清白寺 (せいはくじ) 国宝



 山梨県の塩山から山梨市周辺は臨済宗の古刹が多いスポットで、甲州の鎌倉と呼ばれるほど由緒正しき歴史の古い禅寺が葡萄畑に点在しています。臨済宗十四大本山の一つに挙げられる向嶽寺や夢想疎石作庭の名園で知られる恵林寺に、大菩薩峠直下の峻厳たる山寺である雲峰寺など文化財の宝庫になっている名刹も少なくありません。吹きっさらしの無人駅である東山梨駅から徒歩5分の清白寺もそんな臨済宗の古刹で、国宝に指定された仏殿を持つことで知られる寺院なのですが、周囲は奥秩父の山嶺を背景に延々と葡萄畑と桃畑が広がる絵に描いたような長閑な田園地帯が広がっており、とてもそんな国宝建造物が残るような雰囲気は微塵も感じさせません。

 

 清白寺は鎌倉末期の1333年(正慶二年)に夢想疎石が創建した謂れがあるものの不明な点が多いようで、実質的な開山は南北朝期の永徳年間(1381年〜1384年)にまで時代が下がる模様です。御多分に漏れず何度も火災に遭遇しているようで、仏殿以外は全て再建されています。伽藍は南向きに配置され、長い参道の果てに総門を開き、その奥に鐘楼門・仏殿・本堂を直列に配置する禅宗様式の構成で、本堂の東隣に庫裡が並びます。参道は白梅の並木道なので、春先の梅の花が香る時期がお薦めでしょうかね。お彼岸の頃がちょうど見頃みたいです。

 

 鐘楼門の奥に建つ国宝の仏殿は、永徳年間よりも少し後の室町初期の応永年間に建立されたもので、1415年(応永二十二年)のこと。この応永年間が一つキーポイントで、似た外観を持つ鎌倉の円覚寺舎利殿や東村山の正福寺地蔵堂も同じ応永年間の建造です。いわゆる典型的な禅宗様式の仏堂で、外観は屋根が入母屋造りの檜皮葺に、軒下に裳階が取りつく構成。東日本は関東だけでなく山梨や長野に室町期の禅宗様式の建築物が多く残されており、円覚寺舎利殿や正福寺地蔵堂と距離的にも近く建立された時期も近いことから、鎌倉街道の開通などによりコピーとしてこの甲州の地へ伝搬されて行ったのでしょうね。

 

 

 禅宗様仏堂は比較的小規模なものが多いのですが、7.2m×7.2mの方三間はこのタイプでは最も小さなもので、その為か円覚寺舎利殿や正福寺地蔵堂に比べると一部簡略化されています。例えば裳階の台輪を省略し、組物でも裳階の詰組を省略し、軒裏の垂木も裳階は一軒の疎垂木にするなど、裳階が大きく変更されています。裳階はどうせ装飾物ということから簡素化されたのですかね?まあその分だけシンプルになり、元々木割は細く華奢で繊細な造りですし、軒先の反りは小鳥の翼のようでもあるので、かえって軽く浮遊感も漂いますけれどね。花頭窓・桟唐戸・弓欄間・桃の彫刻など各細部には禅宗様式の意匠が散りばめられています。

 

  

 内部も同様に簡略化され、来迎壁が大きく後退して来迎柱が無くなり、側柱も前から二番目がありません。狭い空間なので広く見せるための工夫なのでしょう。また天井も板が張られて鏡天井となるために、禅宗様式仏堂に特有の精緻に組み上げられた複雑な架構部が見られず、円覚寺舎利殿や正福寺地蔵堂に比べるととてもシンプルですっきりとしており、穏やかで平明な雰囲気が広がっています。

 

 この仏殿の背後に本堂の方丈があります。六間取り方丈形式の江戸中期の建造で山梨市指定文化財。並びで庫裡が繋がり、こちらは江戸初期の元禄年間の建造で、茅葺切妻造り妻入りによる規模の大きな庫裡です。特に立面の構成が秀逸で、まず白漆喰の壁面に茶褐色の肘木と虹梁でコントラストを強く見せ、下部は花肘木を整然と規則的に並べて上部には虹梁を三重に組み、その虹梁間を重厚な面構えの大瓶束と蟇股で支える、バランスのとれた幾何学的な構成美が見られます。近所の塩山駅前にある高野家住宅の主屋妻部とちょっと似ていますね。国重要文化財指定。

 

 



 「清白寺」
  〒405-0011 山梨県山梨市三ヵ所620
  電話番号 0553-22-0029