっと艶っぽい姿。
 敷地は千五百坪ほどありますが、この庭園の最大の特徴は敷地の中央を幅4mの新発田川が貫いていること。桂離宮や京都の社家のように川の水を引き込む例はまあありますが、一般河川が民家の庭園内を貫流するのは極めて珍しく、昭和の初期までは業者の筏流しも行われていたとかで、ちょっと不思議な光景だったのでしょうね。

 

 その川の畔に離れ座敷が建てられています。なんでも1904年(明治37年)に大火があって料亭当時の建物は延焼してしまい、翌年に藩臣の家屋の一部を移築したものだそうで、切妻屋根桟瓦葺による木造平屋建てに、11畳と8畳が並ぶ座敷に玄関や渡り廊下等が増築された構成。特に11畳の座敷から眺められる庭の風景は素晴らしく、まるで最初からこの場所に建てられていたかのようです。柱が少なくとても開放的な造りで、特に夏場は川風が吹き抜けて涼感たっぷり。蚊が多いのでしょう豚の陶器による蚊取り線香入れも縁側に置かれています。

 

 

 庭園自体は地元越後出身の名庭師だった田中泰阿弥が改修したものだそうで、金閣寺や銀閣寺に天龍寺・西芳寺・智積院といった名立たる京都の名庭の修復にあたった人物の手がけた庭だけに、独特の緊張感を孕んだ端正な石組が展開されています。石橋や石灯籠も程良いアクセント。

 

  

 敷地の一番奥に茶室があります。市内にあった藩医の隠居所を日露戦争最中の1895年(明治28年)に移築したもので、切妻屋根の桟瓦葺による木造平屋建ての外観に、四畳半の席と二畳の水屋による構成。
 離れ座敷と茶室は国の登録有形文化財に、庭園は国の登録記念物(名勝地関係)に指定されています。

  



 「石泉荘」
  〒957-0055 新潟県新発田市諏訪町3-11-21
  電話番号 0254-21-1128
  開園時間 3月15日〜12月14日 AM9:00〜PM5:00